1月6日15時より恒例、増毛町・増毛漁協・JA南るもい共催の増毛町新年交礼会がオーベルジュ増毛で開かれました。
今回は新町長になって初の交礼会とあってか、出席者は多かったように思います。増毛町議会議員や各産業団体などから約100名越えの参加があったかとおもいます。
【7日追記】道新記事はこちら
昨日7月25日、第58回増毛町観光港まつり花火大会が増毛港で行なわれました。で、広角レンズと三脚、レリーズを用意して写真を撮りに行きました。
あれ、もしかすると廃止検討になったJRと重ねられるかもと、調べると花火開始19:45、増毛駅着19:40~発19:48。つまり増毛駅停車のJRと3分間重複。これはいいシャッターチャンス!
しかし、イザとなると花火は思ったよりも低いし、ウカウカすると発車しそうだし、構図決めるのあわただしいし、で、何とか公開できそうな写真はこちらの2枚だ。
JRは無情にも発車し、仕方なく駅舎を撮る
ついでに停留所
やっぱり港に行かなくては。岸壁まで歩いて最初、船と重ねてとっていたのですが、構図がイマイチ。ちょっと移動してみると海面に花火が写っている~!奇麗!花火と反射した花火で2倍のお楽しみです。
花火は去年中止になり、その分今年は打ち上げ数も多かったはずですが、撮っているとすぐに終わっちゃった感じ。でもなかなか楽しめたひと時でした。
もう16年もなるんですねー。
当時は若さをアピールし、旧態のサビた部分のある町政を批判して選挙を戦った。当時は選挙スタッフは皆、若くて勢いは俄然あった。選挙の方法なんて判らない事だらけでしたが、それでも精力的に緻密に選挙戦を繰り広げていた。そして勝利してはや16年となり、今度は批判を甘んじて受ける立場となる。
石崎町政が4期で終止符となる事には少々寂しさもあるが、昔の私でしたら長期政権への批判は痛烈にしていただろうとの思いも交錯する。出馬不出馬は本人が決める事であるので、どうのこうの言う立場ではありませんが、4期16年務めた石崎氏へはご苦労さまでしたと労いたい気持ちです。
今日の新聞記事は、増毛町の長い歴史の中でも重要な分岐点でもあると思うので、アップしておきます。
10月15日・16日、札幌市にある北海道旧庁舎の赤レンガ前で、留萌振興局フェアが開かれ、増毛町・JA南るもいも出向し、物販をしました。16日は私も増毛町果樹協会を代表して出張してきました。
留萌管内はもちろん空知や札幌のブースもあって、お店は広場をぐるっと囲むように配置されました。増毛町からは、お酒の国稀各種、水産加工品、JA南るもいからは、りんご梨などの果樹や新米、ルルソロッソなどを販売しました。
赤レンガ前は観光客が多く通っております。特にアジアの観光客が撮影スポットとして写真をよく撮っおりました。
物販としては少々苦戦ぎみでしたが、それでも正午を過ぎると道庁職員や近所のオフィスからビジネスマンやビジネスウーマン達が来てくれて、賑わいをみせました。また、管内ゆるキャラも揃って子供達も大喜びでした。
増毛町市街に光ブロードバンドが2年前に整備され、さらに今年は増毛町が整備をすすめ電話54局のエリアにも光通信が可能になります。せっかくの光ブロードバントをもっと町づくりに活かせないかと、増毛町観光協会主催となり本日28日18時より文化センターで、「WiFi利用サービス勉強会」が開かれました。NTT東日本旭川支店長も駆けつけ、せっかくの光通信インフラをより有用に活用してほしいとの挨拶の後、日本コムシス株式会社北海道支店からの係りの方が、WIFIの利用事例などを説明しました。
会場には商工関係者など40名を越える参加者があり、WIFIを設置してイベント等に活用している実例など勉強しました。
私自身は、無線LANはたぶん会場の誰よりも早く導入しているハズなのですが、格安SIMも各社から販売されている中、WIFIは若干の時代遅れの感がしましたね。確かに外国人やWIFIタブレット持ちの人なら、各所にあるスポットは便利でしょう。ですから、飲食店などにWIFIを設置することは観光客へのサービスにつながります。しかし、イベントの時に通り(たとえば400メートルの道路)に同一SSIDでつながる機械を設置するとなると、数百万円がかかるでしょうし、コンテンツ開発は携帯アプリの開発など必要になってくるはずですね。
しかも、必ずしもWIFIである必要性もないなど、やっぱりインフラよりもソフト面のコンテンツが重要になってきています。いかにその地域にあったコンテンツを思いついて開発できるのか、はやり時代はソフト開発が重要となっています。
お昼、6次センターが所有するレストラン「花屋」でオシャレな昼食を済ませて、近くある北斎館へ。
葛飾北斎が老齢の一時期に小布施に滞在し、思う存分芸術活動をしていたようで、数々のお宝が展示されている「北斎館」。この施設を中心に、現在は栗菓子の有名老舗店3店の他お土産屋さんが並ぶ。
もちろん、私も栗菓子を買いました。小布施栗は、室町時代から栽培され、江戸時代には将軍家に献上されていたため、当時は地元民でも小布施栗を手に入れられなかったそうです。
小布施の街づくりは、全国的にも注目されており、たとえば「町並修景事業」は、街の建物を修復する際は、個人のものであっても歴史的景観にあった建物にするように誘導するなど、信金などと協力して町並みを整えています。
また、「栗」にこだわり、遊歩道は栗の樹を使った木道を整備(「栗の小径」)するなど工夫していますね。また、民家であってもその庭を観光客に開放するなど官民挙げて観光の街づくりを進めています。
人口が1万1千人でありながら小布施へ来る観光客は年間120万人といいますから、スゴイ事でありますね。
北斎が何故小布施に居たのか?時の豪農商「高井鴻山」が招いたのでありますね。こちらも高井家から町が買い取って保存し、展示ています。
多くの観光客が訪れる小布施は、単に北斎館のネームバリューのみならず、町全体で情緒や風景を整備しているからであります。
歴史と文化を現代まで継承して街づくりに生かす小布施は、全国の街づくりのお手本とも言うべき事にも納得です。北海道の町で歴史においては内地にかないませんが、街づくりの精神は是非見習いたいものです。
小布施はこの他にも美術館など多彩な観光メニューがあって、とても短時間では見られませんでした。
この街づくりについてはこちら小布施 まちづくりの奇跡 (新潮新書)を是非。