3月 282006
 

【経済の中の果樹】
 日本の農業を考える上で、現在の農業は、経済活動の単なる一部である事を外せません。株の売り買いを繰り返し、莫大な金額を取り引きしているニュースが流れていますが、その同じ経済の中に農業はあります。農業も金銭との適切な交換がなされなければ成り立ちません。
しかし、一方で言うまでもなく農業生産物は、国民の生命を支える大切な「食料」です。日本の食料自給率は40%ほどであり、大半を輸入に頼っています。その食料を株と同等に扱ってよいものかとの疑問を感じます。日本人は五穀豊穣を祈念して古代から生きてきましたが、発展する経済により、今では豊作を素直に喜べる状況ではありません。獲れ過ぎればたちまち価格が安くなって、生産側・流通させる人などだれも幸せにならないのが現実です。低自給率なのに豊作を歓迎できない状況は、この国を司る政治の課題の一つです。
りんごは、とっくに輸入自由化されていますが、日本に無い病害虫の為に防疫対象となっていました。しかしこのほど、大幅に緩和され輸入拡大されます。またすでにアメリカ産サクランボは、「アメリカンチェリー」として消費者に広く認知されています。
海外産農産物は、安い労働力、画一化されたシステムでのコストダウンや、為替レート等で、国内産よりも格安で日本国内を流通するようになります。生産者は、この価格競争の中で翻弄されています。しかし、果樹園経営側の私としては、単なる価格競争に参加しようと安易に考えていません。前述したように、農産物、とりわけ果樹は「消費者にとってゆとりの食料」であり、付加の要素がたくさんあるからです。
国内果樹は、大きな経済のほんの一部内でいかに消費者に好んで買ってもらえるかにかかっています。今後は、生産現場の状態や、品種特性、健康機能的付加要素などを消費者に十分理解してもらえるかを考える必要がありそうです。

【農産物は自然の恵み】
 スーパーにはたくさんの果物が陳列されています。消費者はどれにしようか迷う訳ですが、しかし、果物の知識が乏しく結果として「見てくれ」と「価格」のみで判断せざるを得ません。そこで、更なる情報提供しようと流通側が考えたのが、トレーサビリティーに代表される生産履歴や、表示です。
 確かに、細かなそれらの情報は、消費者が商品を選ぶ上で大きな判断基準を与えています。しかし、消費者の望んでいる商品(果物)は、食べた時の満足感であり、幸福感です。農薬回数や肥料等の開示は当然大切ですが、本来は、果物を食べた人にどのくらいの幸福を与えられるかではないかと思います。
 農産物は、言うまでも無く工業製品ではありません。陳列されているりんご全てに個性があります。消費者側も、自分達の食べる食料に対して、もっと興味を示すべきです。スーパーに溢れんばかりに並べられた果物や農産物の光景は、それは当たり前のようになっていますが、その裏には、多くの人が携わり、多くのエネルギーが使われている事を知るべきなのです。
 そしてなにより果物に限らず農産物は、自然の恵みである事を忘れてはなりません。金銭によって買ってきた果物や農産物は、本当は自然からの贈り物であって、銭には換えられないほどの「ありがたい」物であることを、もう一度確認する必要があります。
 そして、豊作豊穣が全ての人々にとって、心から喜べる社会であるべきだと思います。

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