4月3日午前10時48分日高晤郎さん永眠のニュースが各メディアを通じて流れた。私はSNSで午後になって知った。7日の土曜日にはSTVで追悼番組が放送された。
私はここ2年位前から政治社会情勢の情報番組を聴く機会が増え、日高晤郎ショーからは離れていた。でも晤郎さんの並はずれなストイックさ、ラジオへの真剣な取り組み方は好きだったし、尊敬していた。
私が初めて晤郎さんの声を聴いたのは約36-7年前、ようやくトランジスタラジオがポケットサイズで販売されるようになった頃。当時はNHKは良く聞こえたが、HBCやSTVラジオは札幌送信所からの電波で、増毛では非常に弱くHBCは雑音まじり、STVはさらに弱い状態であった。
私はポケットラジオを胸ポケットに入れ、わずかに聞こえるHBCラジオを仕事しながらよく聞いていた。金曜日の10時頃だったか、HBCで「斉藤せいほうショー」?だったか、悩みを解決して占う「節分過ぎればまた日は昇る!」とフレーズの超人気番組があった。私も当然聴いていたのだが、ある時何気にチューニングをSTVに合わせると(当時は頻繁にダイヤルを回さないと聞こえなくなるので)元気て早口だけどはっきりとしパキバキした声が聴こえてきて、それが日高さんだった。それ以来金曜日にはSTVに合わせるようになっていた。30年位前かな、留萌にも送信所ができ、増毛でもHBCやSTVが強い電波ではっきり聞こえるようになり、益々ポケットラジオを忍ばせて仕事をするようになった。
日高晤郎ショーはまずは9-16だったかわすれたけど、やがて現在の9時間生放送となった。
晤郎ショーでは「駆けつけ3曲」「千秋幸雄のクイズでよいしょ」、キーワード3つ共通の曲が流れると視聴者に10万円があたる「ミュージックビンゴ」など懐かしいプログラムがあったなあ。また、笑いあり涙あり感動ありと、日高晤郎ショーは毎回楽しみに聴くようになっていた。
つづく