7月 282013
 

道新は、精神の薬を飲んで寝ろー。サクランボは幸せの果実だ。軍靴の音が聞こえるようなら、サクランボは食べない方が良い。見ないようにした方が良い。せっせと雪の有るうちから剪定だの春は交配にやきもきしてやっと実ったサクランボ。それを戦争と結び付けてしまう思考回路は、もうや末期的な精神的病という他ないだろう。
 数週間前、札幌で生徒が給食で出されたプラムの種をのどに詰まらせて亡くなった事故があったが、教育委員会はプラムを献立から外した。それについて生産者としてどう思うかと、道新の記者から携帯に電話があった。その時は、生産者として「人が亡くなった以上は、献立から外すのは当然。しかし、プラムには罪はないので、生産された果物は美味しく食べて頂きたい」と答えた。しかし、紙面には私のコメントは載ることは無かったのだ。まっ、それは良いんだが、今回の卓上四季の文章は、頭にきたどー。
 道新の留萌赴任記者さん、歴代知っている方も多く、皆まじめで、良い記事を書こうと一生懸命でありましたが、社説子や卓上四季を書いている本社の精神がこんなんであれば、地方記者の努力も泡と消えるであろう。

卓上四季より

血の滴

道内各地で収穫されたサクランボが、店頭を彩っている。赤く熟した果実。ひと粒口に含むと、甘酸っぱさとともに、ある思いがよみがえる▼もう20年以上も前の話。広島県から現在の札幌・西野に入植した理寛寺(りかんじ)さんという一家の戦後史を取材した。広い庭にはサクランボがたわわに実っていた。「西野から出征兵士を送り出すときはこの木の前で記念写真を撮影した」。その言葉が忘れられず、実りの光景を見ると「戦争」へとイメージがつながる▼小さな果実はさらに、シャンソンの名曲「さくらんぼの実る頃」を思い起こさせる。宮崎駿さんのアニメ映画「紅の豚」の挿入歌として使われていたので、覚えている方も多いだろう。加藤登紀子さんが大人の恋を歌った▼このシャンソンは1871年、フランスで起きた世界初の労働者革命(パリ・コミューン)への権力側の弾圧と虐殺に抗して生まれた。悲痛な叫びを恋愛に込め、人生の切なさと実りの季節の短さを重ねる。その歌詞の、何と味わい深いことか▼「わたしは悲惨な日々を決して恐れない。一日たりとも苦しまずに生きることもない」。サクランボの実を「血の滴」になぞらえた▼古里から戦地に赴いた兵士たちも、出征の記憶をたぐり寄せ、帰郷の日を待ちわびたはずだ。「さくらんぼの実る頃」―。いまある豊かさと、幸せに思いをはせる季節にしたい。2013・7・28

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