5月 242017
 

増毛町果樹協会は、24日15時より秋香園で現地研修会を行いました。

普及センターから、これまでの生育状況が報告され、おおむね4日ほど平年より進んでいるとの事でした。

この後恒例のお花見と称してジンギスカン。JA組合長や町長らも招いて親睦を図っております。

5月 232017
 

今年も交配にお世話になったミツバチを本日夕方果樹園地帯より搬出いたしました。

場所によってフジの花がまだ本調子でないのですが、役員の協議の結果本日の移動とあいなったようで、着果し過ぎを配慮したものとおもわれます。

今夕は暖かくなかなかミツバチたちが巣箱に入らず、19時頃からの作業で、終了した時は真っ暗になっていました。

5月 192017
 

私も所属している萌州沿岸塾は、19日18:00より苫前町ふわっとにて月尾嘉男自然塾を開催。東京大学名誉教授、自然塾長月尾嘉男氏を招いて公開講座を行いました。留萌管内での自然塾開催は3年ぶりかな。

私も途中までですが先生の講演に参加してきました。題目は「日本が世界地図から消滅しないための戦略」


ローマによって滅ぼされたかつての繁栄国カルタゴや、地理的有利性を活かして世界の貿易を席巻し衰退したベネチア、対抗したポルトガル・スペインの世界制覇の歴史を振り返り、現在の日本と多くが共通する。一方中国は膨張を繰り返しやがては日本をも呑み込もうとしている現状。
この現代の日本のあり方を正しく認識し、どう備えるべきか、どう対処すべきかとの大変濃いないようでした。

最後まで聞いてきたかった私ですが、FMもえる生放送のため7時頃退席し、残念ながら結論の所を聴けませんでしたが、世界的な視点で見つめる事や、紀元前からの人類の歴史にも目を向けるなど、大きな視野から現在を見渡す必要性を感じました。

【26日追記】

4月 262017
 

26日午前10時より、このほど増毛果樹園防除組合に導入したSS新車の運転説明会がメーカーから担当者が来て第一防除組合前で行いました。

増毛の防除組合と一法人で7台の新車がはいりましたが、「丸山」「昭信」製。でも1000Lのものは、製造は昭信でやっているらしい。お互いOEMでだいしているみたい。

各防除組合からオペレーターがあつまり、日頃のメンテナンスや運転注意事項など新免に伺いました。

3月 302017
 

道の補助事業でJAが窓口となり、各防除組合が追加購入したSS(スピードスプレヤー)の新車7台の合同お祓いが、30日午後3時より工藤農機で行われました。

5つの防除組合と1法人の計7台がこのほど導入されました。私どもの防除組合である第一防除組合は、キャビン付きとキャビン無し4WDの2台を導入しました。

高額のSSが新車で7台も揃うなんて、めったにない事ですが、増毛果樹の歴史の一ページである今回の瞬間であると思いました。

3月 132017
 

気が付くとずいぶん更新していませんでした。facebookではポチポチ書いているんですけどね。
さて、昨日今日は一日中の快晴。暑寒別岳もくっきりキレイにまぶしく見えていました。昨日は留守していたんで撮れなかったのですが、本日、うちの果樹園からレンズを向けてみると

それでズームしてみますと、おそらく昨日、バックカントリースキーなのかスノーボードなのかわかりませんが、いくつものシュプール跡がみえました。気づいた増毛町民いますかー?

右側斜面にも

岳の真ん中のこれはずいぶんの急斜面ですよー。危険じゃーないですかあーッ。相当の上級者と思われます。

1月 062017
 

果樹協会長でなくなって、私の肩書もないようなものですが増毛町新年交礼会に出席しました。1月6日15:00よりオーベルジュましけで行われました。

国歌斉唱の後、掘町長の挨拶などの後、立食パーティーの形で増毛町の各方面の方々に新年のご挨拶をおこないました。

1月 012017
 

みなさま、あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い致します。平成29年元旦は、曇りながらも降雪はなく穏やかな年明けとなりました。

暑寒沢では毎年の元旦に新年会を会館でおこないますが、私も暑寒沢の神社に初詣をして新年会に行ってきました。
昨年9月のお祭りの時に賽銭箱が盗すまれていることが発覚。その後も返ってきませんでしたが、H仏壇店のご厚意により新しい賽銭箱を置くことができたようです。
まぁ、今後は行事の度に中のお金は回収し、賽銭箱は大切に別の場所に保管することになっていますので、賽銭泥棒の犯人に告ぐ。再び盗難しようとしてもムダですので忠告しておきます。

12月 082016
 

12月4日をもって増毛線が廃止となりましたが、12月3日、4日にJRを撮ったので、その写真をアップします。撮影には私しか撮らないだろう場所、つまり近くは誰でも撮るだろうから、あえて列車から離れてしかも増毛の鉄路にとっては欠かせない港や海を入れるように意識して撮影場所を選んでみました。

12月3日の模様 増毛港より
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増毛港突端の赤灯台から望遠で朱文別や阿分瀬越を狙ったが、300ミリズームレンズでは貧弱すぎで、列車を発見できないまま夕方になってしまった。
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気が付くと引き返してきた列車は増毛駅に着いており、遠くばかり気にしていたオレの最大のポカであった。深く反省。
晴れていれば暑寒別岳が雄大に見えたであろうこの景色。もっと以前に撮っておくべきだった。
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暗くなった前日の増毛駅
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灯台の光線と重ねられるのもあと一日・・・・
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夜間の中歌。ヘッドライトも物寂しい輝きだ
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いよいよ12月4日、ラストランを控えて日中の模様

やはり暑寒別岳は曇って頂上まで見えなかった
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釣り人の背中も寂しく
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昔はあの辺まで砂浜の海水浴場だったかな?
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陸橋には大勢のカメラマンが撮影中
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これは赤灯台から望遠で狙った阿分神社通過の様子。昨日はこれを狙ていた
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阿分漁港に行って、増毛行きを撮ってみた。あとから気が付いたが阿分の墓地が写っていて、ご先祖様も最後の汽車を寂しく見ているのだろうと思うと、なんだか申し訳ない気がした
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阿分神社通過。プロのテレビ取材者らしき人影も
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海とトンネル。波が高い
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増毛港に戻ってくると、ほどなくして留萌行発車となった
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船と汽車、あえて白黒にしてみた
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上の白黒と対比すると、時代の変遷をしみじみ思う
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ライトラン一本前。霞でややぼけた三日月
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灯台の光跡と写したのはこれが最後の写真となった
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そしてラストラン一本前の列車は発車した
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12月 042016
 

12月4日、とうとう本当に最後の最後の最終列車が発車して増毛線はなくなってしまいました。
40年前高校通学で毎日お世話になった増毛駅も今日をもって廃駅となります。私よりもやや上の団塊の世代の方々が増毛を旅立つ時や学校の先生の転勤時など、列車発車の時「蛍の光」がホームに流されていた事を思い出す。
今晩、本当に最終列車を見送ることになり駅には多くの町民が集まり、暑寒アンサンブルによる「蛍の光」生演奏の中、ペンライトを振って見送った。

12月1日の模様 :abemaTV 

11月 232016
 

11月22日、いきなりの降雪。10月後半から「気温が上がったら倉庫屋根のペンキ塗り」と思っていたが、今年は全然小春日和がない。周辺はモノトーンの景色と化した。

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収穫しそこなった柿は凍ってしまった

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カラーの写真であることを証明してくれるのはナナカマドの実であった

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そして本日23日はマイナス6℃真冬日の新嘗祭の日となった。

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