12月 212005
「神様」の話。昨日は同級生Kとパソコンの相談をしながら「神道」について一方的に語ってしまいました。
山には「山の神様」が居るし、海には「海の神様」が居る。川にも「川の神様」が居る。ガキの頃からそのように教わり、我が家の横を流れる「永寿川」(写真)にも神様は居るのだと信じていたし、今でも変わらずそう思っています。だから、川にオシッコしたり汚したりしては神様が怒って「バチ」が当たると戒められたのでした。
人間は死んだら「仏」になるけれども同時に「神様」にもなるという、他の世界からみたら矛盾する考え方も日本人は受け入れられます。
いたるところに神様が居るので、キリストの神様が来られても、イスラムの神様が増えても全く問題ないし、むしろたくさんの神様同士で仲良くやってくれたらむしろ喜ばしい。だから、日本人はキリストのお祭りであるクリスマスも心からお祝い出来て、ケーキも美味しく頂けるのでしょう。
前にも一度書いたのですが、この神々を信じる日本古来の「神道」は、まぁ、宗教のカテゴリーには入るでしょうが、他の世界に見る「宗教」とは違い、「宗教では無い」ともいえます。宗教であって宗教でない。この矛盾を私のレベルではなかなか説明できないのがもどかしいと、思っていましたが、こちらのブログで、判り易く書かれていますので、ぜひお読みください。「釣りキチおやじの言いたい放題」
小生のブログを紹介していただきありがとうございます。
本来人間は利益にならない、怖い、痛い、無駄な争いはバカバカしくてしませんが、通常、宗教が絡むと「死んで花実が咲く」と思い込み、命も進んで投げ出す人たちもいて凄惨な結果を招きかねません。
様々な神々の存在を容認するこの神道が世界の宗教の主流であったならば世界で起こった戦争の大半は無かったであろうと思い、どうにかして神道を世界に広められないものかと、神主でもない小生がおこがましくも夢みる次第です。
靖国神社の合祀は、日本の文化
中国等では、死んだ人間に対して恨みがあるとその死体を切り刻んだり、唾を吐きかけたりする風習があると聞く。
しかしながら、日本では、そのような風習は無く、…
神道のような考え方でしたら、世界の紛争の大半はなくなるでしょうねぇ。このような文化を世界に広めると良いでしょうが、その前に、日本国内でもっと「良き日本文化」を再認識する必要があります。日本を(特に戦争前を)極悪のごとくにのたまわう人が多すぎます。