9月 102019
先日の9月3日4日に全国リンゴ大会が七飯で開かれ、「西洋リンゴ導入150年」を開催したが、実は普及を始めたのはその後である。
明治元年にドイツ人のガルトネルが七飯の地に土地を開き、ふるさとの果樹類を植栽したのが始まりではあるが、ガルトネルは99年の租借をする。しかし植民地を恐れた明治政府により条約を破棄されられ、賠償金を受け取ってガルトネルは帰国する。
明治政府は北海道開拓のため、アメリカから農業の先生を雇い入れる。官園を数か所設置し現在の農業試験場のように作物を研究。七飯のガルトネルが耕した土地も官園に指定。
内務省は明治7年からフランスからリンゴを輸入し各県へ配布している。
一方、開拓使はアメリカ人のケブロンを開拓顧問とし、彼が呼び寄せたベーマーが明治9年北海道札幌に赴任し果樹栽培の指導をする。
北海道果樹の普及のきっかけは、ベーマーと言えるのである。
余市で観光果樹園をいちはやく始め、同果樹業界の指導的人物「山本幸章氏」。山本観光果樹園はTVやラジオでもCMを打っているのでかなり有名と思われるが、駐車場の景色の良いところに、私費を募ってベーマーを記念したモニュメントを設置した。
りんごを模したフレームで写真を撮れるようになっているので、余市へ行かれた際は是非寄っていただきたい。
山本幸章氏はこのモニュメント設置後、体調を崩し今年6月に他界した。彼の果樹にかけた情熱と業績は、北海道果樹の歴史に刻み込みたい。