9月 132004
前回は大変綺麗事でしめっ繰りました。しかし、現実は本当は厳しいと思います。資本主義の宿命ですが、私たちも営利目的のためですから、「落ちりんご」が安く売られて盛況と言っても、そう喜ばしくはありません。落ちたりんごを拾い集めるのも「手間」がかかります。それを運ぶのにも運賃がかかります。詰めればダンボール代やビニール袋代も要ります。販売すれば消費税が発生します。落ちたりんごがそのとき0円でも、集めて販売すればコストがかかり、ともすると原価割れになるのです。スーパーなどの販売者の、落ちたりんごがいくらかでもお金に換えられればとの気持ちはありがたいですが、はたして採算となると疑問も残ります。 これを見越して初めから拾わない果樹園もありました。
かといって、落ちたりんごを草刈機械で粉々にしてしまうのも「罪悪感」もあります。食べるものを粗末にするとバチがあたると教わっているからかもしれません。しかし、営利からするとその方が合理的です。
「食べるもの」に携わる人や、また食する人は、どこかしら「お金」では換えられない精神面を持ち合わせている必要がありそうです。
BRICS(ブラジルロシアインド中国)の動向が注目されていますが、世界人口増加すると「食」はどうなるのでしょうか。「食べ物」を粗末にする人種は近い将来バチが当たるのは確実と思います。単なる経済活動だけで「食」を語ってはいけないと、落ちりんごを見て思いました。