私の亡き祖父の弟、今野清次郎(千葉県)おじさんが先日、亡くなったと知らせが来ました。仙北家に生を受けましたが幼い時、別苅の家に養子になり今野の姓となりました。増毛町の議会議員経歴もあります。現在は千葉県在住ですが、誰よりも故郷増毛を愛し、憂い、慕っていたおじさんでした。亡くなる数日前、増毛に帰りたいと訴えていたそうですが、叶えられませんでした。
今野清次郎おじさんは、何といっても戦時中、敵の上陸なくして多くの日本兵が命を落とした「メレヨン島」からの生還者の一人。太平洋の小さな珊瑚礁の島に約7000名の派兵。しかし制空権制海権を失った日本は、彼らに十分な補給を出来ないまま、敵と戦火することなく饑餓により1年6ヶ月で約5200名が餓死したそうです。空襲も時折あったらしく、おじさんは「背が低かったので助かった」と、飛行機からの敵弾がかすめた体験も話しておりました。又、おじさんは一日100グラムの淡泊質を摂るように心がけて、珊瑚礁からカニを獲って食べていたとも語っていました。
メレヨン島は現在は「Woleai」と言うらしくGoogleEarthで検索すると一部欠けているもののずいぶんと拡大出来ました。この画像をおじさんに見せてやりたかったです。きっと涙を流して画面に食い入って見た事でしょう。当時の滑走路は現在も健在らしく、くっきり見えています。
おじさんは、この饑餓の体験を語り継ごうと、何冊も本を出し(ほとんど自費出版)ております。
とかく「戦争体験」がマスコミ等でとりあげられ、「反戦」や時には「反日」の材料とされておりますが、おじさんの著には、体験とともに戦争に対する「反省」を越え、大局的な見地から当時の西欧の帝国主義など国際情勢を加味した「考察」の域で書かれていると私は思いました。つづく
8月 062007
また、終戦記念日がきますね。誰でも戦争は、良くないことと分っているのに、世界中のどこかで戦争はなくなりません。
その国の立場や事柄で大儀が違うことで起こるのだと思うが、
私は、日本の大儀を信じて戦争で亡くなられた英霊に哀悼の心を捧げたいと思います。
今の日本人は、昔からみたら贅沢三昧だし、石油や食料を自由に「買う」ことが出来るし、戦後から今までを知っている。しかし、60数年前当時はどうだったのか、その時の人の立場になって考える事は、今の物資溢れる世の中で生きている我々には難しいと思います。結果を知っている我々は、「戦争は間違いだった」とか「作戦は失敗」とか簡単に言えるのですが、我々よりも遥かに礼儀正しく規律正しいかったおじいちゃん世代を、しかも自分達の生命の極限状態に置かれていた時の出来事を、規律乱れる現代人が非難することが果たして出来るのでしょうかね。