余市町登地区の庭田親雄氏が11月24日死去され、先日のお通夜に余市へ行ってまいりました。享年88歳でした。現在の増毛ブドウ栽培などのきっかけとなった人物であり、現代果樹栽培の先駆けであり功労者でもありました。
庭田さんは大正10年余市町登地区生まれ。若き頃にりんご栽培の先進地青森へ何度も足を運び、論理的なりんごの剪定技術を習得し実践、またそれを道内に伝達した人です。それまで剪定は漠然と大雑把な切り方でしたが、樹の生理を理解し「理屈」をもった科学的な剪定を広めたのです。例えば垂直に伸びる枝に果実はなりにくいのですが、縄で引っ張りって枝に角度をつけることにより花芽ができて果実を成らせることができる「誘引」の技術を広めたのも、庭田さんの功績が大きいと思います。何を隠そうこの私も庭田さんから剪定を学んだ一人でございます。
約35から40年前(詳しい年代は私は分かりません)、余市では最新栽培技術をもつ庭田さんを慕う果樹園主がいつしか集うグループが出来ました。その名を庭田さん名前を取って「親果会」。親果会は会員の親睦をはかりながらりんご栽培の研究実践をしていきました。
一方増毛では、庭田さんを招いて剪定講習会を開催しています。(剪定は当時も現在も流派がいろいろあって、「庭田式」などと呼ばれています)
りんご一辺倒だった果樹栽培は、りんご価格低迷により他の果樹への移行が余儀なくされます。その一つがブドウ栽培です。しかしブドウは多収量を得るには棚仕立てが必需でした。多雪の北海道では、他県の樹形では棚が雪の重みで壊れる心配がありました。そこで、秋の剪定後、ブドウの樹を棚からはずして地面に下ろす樹形「一本仕立て」を親果会メーンバーはいち早く導入しました。りんご専門だった庭田氏はブドウ栽培に否定的でしたが、ある時から人一倍熱心にブドウにも取り組むようになりました。
増毛から家の親父ら3名がブドウ栽培を学びに行きます。そして約35年前、増毛で棚仕立てによるブドウ栽培が始まりました。正に増毛での本格的なブドウ栽培のきっかけは親果会の存在があったからです。
親果会はその後だんだんと活動がなくなっていきますが、当時の親果会メンバーは現在でも果樹栽培のリーダー的存在となっています。
庭田親雄氏をインターネットで検索しても出てきませんが、果樹界に与えた多大な功績を称え、私の判る範囲で書かせていただきました。庭田さんのご冥福を心よりお祈りいたします。合掌。
11月 272008