8月 182006
 

 さくらんぼ繁忙で途切れていましたが、やっと最後まで「武士道―サムライはなぜ、これほど強い精神力をもてたのか?」を読破しました。

 約十年前、著名なベルギーの法学者、故ラブレー氏の家で歓待をうけて数日をすごしたことがある。ある日の散策中、私たちの会話が宗教の話題に及んだ。
「あなたがたの学校では宗教教育というものがない、とおっしゃるのですか」とこの高名な学者がたずねられた。私が、「ありません」という返事をすると、氏は驚きのあまり突然歩みをとめられた。そして容易に忘れがたい声で、「宗教がないとは。いったいあなたがたはどのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか」と繰り返された。
 そのとき、私はその質問にがく然とした。そして即答できなかった。なぜなら私が幼いころ学んだ人の倫(みち)たる教訓は、学校で受けたものではなかったからだ。そこで私に善悪の観念をつくりださせたさまざまな要素を分析してみると、そのような観念を吹きこんだものは武士道であったことにようやく思いあたった。

 この本はもともと新渡戸稲造が外国人に日本人の精神を理解してもらおうとして英文で書き、それを改めて翻訳した本です。文中に200を越える注釈があります。著者が数多くの英文書を読まれて引用しております。改めて著者が偉人であると私は認識しました。
 昔から日本では道徳教育というものを特別に行われていませんが、しかし、西洋よりもはるかに高い道徳性を持ち合わせていました。その根源は「義」を始めとする武士の精神が日本人の思考や社会行動に深く関わっていることは、私に限らず日本人であれば、誰しもが納得出来ることではないでしょうか。この日本人の社会性は、DNAに刻まれてもおかしくないくらい長い長い年月をかけて豊穣されたのもです。
 しかし、現代とくに戦後は「個人」が優先され、自分さえよければOKみたいな風潮や、役人の汚職、社会を破壊しかねない犯罪の多発、金の亡者の出現など、日本人が長い歴史で培った美しい道徳がどんどん破壊されています。
 この現代こそ、「武士道」を再認識し「日本人」として教育現場で教えるべきと私は思いました。

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