9月 222007
 

 17年前、留萌在住だったエミーさんと再会しました。2007-09-22.jpg
 エミーさんはバプティストの布教で留萌に5年間在住。その間「エミーの楽しい英会話教室」などの講師も務めていました。私も社会人の部での生徒てした。
 ミエーさんは現在、サウスダコタ州に在住し、結婚して3児の母となっておりました。今回、昔の仲間達に会いたいと、旦那様を連れて来日し、このほど留萌に数日間滞在する事になりました。
 今日の夜、昔の英会話仲間とささやかな再会の場を開き、数名の出席者でしたが、昔話に花を咲かせました。この模様は留萌新聞の取材を受け、数日後のニュースとなるはずです。
 エミーさんのご主人は銀行へ務めていますが、なんとサウスダコタの州知事に立候補した経歴があります(The Constitution Party of South Dakota )。残念ながら知名度などが及ばす当選は出来なかったとの事ですが、政治への関わりはこれからもたぶん続けるとの事でした。

9月 012007
 

 今日のSTVラジオ日高晤郎ショーの朝のコーナーで、新農林水産大臣が就任挨拶で「やりたくなかった」と発言した言質を取り上げ、「やりたくなければ引受けるな」と激怒しておりましたが、私も全く同感です。この出来事は8月27日の記者会見での発言でした。農水省HP参照(真ん中あたり)

Q: 農水大臣ここまで2代続けて非常に異例な形で交代されたと思うんですけれども、そのポストに就かれたことについて、特別の感想、考えがもしお有りならお話していただきたい。

A: 前任者の様々な問題については私も関知しませんし、コメントをするようなつもりもありません。
一番最後まで残ったポストを私に割り振られたわけですから、「参ったな」と実は思いました。「ここだけは来ない方が良かったな」と思っているくらいでありまして
けれどもお受けした以上は、職員とも初心に立ち帰って、原点に帰って策定したことが実現するようにしていかなくちゃならんと。やはり混迷したり、いろいろゴタゴタしたりした時は何と言っても原点や初心に帰って一から出発していくということが大切であろうと。しかもこれは本当に日本の国益と農業の振興と食料安定供給、安全といったものに貢献できるものだというものであれば、自信と誇りを持ってこれは展開していかなければならんとこういうふうに考えておるところであります。

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あのね、前後の流れからしてそんなに過激に言っていないのですが、しかしね、これね、全国の農業者や農業関係者に対してずいぶんとがっかりさせた発言で、怒りさえ覚えますよ。「やりたくないヤツに大臣をやって欲しくない!」と叫びたいですよ。
 遠藤武彦HPはこちら(大臣就任というのにHPの更新はまだ無い)
 地元ブロガーの記事から見つけましたけど、この方の理念は
「地方がよくならなければ、国はよくならない」とあり、事務所には「森なき民は滅び、農なき国は滅亡する」とも書いてあるそうで、理念はすばらしいですけど、「やる気のない大臣が国を滅ぼす」って、言い返してやりたいと思いましたっ。
 こちらも参照Sasayama’s Weblog:やる気なき農林水産大臣であれば、即刻去れ!!

3日追記:今日、図らずも遠藤議員は大臣を辞任したニュースが飛び込んできました。もともとやりたくなかったポストですから辞任は本望と言ったところではないでしょうか。

8月 152007
 

 今日付の留萌新聞に9条の会が全面広告を出して、主張を訴えていました。紙面半分を氏名で埋めておりましたので、私の知人も何人か見つけました。ずいぶん大勢が護憲なんですね。以前、道新の取材を受けたとき、護憲の主張する団体は容易にたくさん見つけられるのだけれど、改憲を主張する「団体」は、なかなか見つからないと申しておりましたのを思い出しました。
 今、NHKで「日本の、これから」をやっていまして、憲法9条について護憲改憲の意見を紹介しています。
 今日のマスコミは全てと言って良いほど「悲惨な戦争を二度としてはいけない」の大合唱でした。それは全く正しいのですけど、それを説明するのに、「体験」を元にした身の回りの見地からの意見ばかりでした。もっと、例えばその時の国際情勢とか戦争後の国際的な姿とか、マクロで見た場合の「考察」が乏しく思いました。
 さて、終戦記念日の暑い今日、当果樹園では汗を流しながら雨よけハウスのフィルム下ろしをやっと終わりまして、今期のサクランボの収束を宣言したいと思います。ごくごく少々はありますが、人手も無くて、少量の直売のみとなりました。
 今年もサクランボをご愛顧いただきありがとうございました。

8月 092007
 

 今日、サクランボの出荷の一応の区切りのために「切り上げ」と称して、出面さん達と打ち上げをしました。明日からはレギュラーメンバーと一部の人達で、残ったサクランボの出荷など行います。
 それに先立ち、給料を支払うため銀行で、現金を下ろしたんですね。いつもは農協のお世話になるところですが、サクランボ代金が振り込まれている口座から直接現金化したのですよ。
 給料ですから、一万円札もいれば千円札や硬貨もいりますよねぇ。そこで金種を指定して下ろそうとすると、「両替による手数料」がかかるととがめられましたのですよ。まっ、例えばですよ、常識的に異常に何百枚と下ろされると在庫面など銀行側も困るでしょう。しかしねぇ、20枚を越えると手数料発生って、酷いんじゃーないでしょうかねー。この4月までこの銀行では両替は無料でサービスしていたのに、とても残念ですよ。
 私はガキの頃から「お金はお金」と言って例え1円でも大切にするように教え込まれたもんですよ。どうやら銀行さんは「お金は商品」と見なしているようで、「お客様のお金を預けさせていただいている」なんで思っていないんでしょうね、「預かってやっているんだ」と言わんばかりですね。
 例えばですよ、千円札で50枚預けたとしましょうよ。後に5万円を千円札で下ろすと手数料発生って事になりますよね。自分のお金をおろすのにいちいち手数料ですかいな。私は小銭の両替(百円玉50枚一本とか)は手数料かかってもしょうがないと思うんですが、口座からの引出にも手数料って釈然としませんよ。信金さん!

8月 082007
 

今野清次郎おじさんは、数冊の著述をしています。写真は我が家にあるおじさんの本の数々です。戦争中、饑餓の島「メレヨン島」からの生還を果たしたおじさんですが、メレヨンの英霊への鎮魂は生涯続けられました。全国メレヨン会では役員を務め、昭和54年には第4次慰霊墓参団に参加して、メレヨン島に再上陸をして、慰霊の旅を果たしております。

戦後は長くメレヨン饑餓戦没者を想いつづけた。毎年海山の幸として夏は桜桃を秋は生鮭を靖国の戦友へ供えた。

さて、彼の本は数冊あるものの、内容は似ております。これはプロの書き手ではないので、出す本が加筆添削等によるものと思いますが、基本的柱は、戦争でのメレヨンの出来事ともう一つは「ふるさと増毛」を想う二本柱です。
大正11年生まれ、別苅小学校高等科、増毛青年学校卒業後、軍へ入隊し帰郷後、増毛町農業委員・農共済組合長、農共副組合長、改良区理事長、増毛町議会議員、社会教育委員などを歴任されております。
特に増毛町がニシンで振るわなくなるので農業振興は欠かせないとして、中歌上の開田に尽力し、箸別川からの取水路を始めとする水田振興に政治的に力を注ぎました。しかし、工事の遅れ等から自らも開田事業をするも資金繰りができず、離町を余儀なくされました。
そのちょと以前、昭和30年と思います(年代が書かれていない)が、増毛町12代中江町長誕生の裏話が載っています。

全道農協青年部長会議が層雲峡朝暘荘で行われ出席すると、元町長中江庄三郎氏が恩給継続のための支配人をしていた。増毛の現況を語り、今後の行き方を一晩中語り合った。中江氏は最後に機会があれば、再度役に立ちたいといって別れた。黒岩尻電化運動に協力してもらい、八年目に追放解除になって深川で打ち合わせをした。中江氏に増毛に来てもらい農協に顔を出して、私は一汽車遅れて帰り、山形屋で落ち合った。町では中江氏が町長選に意欲があるとニュースが流れた。当時現職のバックは有力だった。部落の青年幹部に呼び掛け、町の現況を語り、将来の方向を話し合った。今の町生産力の比率を漁農、七分三分になる様に努力する等、町政の改革に協力する様、懇願した。別苅の川向之夫君、中歌の小林君、箸別の古村忠雄君に舎熊阿分幹部等多数の賛同を得て、徹夜して届出一番を得て選挙戦に突入した。若い人達はペダルを踏んで各地をかけ廻った。町長候補は四人で現職は優位、我が方は候補はよいがバックは弱いと評された。雄冬の舟入間に着くや高台に向かって中江、中江と叫び続けた。細い崖の道を杖をつかせて越し、岩尾(ヤマカ)旅館に着いた時は暗くなっていた。町議候補で正式に中江氏支持を表明したのは西方作松氏一人だった。

二度となるまいと思ったほど厳しい戦いで、最終二二五票の差で当選した。開票が終わって公会堂を出た時、東が白くなっていた。若い人達の力に感謝し、これからの町政を思い乍ら、皆の待つ事務所までの道は涙が止まらなかった。その直後、有力者から町長に対する進言を頼まれた。断ると今の町長は君の言う事以外は聞かないだろうと言われたが、私は公私の区別ははっきりつける信念は変わらなかった。

中江町長は上川町、鶴野木工場社長から、瀬戸の観音様をゆずられていた。捧持以来縁起がよいと毎月の二十八日は私を呼び、二人で供養したその折、日頃考えている三つの私案を話し合った。一つはは陸上の再開発、二つは漁もうすく耕地はせまい、人手が余るし仕事がないと人が減るので町民の働く場所の誘致、三つ目は留萌を通らないで札幌へぬけられないか、つまり袋地から抜けたい願望であった。古老から留萌と発展争いに負けた事を聞かされて育った私は、淡い夢を持ち続けていた。中江町長は行政のエキスパートとして直ちに反応を示した。留萌開発建設部を通して運動を起こした。部長からもらった特殊模様のネクタイを私に渡し乍ら、その都度運動の経過を知らせてくれた。上京では課長を交替で伴い大蔵省主計局に陳情を重ねた。常に「主計官を夕食に誘って来てくれるとしめたものだ」と言っていた。旧来型陳情方法である、五〇〇万円の調査費がついた時、これでいつかはこの道が抜けると喜び合った。

国道231号線、現在私は札幌へ行く時、大変便利に往来しておりますよ。

8月 062007
 

私の亡き祖父の弟、今野清次郎(千葉県)おじさんが先日、亡くなったと知らせが来ました。仙北家に生を受けましたが幼い時、別苅の家に養子になり今野の姓となりました。増毛町の議会議員経歴もあります。現在は千葉県在住ですが、誰よりも故郷増毛を愛し、憂い、慕っていたおじさんでした。亡くなる数日前、増毛に帰りたいと訴えていたそうですが、叶えられませんでした。
今野清次郎おじさんは、何といっても戦時中、敵の上陸なくして多くの日本兵が命を落とした「メレヨン島」からの生還者の一人。太平洋の小さな珊瑚礁の島に約7000名の派兵。しかし制空権制海権を失った日本は、彼らに十分な補給を出来ないまま、敵と戦火することなく饑餓により1年6ヶ月で約5200名が餓死したそうです。空襲も時折あったらしく、おじさんは「背が低かったので助かった」と、飛行機からの敵弾がかすめた体験も話しておりました。又、おじさんは一日100グラムの淡泊質を摂るように心がけて、珊瑚礁からカニを獲って食べていたとも語っていました。
メレヨン島は現在は「Woleai」と言うらしくGoogleEarthで検索すると一部欠けているもののずいぶんと拡大出来ました。この画像をおじさんに見せてやりたかったです。きっと涙を流して画面に食い入って見た事でしょう。当時の滑走路は現在も健在らしく、くっきり見えています。
おじさんは、この饑餓の体験を語り継ごうと、何冊も本を出し(ほとんど自費出版)ております。
とかく「戦争体験」がマスコミ等でとりあげられ、「反戦」や時には「反日」の材料とされておりますが、おじさんの著には、体験とともに戦争に対する「反省」を越え、大局的な見地から当時の西欧の帝国主義など国際情勢を加味した「考察」の域で書かれていると私は思いました。つづく

8月 012007
 

 今日の北海道新聞は酷かったぁ。例のアメリカ下院が日本に謝罪を求める決議「慰安婦決議案採択」を受けて、ここぞとばかり道新の筆が走っていました。もうあそこまで書けば、ジャーナリストとしての報道の枠を越え、自分達の主義主張紙面と化し、社説では「日本憎し」の反日プロパガンダ垂れ流し状態でした。社説子の日本国に対する悪意まで感じられました。
 下院決議は、実は出席者は10名ほどで、声による反論が無くてあっさり可決したらしいじゃーないですか。民主主義を声高にことさら叫ぶアメリカの決議がこんな少人数可決って、これこそ糾弾すべきなのに。こちら参照:東アジア黙示録さん
 こうして拘束力が無い決議は反日勢力にうまいように利用されていくんですね。こちら参照:きち@石根さん

 さて、打ってかわって今日付けの留萌新聞ですけれども、さる7月15日と22日に行われたイベント「さくらんぼ食べにおいday」について記者の感想が載っていましたので、ご紹介しておきます。(写真)
 とかくイベントと言うと、例えばえびまつりの様に公園など一カ所に集客する方式がありますけれども、今回の企画は、果樹園全体を網羅してお客さんを分散する考え方をしています。今後の展開はどうなるかこれから検討されますけれども、幾つかの果樹園をハシゴすると何か特典があるような、果樹園オリエンテーリング見たいな事もアイディアされるかもしれません。

6月 282007
 

 自動車運転免許の更新が近づき、更新案内葉書が届いていました。これまで何度も更新しましたが、いつもは旭川の免許センターに行って即日交付を受けていました。しかし今回は雨よけハウス等忙しくなってきたため、近間の留萌警察署で手続きをしました。
 午後5時頃「出頭」したんですけど、どことなく愛想の悪い受付窓口。まぁ、警察だから仕方ないかなって思いましたけど、申請書とか書かなくてもOKなのかぁと座って待っていましたら、気がつきました。
 窓口には「交通安全協会」。つまり更新の申請書などは協会が代書しておきますとのことなのですぅね。写真も持っていかなかったのですが、デジカメで撮ってくれました。
 お支払いは、更新手数料と講習料3500円、プラス協会費年500円*5年分(次回更新が5年後でもゴールドではない)、プラス写真代500円の計6500円かかってしまいました。協会からは安全運転に関するパンフレット、タオル、写真に写っていませんけど免許ケースなど頂きました。窓口のお姉さんは「ありがとうございました」と一応言ってはいましたが、全く心がこもっていないと感じました。出際に私が小声でしたけど「お世話様でした」と言いましたけど、聞こえなかったと見えて全くの無視でしたものね。
 「交通安全協会」なる団体の正体はいったい何なのでしょうかねー。どうも釈然としませんよねー。代書業務とかだったら警察署内でなくて別棟にあってしかるべきだし、協会費支払い義務があるのか判らないけど警察内だから文句も言えないまま言われるままに支払いましたけどね。私ら庶民には判りづらい構造となっていそうで、安全でなくて「闇然協会」だなぁとささやきながら、帰ってきました。

5月 122007
 

 夜のテレビが面白くないのでチャンネルをポチポチ回していたら、BS朝日の「東の太陽・西の月星 ?海の記憶は空を翔る・日本とトルコ117年の物語?」に巡り会い、最後まで見てしまいました。
 数多い親日国の中の一つ「トルコ」と日本の繋がりを描いた番組です。「エルトゥールル号」の物語や、イランイラク戦争時の邦人救出劇など紹介されておりました。私は、一応一通りの事は知っていましたが、時代背景とかがあやふやでしたので、再認識と言いますか正確な記憶の整理ができました。また、山田寅次郎の活躍も一部紹介されておりました。
 日本はアジア外交だのと称して、とかく日本を嫌らっている国と友好関係を持とうと色々やっていますが、それよりも親日国と友好友情を深めた方が、発展的だなっと思いましたね。トルコではエルトゥールル号の出来事は、教育として教えているようです。日本の教育でも、外国からの恩義は忘れないように教育しておくべきだなっとも思いました。今の教育は反日を先行しているように思いますからね。
 番組では、長い時間を割いて進められていましたが、残念なのは「再現ドラマ」が興ざめした事です。本人インタビューがあるのに、役者が再現するんですがセリフなどどう見たって脚色しているだろう白々しさ。飛行機に至っては機種もいい加減だし、夜の場面なのに昼の飛行画面だったりしました。テレビは「動画」を使うべきなのでしょうが、もっと上手にやってほしかったですね。
 こちらも参照まとめ:日本・トルコの友好関係
             2年前のエントリも参照、このフラッシュも見るように

4月 282007
 

 今日から世間ではGWが始まったとのニュースで、飛行機や新幹線の混雑が伝えられていました。明日は「昭和の日」であったり憲法記念日がやって来たりしますが、巷の庶民には関係なくただ休みが連続しているだけのムードです。
 しかし、今日4月28日は「日本の主権回復記念日」であることは、テレビや新聞などほとんど報じられませんね。
 さて、果樹園に咲いたエゾエンゴサクですが今年も白い個体を見つけましたので、写真に収めてみました。(去年の様子はこちら)あちこちの畑にエゾエンゴサクは咲いていますが、白い個体はやっぱり珍しいです。
<?別角度映像
 我々農家にはGWはあまり関係ないのですけど、労働組合の方はメーデーなどの行事があって、忙しい・・・・とおもったら、今日メーデーやっているところがあるんですね。RENGO
あれっ、5月1日にやるから「メーデー」ジャー無いの?4月中にすれば「エイプリルデー」になるべやっ。ケチ付ける気は無いのですが、このパンフ内に「5月1日メーデーを祝日にするよう求めている」って、だったらなおさら5月1日にやればいいのに・・・

4月 262007
 

 えー、本日の北海道新聞記事から。(写真クリックで拡大)「札幌から日本海沿いを車で約二時間、小さな町で果樹園を営む男性」は、私ですねぇ。
 文章を作るには限られた字数で簡潔に書きたくなるので、バサッと表現されるんですけど、ちょっと補足と修正を。

5段目>イラク邦人人質事件の時。(中略)彼は「批判を叫ぶ快感」に、いつの間にか浸った。

「批判を叫ぶ快感」ってのは違いますよ。「快感」なんて感じていません。危険を承知で入った「自己責任」を論じる側も理解出来ると思っているだけです。浸ったりしません。

6段目>「憲法を変え、狂った国に威嚇を」。三年前と同じ、過激な言葉と一刀両断の論理にひかれた。

これじゃー私がなんだか洗脳されていったかのようですね。「狂った国に威嚇を」で、ひかれますかねぇ。こんな言葉にはひかれませんよ。「憲法を変えて、自国は自国で守る」ならばひかれますけどね。私は何かに洗脳されたのではなくて、おそらく多くのネット右翼と呼ばれる人もそうだと思いますが、自分で調べて自分が納得して、自分で結論付けた結果が「改憲」だと思いますよ。

6段目>男性は大きな声で言った。「護憲に固執していないで、「こっち側」に来なよ。楽になるぞ!」

「楽になる」と言うより「楽しいよ」と申しましたぁ。「批判する楽しさ」の意味ではありくません。少し右側から見る事によって、これまでの疑問や見えなかったものが霧が晴れるようにいろいろ見えてくるので、大げさに言えば「知的欲求」が満たされるので「楽しい」と思うのですね。

最終段>「思考停止になっては駄目だ」と老学者。

あんたに言われたくない!とツッコミを入れておきます。

今回の記事では、私みたいな人は「危険な存在」のニュアンスになっていますけど、左派、右派どちらも「平和が一番良い」と思っているのは共通しているわけで、世界情勢が変化している中、平和の構築維持はどうすれば達成できるかの手法、思考が違うだけなんですよね。

4月 142007
 

 これは今話題の「なんとか還元水」では断じてありません。「白樺樹液」なのであります。あるルートでゲットしたものです。
 これまでカエデ樹液はちびちび飲んだことありますが、このようにゴクゴクと飲める量は初めてです。
 早速カップに注いで片手を腰にあてがって一気に飲んでみましたよ。
 「うーん、水っ!」って感じでした。ほのかな甘味があるといえばあるのですが、私にはほとんど無味でした。しかし、粘りがある感じでミネラル成分が溶け込んでいるんだなっと実感しました。
 コーヒーやご飯を炊く時の水代わりに使うと、おいしさが違うようなので、明日にでもドリップしてみようっと。
 それにしても世の中の右傾向化が心配だっ。

4月 112007
 

 「障害者」の「害」の字は社会に害となると受け取られるから使わないようにして「障がい者」って書くことにするとあちこちで現れました。じゃー「障」の字だってほぼ同意だもの「しょうがい者」って、書けばいいべやっ。
多摩市のではわざわざ「障がい者」表記にします宣言しています。こちら
 障がい者に不快感を与えないようにします。by障害福祉課
って、なんじゃこりゃー。「障がい福祉課」にすれよなっ。まさに言葉狩り文字狩りだ。
 「子ども」表記にも共通する思考回路は、左翼思考の方に多く見られますなぁ。
 漢字には罪はないし、難しい字でもないのだから、日本人ならばちゃんと漢字で書いて、その行政なり大人なりの責任を果たすべきだと思います。

4月 082007
 

 白洲次郎のプリンシプルのない日本を読みました。前エントリコメントで、「プリンシプル」は造語と思うと書いたのですが、調べましたらprinciple法則; 主義; 基本的な知識; 道義, 節操、原則、原理などの意味がちゃんとあることがわかりました。
 この本を読むともう一つ「筋を通す」とか「潔さ」ってのもあるんじゃーなかろうかとも思いました。
 前エントリコメントで仁左衛門さんが引用した「新憲法のプリンシプルは実に立派である。戦争放棄の条項などはその圧巻である。押し付けられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと素直に受け入れるべきではなかろうか」とありましたが、その一方で、こうも申しております。

この憲法を平和憲法だなんていってありがたがっている御連中は、おそらくこの憲法の出生由来を知らないのではないだろうか。占領中こういう政治問題を取り扱うGHQのある部局の幹部の一人は、この憲法草案が如何に出来たかということを自慢たっぷりに話す程不謹慎であった。又その部局のオエラ方の夫人は、当時休暇で日本にいた大学在学中の惣領息子が草案の一章か一項を書いたんだと親馬鹿流に公言していたということをGHQの高官の一人が、なげかわしく私に話したのをおぼえている
 マックアーサー氏が憲法で戦争放棄を規定したのは文化的の前進だとか、進歩だとか、はっきり何と云ったか忘れたが、兎に角大げさに自画自賛してたに拘わらず、中途から、戦争放棄を規定したからといって自衛権まで放棄したのではないなんて苦しい言いのがれをいわざるを得なくなったのも、この占領方針の転換の一つの表れであった。憲法をでっち上げたときには一つの考え方で、それを適用する時には別の考え方をしなければならなかった破目に陥り、色々と思わぬ苦労を重ね、又いまだにその苦労を重ね続けているのは一寸笑えぬ喜劇である。

 憲法の草案を作ったときは連合国による占領だったのに、運用段階でアメリカ単独占領と方針が転換されたが故の話しで、これは決してプリンシプルではないと思いますね。
 しかし、未だに憲法論議が繰り返されているのにいっこうに進んでいない今の日本の現状は「笑えない喜劇」ですなぁ。
 それはともかく、白洲次郎の頑固だけどかっこいい生き方には、多くの方が共鳴し、あこがれるんじゃーないでしょうか。

4月 072007
 

 毎月、通販の雑誌「いきいき」「ふくふく」が送られて来るのですが、その「いきいき5月号」に、白洲次郎の記事がありました。私も読んだ本「占領を背負った男」の著者、北康利氏のインタビューがありました。私は、現在この著書の参考とした本「プリンシプルのない日本人」をただ今朗読中です。
 その前記事には、全国の中小企業経営者のカリスマ、偉人である京セラ会長稲森和夫の記事もありました。こちらは著書「生き方―人間として一番大切なこと」も紹介されていました。こちらの本も私、ただ今朗読中です。

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