5月 192005
暑寒沢を貫く2本目の路、錦道路。我が家の裏手あたりに「りんご栽培の父 藤原筆吉翁の碑」があります。増毛で果樹の栽培が始まったのは明治の始め頃だそうだが、藤原氏はこの暑寒沢の大地主でもありました。増毛町教育委員会が増毛町史跡指定して立てたこの杭状の看板裏には、こんな事が書かれています。
明治六年に渡道した氏は精米業を営みつつ現在の暑寒沢を開拓していった。又増毛の地に初めてリンゴ栽培を試み今日の隆盛の基となった。この碑はりんごの父としての功績を称え大正十一年八月に建立されたものである。
指定年月日 昭和五十八年七月二十一日
指定番号 二十八番 増毛町教育委員会
一反ほどの広さの雑木林の中には石碑とお堂などがあります。私はガキの頃から、少々不気味さもあってあまり立ち入らなかったのですが、ここは今では藤原家の唯一残された私有地となっています。中の石碑には辞世の句が彫られています。しかし私には正確に読めませんけど、「大正」と「天湯果園農夫 藤原栄?」、石の右横側には「払罪 切労兵(?)藤原筆吉翁の記念」と彫られています。
近所で育ち住んでいるのに、この碑のゆかりを詳しく知らない私が紹介するのも何なんですが、増毛果樹の原点がここにあります。
弊社の取締役副社長は増毛出身で藤原と申します
此の碑文に関係があるように思えてなりません
もう少し詳しい資料があれば何かのお役に立てれると存じます