3月 242006
 

 昨日夜に「増毛町まちづくり町民会議」が開かれました。私は、JAの総会前地区別懇談会がありましたので、町民会議へは遅れて参加しました。
 町民会議の最終報告書っていいますか提言書「自主・自立まちづくり改革案」は、最終の段階に入っていて、文章の言葉遣いなど細かな修正に入っています。しかし、会議のはしはしには、町議との衝突したやるせないメンバーの嘆きがどうしても出てきます。
 さて、前回3月14日エントリにdositaさんより度重なるコメントを頂きました。
 今回の我々からの提言で、一番物議をかましたのは議員定数の大幅削減でした。現行14名から我々は8名もしくは9名に削減すべきと提案しました。しかし先の町議会で「民意を反映して2名減」との我々が春から予想していた軽微な削減を可決しました。
 日本人は他と比べることでその説得力を増すクセがありますから、あえて比較しますと、これにより増毛よりも人口規模の多い羽幌町と同定数となるわけです。
 しかし、実際に財政の軽減としての議員削減は実効性は薄いのです。増毛町の場合、議会議員に掛かる財政負担は全体の1パーセント程度なので、例え半分にしたところで、たいしたこと無いのです。ですから、私は何回も「町民全員の意識改革」のきっかけとすべきと訴えて来たのです。
 ここへ来て、数人のメンバーが飲んだ席とはいえ町議と激論を交わしても、議員さんと我々の溝は深まる一方ですし、役場内でも町民会議を企画するセクションが浮いた存在だったりと、現状は町民がそれぞれ遊離しております。これは全く我々の意志に反する事態であって、はやいとこ町民一丸となる意識統一が必要と思われます。

  12 コメント

  1. 新しいエントリーをつくることになってしまって、ずしりと責任を感じてしまいました。口は災いの元。何も言わないで黙ってROMしていれば楽だったのですが、片や町を良くするために何かをしようと懸命に考えている人がいて、対抗して無気力、現状維持、そのうちなんとかなるさという人がいるのを見ると、つい、口が出て(いやキーボードに手が出て)しまいます。

    増毛町の議員さんも、町民会議の人も、役場の人も多分根っこは同じ事を考えているのではないでしょうか。きっと、増毛町がテレビなんかで話題にでもなれば、みんなにこやかになるのではないでしょうか。今、増毛に住んでいる人は増毛が大好きな人達ばかりだと思います。

    苦しいからと言って、借金をして何かをするタイミングでは今はありません。みんなで生き残ることを考える時だからです。
    予算を減らす為に人を減らしていくと寂しい町になってしまいます。じゃあどうすればいいのかですが、私はこう思います。町の皆さんに増毛の為に本気をだしてもらうのです。

    買い物は留萌や札幌などの町外でなるべく(できれば絶対に)しないことです。少しぐらい高くとも、手にはいるのが多少遅くなっても、増毛町民であれば、増毛町内の商店やサービスを利用することです。
    そして、気に入らないサービスには遠慮無く苦情を言ってあげて、お店の人と一緒になって良いサービスにしていくことです。あの店が良くなれば自分の住んでいる町が必ず良くなるはずです。

    今はネット時代です。世間の価格もサービスのレベルも簡単にわかります。必要なサービスや欲しいもの情報を黙っていないでどんどん提案してあげることです。
    このブログにだって匿名なんですからどんどん書くべきだと思いますね。

    町中の人がネット購入や町外購入を町内商店に切り替えることになれば、町の雰囲気は変わってくるはずです。そうやってお金が入ることになった町内商店の人も、そのお金を持って札幌に遊びに来ないでください。

    札幌駅周辺で買い物をしてもそのお金は大半が、関西圏や首都圏や中国に流れていってしまいます。増毛町内で消費することだけを真剣に考えてください。

  2.  町民会議で議員定数削減は、一番インパクトがあり新聞にも取り上げやすい象徴的な項目でした。まぁ、議員定数は議員さんで考えていただくとして、他にも重要な要素が産業活性でしようね。
     自主財源が1割とはいえ、如何にそれを増やしていくかも問題です。町税滞納者もおりましてその収納率向上の工夫も訴えさせていただいていますが、そもそもの地元産業が活性しないと経済が向上しませんね。消費税5%の内、1%は地方消費税として町に入ってきます。ですから、町内で何かを購入すればそれなりに町財政に貢献します。
     また、doditaさんお見通しの通り、商店関係が一部のコンビニを除いて全く元気ありません。これはやはり何とかしなければなりませんねぇ。多少不便でも愛想悪くても、小ブロック経済と言われようとも、町内でお金を回す意識を高めなければならないと思いますよ。
     大工さんなどは地元に優秀な人がいるのに、大手ハウスメーカーで新築する人も多いのですね。そこでまちづくり会議では、地元業者を使った場合の何がしらかの優遇を与える(例えば取得税の減額など)提案もしてます。これらのことは、小さな増毛町内に限らずマクロで見ると北海道全体にも言えることかも知れませんね。

    >札幌駅周辺で買い物をしてもそのお金は大半が、関西圏や首都圏や中国に流れていってしまいます。増毛町内で消費することだけを真剣に考えてください。

    これ、しみじみ浸みます。

  3. 増毛の風景も増毛の人も、増毛の風土の重要な構成要素です。人がふるさとを思うときは、それは風景ではなく風土なのです。

    住む人が居なくなってしまった山河を眺めたとき、人は懐かしく思うことはあっても、寂しくなってすぐそこから逃げ出したくなります。私は子供の頃育った空知地方の炭坑住宅街の跡地を訪れたときにそう感じました。

    だから私は

    増毛で生活している人が、他の増毛の人のことを大事に思わないで、増毛を語る資格は無いと思うのです。町内で生きる人のことを家族と同じくらいに大切にしてください。家族ならば、相手がどんなに悪い人でも何も言わずに受け入れるはずです。人を愛し郷土を愛するということはそのくらいの覚悟がまず必要だと思います。

    町民会議の人が町会議員の人のことを問題にされていましたが、反対に相手のことを好きになってみてはいかがでしょうか。議員の人たちも全ての増毛の人のことを大切に思ってみられてはいかがでしょうか。

    都会では絶対にあり得ない魅力的な風土が構築できるはずです。都会で暮らす人々もそれが欲しいと思っています。
    厳しい増毛の風土で育った仲間達ですから、それは簡単なことだと思いました。

    どうか負けないでください。

  4.  doditaさんのコメントのおかげで、この拙文ブログに厚みが持たらされます。本当に激励ありがとうございます。
     町内が遊離したとしても、また例え喧嘩していたとしても、町内に住んでいる住民同士は運命共同体ですね。まぁ、意見が合わない「分からず屋」をいきなり好きにはなれませんが、町の構成員であるのですから厳しい時代を共に切り開くしかありません。
     幸い、町議や役場や我々町民会議の向かっている方向は自主自立など同じベクトルなので、多少の意見の不一致や手法の相違があっても同意する部分も多々あります。今後とも議員さんや一般町民に私や我々の考えを訴えて行こうと思っております。

  5. 都会でお金がないと寂しい生き方になってしまいますが、お金があっても欲しい物が売っていないのなら、それを魅力有る人間の育成や文化財の保存に力を注ぎ、増毛の風土を構築されてはいかがでしょう。地元に住んでいると増毛の魅力が探せないのかも知れませんね。であるならば、画家を招いて彼らに良いところを探して貰うのも一案です。また、1人分の人件費程度をマシュケ大賞として毎年提供し、コンクールを開いて若い人の作品を買い上げるというのも良いかも知れません。夕張のような映画祭をやるのは大変だと思いますが、絵画や彫刻などのコンクールならば、作品も後世に残せますし、増毛町の大切な財産になると思います。

    彼ら芸術家の目を通して、何がすばらしい物なのかを探して貰い、それを作品にしてもらって大切に保存するのです。風景であったり、人であったり、ものであったり、無形のものであるかもしれません。1年に1点探してもらって、100年も続ければ100点のすばらしいものを残せることになります。入れ物はそんなにこらないで、増毛の風景に合ったものでよいと思います。

  6. 増毛の魅力を絵画に求めるとはさすがdoditaさんらしいですねぇ。増毛には絵書がうまい方が数名おりますし、道展クラスの方もおられると記憶しております。
    増毛絶景ポイントは私なりに何カ所かあります。一昔前「ふるさと創生資金」制度の際に、私はこの絶景ポイントに写真を撮れるような記念写真ステージみたいな施設を作ってはどうかと提案した経緯があります。もちろんその時は完全無視されインディアン水車になりました。
     私は今でもその構想は密かに持っています。夕日とか、暑寒岳、ローソク岩、雄冬水平線など撮影時刻にもよりますが、都会には絶対味わえないし他の観光地にも劣らない絶景の財産を増毛は持っていると思っております。まぁ、昔から私の意見は突飛なあまり、虐げられており、このアイディアも今まで封印しておりましたがdoditaさんのアドバイスで思い出してしまいました。
     自然と芸術が融合する景色なんて、きっと何よりも替えがたい贅沢品かもしれません。

  7. dojitaです。
    たかが絵のことですから、誰も声を出さないのかもしれませんね。でも、人類は感激したことをまず絵にして残したことを考えてみても、アートとはもっとも基本的な大切なものだと思います。
    優れた画家の作品には、描かれた対象物を通して哲学が仕込まれています。増毛の風物をとおして、そこに住む人たちの心を世界に紹介していくことができれば、30分のテレビ番組になって紹介されるよりもはるかに長いあいだ人の心に残ります。そんな増毛のことを絵画にして世界に情報発信しようと挑戦している人が既に住んでいるのならば、条件は一つクリアされていると考えて良いかもしれません。

    次にやはり文化交流が大事です。他の地区(首都圏など)に住む画家にもきてもらって描いてもらうのです。よその人の見方に地元の作者が触れることで新しいものが誕生します。そんな地道な努力を続けていかれると良いのではないでしょうか。

    富良野にたった一人の有名な作家が移住しただけで富良野盆地は大きく変わってしまいました。そうしたクリエイティブな人達が住んでも良いと感ずるような、心の広い人達がいる増毛であれば、きっと良い方向に向かうのではないでしょうか。
    建物一つつくるよりも大切なことを見つけてくれるはずです。

  8.  芸術に心を配る事は私も大切だと思います。増毛の場合生活に必死でそれどこでないと言われそうですが、芸術の発信はおもしろいアイディアですね。絵以外でもリース飾りを制作している方もおります。
     まちづくりに限らず、まぁ、原案や決まった事に文句言う事は非常に簡単なことです。しかし、本当は何も無い状態から何かを作り出す或いは発想出来る人が大切にされなければなりません。そういった人やアイディアを伸ばせる度量がリーダーに持ち合わせてほしいと思いますね。

  9. 最後に一言。

    これだけ好き勝手なこと書いていても、増毛の人はsenbokuさんの他に誰も声を上げませんね。
    ブログのこと片方向通信のテレビ放送と間違っているのではないでしょうか。それとも、右翼ブログ風になっているから、怖くて尻込みした人も多いかな?

    残忍な犯罪を犯す人ほど見かけは「優しい人」という記憶はありませんか。テレビや新聞を見ていると「え?まさかあの人が」というようなことってたくさんありますよね。反対に強面(こわもて)の人に実は心の優しい人が多いように私は思うのです。

    他人に厳しくする人は自分にも厳しい人です。
    責任を負うと思うとどうしても妥協できず、表面上怖い顔になってしまうのかもしれません。強面の人には責任逃れをしない本当に勇気のある人が多いようです。

    反面、優しい人には優しくしなければならない理由というか何か下心のようなものを感じることがあります。豹変する人はこんな何かを持っているように思うのです。
    優しくしてくれるからと言うだけで結婚して「こんなはずじゃなかった」という女性の不幸話はいっぱい耳にします。

    このブログのように自ら進んで、堂々と強面を振る舞っている人には下心は全くないと思います。増毛の人達も、見かけが強い人や、いわゆる取っつきにくい人、反対意見の人などと堂々と話し合えるようであって欲しいですね。

    たいへん失礼しました。

  10.  doditaさん、いゃーどうもお褒め頂いてありがとうございますぅ。このブログやHPにも私の氏名住所入りですので、かなり抑えて書いているんですね。匿名ブログだったら、もっと過激な右翼表現になっているはずですぅ。
     増毛の人も何人かはこのブログに訪れていると思いますが、まぁ、論陣張るだけの資料を持ち合わせていないか、そこまで興味が無いのかも知れません。立場上(役場職員とか)書き込みできない方もいるはずです。
     それにしましても、まちづくりに関しては町民みんなが声を上げるべきでしょうね。「誰かが勝手にやっている」なんての無関心派が居るのであれば、リーダーにやりがいも無くなるだろうし、町の将来はありません。

  11. 天は自ら助くるものを助く。一生懸命考えていたら、きっと良い知恵が浮かんでくるかもしれません。あきらめずにがんばってください。

    古い、と言ってもつい17年ほど前の話ですが、根室市で1年ぶりに尋ねたお宅。門が閉ざされていたので隣家に聞いてみたのです。そうしたら返ってきた言葉は
    「あぁ、お隣さんはもう内地に引き揚げたよ」
    わたしは愕然としました。
    蝦夷地は確かに外地だったかもしれませんが、戦後44年も経った頃です。北海道はもう外地ではないはずです。

    私のように子供の頃から北海道で育ったものにとっては、どんなに厳しくともこの地がふるさとなんですが、大人になってから移住してきた人にしてみると今でも外地という感覚があるのかもしれませんね。

    このような出稼ぎ感覚があるうちは、ふるさと意識、郷土愛は育たないのではないかと思いました。果樹園を営み、増毛の風土と直接対峙している人と、ビジネスの都合で増毛に住んでいる人とでは、同じ増毛を語っても異なって当然でしょう。

    増毛でなければならないものがあるのかないのか。強烈な個性をもつ町をつくることが生き残るすべなのかもしれませんね。

  12.  増毛町民は「浜言葉」が中心的に使われていますので、本州の事を「内地」と言ってしまう人は多いです。しかし、「引き揚げた」とは言わないでしょうね。せめて「引っ越した」と言ってほしかったですね。
     「増毛らしさ」を出そうとすると、乱暴に聞こえる浜言葉がじゃまして、下品さを印象させる危険性がなくもないです。まぁ、受け止める人にもよりますが。
     町の独自性や特色をどのようにアピールしていくかが、課題でしょうねぇ。増毛の場合はその要素は歴史や自然などたくさんあるはずなんですが、地元民には気づかない事も多いと思います。
     行政の財政悪化は、全国どこの市町村でも深刻なはずですが、他の市町村ではどうしているのでしょうかねー。

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