8月 302006
 

 今年4月NHKテレビ「その時歴史が動いた」で白洲次郎の番組が放送され私も見ました。ジーンズをはじめてはいた日本人、マッカーサーにも怒鳴りつけた日本人など番組導入部は印象的でした。しかし、テレビは次から次へとところてんのように押し出され、細部にわたる番組内容は今ではあまり覚えていません。
 しかし、ひょんな事から白洲次郎とは遠縁の遠縁であることが判りました。私の叔母さんの嫁ぎ先が遠縁であると6月の法事のさいに知ることになりました。じゃー、それ読んでみようと取り寄せたのが白洲次郎 占領を背負った男です。
 白洲次郎は日本人にはあまり知られていませんが、戦後直後のGHQ占領から講和に至るまで、吉田首相の側近として通訳などを務めた人であります。現憲法の成立顛末も書かれています。二度とアメリカに刃向かうことのないように作られ押しつけられた「憲法」。日本人の歴史や文化をまったく理解していないデリカシーのないアメリカ人が考えた現憲法であることも書かれています。
 「つよい国とやさしい国どちらが好きですか」なんて言ってないで、戦争放棄は放棄でよいから日本人による日本人の憲法を早急に成立させ、しっかりと独立国としてどこの国とも対等に外交せよって思いましたよ。憲法改正は今後首相交代後に盛り上がるでしょうけど、現憲法を土台とするのではなく、白紙からまたは先人の作り上げた明治憲法を基礎に刷新して欲しいです。
 サンフランシスコ講和条約の際、首相の署名を吉田茂は用意されたペンを受け取らず、胸ポケットから自分のペンを取り出してサインをしています。この部分は私、不覚にも高ぶりましたよ。その後の首相演説の原稿、白洲次郎は下見をさせられるんですが、外務省が作った文はなんと英語で書かれていた。白洲は激怒して「日本人なのだから日本語で話すべきだ」と急遽、裏方総勢で書き直す。清書する時間もなく和紙に書かれた文は、文字の大きさなどバラバラであったが、それを繋ぎ合わせて巻いた。アメリカ人からは日本のトイレットペーパーと揶揄されたが、首相は堂々と各国の前で演説を終えることが出来たのでした。
 白洲は日本のいち早い経済復興には貿易が欠かせないと通商産業省を創設させ、現在の経済繁栄の礎となりました。
 GHQは、本国に「従順ならざる唯一の日本人」と報告しています。次郎はあくまで対等に渡り合っています。白洲次郎の「かっこよさ」の原点は武士の精神が根底にあるような気がしました。昭和の凜とした侍が居たのだと私は感じました。
 平成の現在、憲法や外交がますますクローズアップされるでしょうが、是非この本を読んでから議論して欲しいものです。

  2 コメント

  1. 凄いご親戚が、いたんですね。私も彼の事は、NHKの番組を見ましたので知っていました。こんな日本人は、今後はあまり出ないかも知れませんね。

  2. benさんにも是非読んで欲しい一冊です。不覚にも三カ所ほど涙腺がゆるみましたぁ。

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