5月12日、暑寒荘、暑寒別岳、暑寒別川、当直売場横でドローン撮影した映像を入手。
編集しましたので、ご覧ください。なお今はやりの4K60Pでアップしていますので、是非高精細でごらんください。
また、4月13日撮影の増毛港の様子もどうぞ
5月12日、暑寒荘、暑寒別岳、暑寒別川、当直売場横でドローン撮影した映像を入手。
編集しましたので、ご覧ください。なお今はやりの4K60Pでアップしていますので、是非高精細でごらんください。
また、4月13日撮影の増毛港の様子もどうぞ
最近ブログの更新がないとのお伺いがありました。
このブログサイトの更新は滞っておりますが、会社のブログや会社Facebookは暫時更新していますので、是非そちらをご覧ください。
株式会社ヤマセン仙北果樹園ブログ
http://kajuen.net/ysoc/blog/
株式会社ヤマセン仙北果樹園Facebookはこちら
https://www.facebook.com/YamasenSenbokuOrchards/
仙北清孝個人Facebookはこちら
https://www.facebook.com/kiyotaka.senboku
株式会社ヤマセン仙北果樹園のHPを少しずつ制作していまして、このほど未完成ながら公開しました。
ブラムリー物語やフルーツリストはまだまだ完成できませんが、会社のHPょみてやってください。
株式会社ヤマセン仙北果樹園HPはこちら
以前から考えていました果樹園の法人化をついに実行いたしました。
このほど、株式会社ヤマセン仙北果樹園を設立し果樹園を会社経営といたします。
設立には増毛出身の中村孝俊司法書士事務所(旭川市2条通8丁目)のお力を借り、設立に必要な書類や手続き、アドバイスをしていただき、2月3日に会社成立となりました。
私は代表取締役に就任。会社所在地は直売場内とし、農産物の生産、加工、販売を主な業務目的で、他にもインターネットホームページ運営受託なども目的に入れております。
法人番号は3450001012921です。
まだまだ設立直後でこれから銀行口座開設や各役所への文書届け出、提出しなければならず、本格運用はまだハードルはあるのですが、ひとつづつ進めてまいります。
皆様方には個人事業の時と同様、変わらぬご愛顧頂きますようお願い申し上げます。
HPの更新をほとんどしないまま、大晦日になってしまいました。しかし、どうしても今年中にアップしなければならない出来事をお知らせします。
9月20日、一泊で上京し、ブラムリーをイギリス中に広めたヘンリーメリーウエザー氏のひ孫であるセリアさんとお会いしてきました。
去る9月東京の日本橋三越本店で、英国フェアーが開かれました。パート1・2に分けて英国の様々な英国展があり、パート2では「ブラムリーアップルな生活」と題してブラムリーをメインに果実販売はもちろん様々なお菓子も即売されしまた。
そこで、セリアさんがブラムリーレディーとして日本に招かれたのです。
イベントは大盛況だったようで、ブラムリーアップルが東京の人々にも認知されているようでした。
さて、私は2016年3月ブラムリーの原木を訪ねて訪英したさいに逢った、ヘンリーメリーウエザーのひ孫、ロジャーとジョン兄弟。その真ん中の兄弟がセリアさんです。セリアさんはデボン州に住んでるため、当時は会えなかったのです。しかし、セリアさんは事ある度にサウスウエルを訪れ、ブラムリー普及に尽くしております。
セリアさんが帰国する前日にブラムリーファンクラブの方々がお別れ会を開いたのです。
私も是非逢いたいとの思いで、奮起して上京しました。会場へ行ってみるとブラムリー好きの方々が集まっておられ、ウチからブラムリーを買っていただいているお得意さんもおりました。
セリアさんとはFacebookではやり取りしているものの、初対面でしたが再会したような気持ちで、会うことが出来ました。
また会場にはブラムリーを日本に本格導入しようときっかけとなった荒井氏も出席されておりました。荒井氏は小布施出身で、いち早くブラムリーにほれ込み、ブラムリーを長野県小布施町の町興しの起爆剤にしようと画策した人物。増毛のブラムリーも苗木は長野から導入しているので、今増毛にブラムリーがあるのも荒井氏のおかげです。
荒井氏はいわば、日本のブラムリーの「父」な訳です。その意味では私は荒井さんの「息子」みたないもんです。
で、その3人で記念撮影です。
解散後、ファンクラブの水野さんとセリアさんと私の3人で夕食に出かけ、北海道でもブラムリーがいろいろな使われ方をしている事を伝えました。
【おまけ】
次の日、セリアさんの帰国する飛行機を見送った私は羽田から稚内便に搭乗しております。
いつもは千歳に降りるので、ほとんどの方は見る事が出来ないであろう千歳上空からは、支笏湖や洞爺湖、噴火湾など飛行機から一望出来ました。
うーん、暑寒沢は残念ながら雲に隠れていましたが、港や箸別あたりはしっかりと見えていました。
Facebookにはこまめにアップしているものの、HP更新は疎かになっている事を反省しつつ、ともあれ皆さまには今年もお世話になり、ありがとうございました。
また来年もよろしくお願いいたします。
先日の9月3日4日に全国リンゴ大会が七飯で開かれ、「西洋リンゴ導入150年」を開催したが、実は普及を始めたのはその後である。
明治元年にドイツ人のガルトネルが七飯の地に土地を開き、ふるさとの果樹類を植栽したのが始まりではあるが、ガルトネルは99年の租借をする。しかし植民地を恐れた明治政府により条約を破棄されられ、賠償金を受け取ってガルトネルは帰国する。
明治政府は北海道開拓のため、アメリカから農業の先生を雇い入れる。官園を数か所設置し現在の農業試験場のように作物を研究。七飯のガルトネルが耕した土地も官園に指定。
内務省は明治7年からフランスからリンゴを輸入し各県へ配布している。
一方、開拓使はアメリカ人のケブロンを開拓顧問とし、彼が呼び寄せたベーマーが明治9年北海道札幌に赴任し果樹栽培の指導をする。
北海道果樹の普及のきっかけは、ベーマーと言えるのである。
余市で観光果樹園をいちはやく始め、同果樹業界の指導的人物「山本幸章氏」。山本観光果樹園はTVやラジオでもCMを打っているのでかなり有名と思われるが、駐車場の景色の良いところに、私費を募ってベーマーを記念したモニュメントを設置した。
りんごを模したフレームで写真を撮れるようになっているので、余市へ行かれた際は是非寄っていただきたい。
山本幸章氏はこのモニュメント設置後、体調を崩し今年6月に他界した。彼の果樹にかけた情熱と業績は、北海道果樹の歴史に刻み込みたい。
9月4日は園地視察。朝8時に大沼プリンスホテルから各バスに乗り2班に分かれて3か所の視察先を回る。
増毛の役員3人は案内係などのスタッフになったので、我々一般5名は7号車のバスへ。茨木県の生産者と会話を楽しみながら移動。
成田果樹園
後藤秀哉氏果樹園
どこの園もきれいに整備され新しい品種も導入され、りんごに対する情熱がなみなみならない事がひしひしと伝わってきました。
お昼の弁当を道の駅「なないろななえ」で頂きました。
ここもリンゴのモニュメントが輝いていて、りんごソフトを始めいろいろな加工製品も販売されておりました。
ここで全国りんご大会の全日程を終了。七飯の皆さま、大変お世話して頂きありがとうございました。また、スタッフの皆さま大変ご苦労様でした。