3月 062005
 

2月23日に書きましたが、十勝川温泉にやってくる台湾のお客さんはとってもフレンドリーで、来客も増加しているそうです。台湾は、第二次世界大戦の頃は日本の植民地でした(朝鮮は併合)。戦況が悪化した頃、日本人と共に戦った台湾の原住民、高砂族がおりました。彼らは、日本人以上に日本人として戦ったのです。そして多くの方が戦争で亡くなりました。その慰霊碑が撤去される危機がありましたが、その移設のめどがついたのが写真の産経新聞のニュースです。
 戦争は繰返してはならない!同感です。しかし、戦争は歴史として知っておくことが必要でしょう。私も高砂義勇兵の事は最近まで知りませんでした。日本兵として日本人と一緒に戦いながら、終戦後辛くも帰郷した彼らは、国籍を日本から剥奪され、帰還兵なら支払われる恩給も払われていないのです。これは法律の壁がありますから、なんともしようがありませんが、誇り高い彼らは、「補償や賠償」を求めているわけでもなく、控えめな名誉を満たして欲しいのみなんですね。
高砂義勇伝HPから
FLASHを見て頂いた方が一発で判ります。こちら

おにぎり 参考文献:高砂族に捧げる

差し入れてもらったおにぎりを食べられなかった日本人兵士の話
そのうちの一人の兵隊がなぜか憑かれたように立ち上がり、傍に建てられた粗末な墓に握り飯を添えて、 全身をふるわせながら
「オレにはこの握り飯は食えない」と慟哭するのである。
どうしたのですか?福島報道班員はきいた。傍の兵隊が、それを説明した。 あの墓には、Bという高砂義勇隊員が眠っているのです。ニューギニアの作戦の当初から、 われわれはBとともに戦ってきました。食料のない日が何日も続きました。 ある日、Bはずっと後方の兵站基地にさがって、食料を運ぶことになりました。 ところが、その次にBに出会った時には、Bは死んでいました。
五十キロの米をかついだまま、 Bはジャングルの中で飢え死にしていたのです。背中の米には一指もつけずに・・・・・・

また、こちらにもいろいろ書かれています。 ブログEast Asia News Watch

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