前回に続き知覧町レポートです。知覧町は地図で見ると判りますが、薩摩半島の南端部に位置しています。ここは、第二次世界大戦当時、陸軍特攻基地があった場所であり、千余名の若者が特攻隊としてここから飛び立ったのです。(海軍は現在の鹿児島空港である溝辺から二百十数名が犠牲となっているそうです)
知覧町の観光は武家屋敷が有名です。武家の屋敷郡があって、庭園はどこもすばらしく整備されており、実際に今でも住まいとして使っているです。その庭はだれでも自由に見られますが、門には表札があって個人の住宅であるのが分かります。平山さんや西郷さんなどがありました。
垣根や庭に使われている石は運び込まれたそうで、重機も無い昔にどうやってもってきたのかと想像すると、先人の知恵には敬服する次第です。大きな石はわざとに割ったり、見えない裏側をくりぬいたりとして重量を少しでも軽くして運んだそうです。
また、庭は垣根と石で遠くの山や近くの山などを再現し、庭で知覧の景色を表現しているそうです。
さて、知覧町に来たら日本人として見ておかなければならないのが「特攻記念館」でしょう。わずか60年前の出来事です。今、私達は平和を享受しています。戦争は繰返してはならないと思います。しかし、現在あるのは先人の不幸な出来事の上に今があるのですから、その時の背景や現在に至る近代の歴史を私達はもっと理解すべきでしょう。
「戦争は悪だ!」と目を背ける人もいるでしょうし、日の丸や国歌を強制すべきでないという意見の人もいますが、ここから飛び立った若者は、全国から来ており朝鮮の方も数名おります。命を捨ててまでも日本を守ろうとした方々なのです。
展示品には、日の丸に寄せ書きしているものや、母や身内に宛てた絶筆の文章があり、どれもきれいな文字で書かれ、とても二十歳前後の文字とは思えないくらい達筆なものばかりでした。内部の壁にはここから飛び立っていった方々の写真がびっしりと貼られています。観客の中にはすすり泣く人もおりました。改めて、平和であることの感謝の気持ちが湧いてきました。館内は撮影禁止のため、外の碑で記念写真を撮りました。
以前にも紹介しましたFLASHです。知覧からは沖縄に向けての作戦でしたが、こちらのFLASHには特攻の始まりが盛り込まれています。「真実はどこに」
3月 122005