12月 212004
Googleで「川南鉄工」と検索してもなにも出てきません。会社としてのHPはありませんが、「川南式」とかの言葉すら誰もHP内の言葉として使っていないようです。しかし、東北・北海道の果樹業界で多大な功績者とも言える方なので、私のブログで是非書かせていただきます。
川南さんは余市町で、川南鉄工株式会社の社長です。果樹業界はなかなか機械化が進まなかった昭和33年、農薬散布するスピードスプレヤーを作り上げ、現在では、エンジンを走行専用・散布専用の2台を搭載し、しかも小型特殊としても認証まで受けています。工場は、単なる町の鉄工所でありながら走行する機械まで作り上げたのです。
川南さんは、創意と工夫の人で、トラクターの後部に付ける草刈機も考案。さらに進化させ、出っ張りの回転刃が木に当たるとスイングするタイプの機械もつくりました。また、サクランボの雨よけハウスをいち早く提案しました。
北海道の一大果樹産地である仁木・余市町で、果樹園の事情にあった機械を次々と考案し製品化していきました。その機械は、果樹産地各地で使われ、道内のみならず東北でも使われております。
川南さんは、いつも穏やかでニコニコしていた印象しか私にはありません。今日の通夜は余市町でしめやかに行われました。参列者は、おそらく300名を越えていたと思います。道内の果樹産地からも来場されていました。インターネットでは彼の記事は検索されませんでしたが、道内の果樹業界とって、大きな功績を残したと私のみならず、参列者の多さがそれを物語っています。
川南力(かわみなみちから)さん享年74歳、心からご冥福をお祈り申し上げます。
増毛から余市にまで通夜に駆けつけるほど、北海道の果樹産地に対する貢献が大だったということですね。
また、川南さんは果樹農家の意見をよく取り入れてくれ、川南式SSは毎年のように改良が重ねられているのも、支持されている要因だと思います。
葬儀場には、供花が飾られていました。数が多く会場入り口にもずらりと花が並らばれていましたよ。
初めてこの方のことを知りました。すごい人がいたもんです。元祖スピードスプレイヤーの産みの親なんですねえ。感服。
スピードスプレヤー(SS)は、元々はアメリカ(たぶん)で作られ、しかし昔はトラクターで引っ張る「牽引」タイプでした。それを自走式に改良し、しかもエンジンを2基搭載させたのが川南さんです。最初の頃は本当に小さな町工場だったんです。
突然失礼します。偶然、このブログを発見し読ませて頂きました。
とっても驚き、且つ、私のおじのことをこんなにも評価して頂いて胸が熱くなりました。
私は川南のおじさんに小さな頃から可愛がられ、(自分でいうのもなんですが)本当に良くしてもらいました。残念ながら、おじさんのお葬式には出席出来ませんでした。(アメリカ在住のため)
あのスプリンクラー、懐かしいです。
有難うございます。
美佳