株式会社ヤマセン仙北果樹園のHPを少しずつ制作していまして、このほど未完成ながら公開しました。
ブラムリー物語やフルーツリストはまだまだ完成できませんが、会社のHPょみてやってください。
株式会社ヤマセン仙北果樹園HPはこちら
先日の9月3日4日に全国リンゴ大会が七飯で開かれ、「西洋リンゴ導入150年」を開催したが、実は普及を始めたのはその後である。
明治元年にドイツ人のガルトネルが七飯の地に土地を開き、ふるさとの果樹類を植栽したのが始まりではあるが、ガルトネルは99年の租借をする。しかし植民地を恐れた明治政府により条約を破棄されられ、賠償金を受け取ってガルトネルは帰国する。
明治政府は北海道開拓のため、アメリカから農業の先生を雇い入れる。官園を数か所設置し現在の農業試験場のように作物を研究。七飯のガルトネルが耕した土地も官園に指定。
内務省は明治7年からフランスからリンゴを輸入し各県へ配布している。
一方、開拓使はアメリカ人のケブロンを開拓顧問とし、彼が呼び寄せたベーマーが明治9年北海道札幌に赴任し果樹栽培の指導をする。
北海道果樹の普及のきっかけは、ベーマーと言えるのである。
余市で観光果樹園をいちはやく始め、同果樹業界の指導的人物「山本幸章氏」。山本観光果樹園はTVやラジオでもCMを打っているのでかなり有名と思われるが、駐車場の景色の良いところに、私費を募ってベーマーを記念したモニュメントを設置した。
りんごを模したフレームで写真を撮れるようになっているので、余市へ行かれた際は是非寄っていただきたい。
山本幸章氏はこのモニュメント設置後、体調を崩し今年6月に他界した。彼の果樹にかけた情熱と業績は、北海道果樹の歴史に刻み込みたい。
どうも花びらの落ちが良くないなぁと思っていましたが、やはり果実と付着した部分などに、幼果菌核病や灰星病がみられるようになりました。また、場所によっては深刻な病気の進行度合いです。そこで、前回から7日しかたっていませんが、サクランボに殺菌剤を散布。
また、ブドウには殺虫剤を散布しています。
まぁ、この所毎回なんですが今日も天候は芳しくなく、寒い。雨は本降りにはなりませんでしたが、ポツポツと降っていた中での散布でした。
レーダーは雨雲スレスレ。今回もスリリングな薬かけでした。
【さくらんぼ・桃】 5タンク
殺菌剤:アンビルフロアブル 1000倍
【ぶどう】 1.5タンク
殺虫剤:アグロスリン 2000倍
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