扶桑社の新しい歴史教科書の市販本が売られていたので、ずいぶん前に買っていまして、最初の部分と近代の部分を読みましたよ。
言われるように「戦争賛美」教科書なのかと読みましたが、どこが戦争美化しているのでしょうか。これを読んで「戦争をしてみたい」と思う子供がいるでしょうか。
しかし、先日の「北海道新聞社説」にこの教科書の採択率の低かったことをわざわざ書いています。そもそも、検定を合格した教科書であるのだから、教育委員会がどの教科書を採択しても全く自由なのですが、この扶桑社の教科書を採択しようとすると、異常なまでの反対運動が勃発し、マスコミもこれをわざわざ煽りますよね。北海道新聞もその一派じゃーないのですか。
採択率が低くて、北海道では採択されなかったのであれば、社会面にでも小さく記事にすればよいのに、大きな社説で取り扱っているあたりは、「勝利宣言」ともみえますよ。
先日、暑寒沢祭りで道新記者が選挙についてのインタビューをしていて、偶然私にも「当選する国会議員に期待するものは何?」と問われまして、その際、北海道新聞の姿勢がおかしいと言ってしまいました。中国韓国よりの報道が目立つとの指摘に、記者はやや気分を害したと思いますが、先日の社説で完全に裏付けられた格好です。韓国の新聞も同じ内容の記事がでていますアジアの真実参照
以前にも道新に関するエントリしています。1/27「オピニオンリーダー」、「果物出来に三重苦」も参照
北海道新聞に疑問を持つHPもあります。「困った地方紙北海道新聞」参照
教科書は、少ないページ数でこれまでの長い長い歴史を綴らなくてはならず、深く掘り下げての記述は無理なわけで、「これ以上の知識は自分で調べろ」って事にならざるを得ないしょ。そこで、「新しい歴史教科書」は、いかに生徒に興味を持ってもらうか工夫もされていて、歴史を教えるというより、「興味を持つきっかけ」としての本と私は読めました。
9月 062005
私も北海道新聞に期待するところは大きかったのですが、日々の記事を読む内に平均的日本人の考えとずれていると感じました。6年前に別の新聞に変えたのですが、それでも道民の一人として気になりますからネット版には目を通すようにしております。でも意味がありません。道新の全国ニュースは共同通信の内容とまったく同じです。わずかに掲載される道内のネタ以外は見ても意味がありません。そしてその唯一存在価値であるはずの道内ネタについてはまさに左思考。赤旗や朝日よりもさらに左寄りと私には感じます。左でも右でも国民が安全で幸せに暮らせるならどちらでも良いとは思いますが、道新を見ていると段々惨めな気持ちになってきます。地域を代表するメディアなんですから、もっと、人々に夢を与える、きちんとした責任を感じる内容であって欲しいと思います。なんたって道民から北海道という名前を借りているんですからね。このままだと「北海道」の利用停止訴訟を起こしますよ。
今日の記事でも道北版かも知れませんが「使命終える’負の歴史’」と題して東川の水力発電所の導水管撤去の記事。「朝鮮人・中国人の強制労働で作られたと言われている・・」との表現。しかし、文中では、中国人の強制労働はこの導水管工事ではなく、別の遊水池の工事であったり、朝鮮人の強制労働については、郷土資料家のコメントで「中国人の場合は外国人とされたため、強制連行の資料があったが、朝鮮人は当時、「日本人」とされたため残っていない・・・」と書いていて、じゃーどこが「負の歴史なの?」と思ってしまいます。朝鮮人の強制労働の証拠はないんでしょ!
それよりもこの発電所は、旭川や近郊に電力を供給して、地元の近代化の為に大いに役立った訳で、そういう意味からすると、当時建設に携わった、外国人を含めてのすべての人々への感謝の気持ちを表すのが、日本人の気質ってもんじゃーないでしょうか。
ほんと、北海道新聞の気持ちを受け入れるならば、日本人は皆、懺悔切腹して責任とらなければなりませんよーっ。それとも皆日本人をやめるかです。あっ、道新さんの方が日本でなくなった方が手っ取り早いかもね。これ、言い過ぎかなぁ。
>当時建設に携わった、外国人を含めてのすべての人々への感謝の気持ちを表すのが、日本人の気質ってもんじゃーないでしょうか。
パチパチパチ(拍手)
その通りですね。全く同感です。反省だけならサルでも出来ると言いますが、日本人はあの廃墟の中からはい上がってきたのですから、堂々とした優しい心を持つべきですよ。イジケタ惨めな生き方だけは後世の道民に引き継ぎたくありません。
9/7はイーデスハンソンさん(なつかしい?)のインタビュー記事で、「平和ぼけが招いた悲劇?戦争はいつもよその領土?」と題して載っていました。途中はなかなか良いことを書いているのですが、締めの部分で
「第二次世界大戦前は、この六〇年年間同様、外国との戦いで国内が焦土化した経験が無く、戦いはいつも日常生活から遠く離れたよその領土で行われた。’平和はうち、戦争はそと’という非現実的な安心感、まさに平和ぼけが太平洋戦争を引き起こし、八月六日と九日の悲劇を招いた最大の原因だったのかもしれない。」
私、絶句。なにが平和ぼけだっ!ABCD包囲網はなんだったんだ!ハルノートは!戦いは外地でやっていたけど、日本のどの家庭にも兵隊にいった近い親戚がいるんだぞっこのっ!
原爆は残虐アメリカの民族大虐殺に他ならないべや!と、絶句の後の絶叫した私でした。
そして、今日9/7の読者投書で、「政治家の仕事は戦争しないこと」と題して看護師の記事。
「今、日本でも、いつ戦争が起きるか分からない空気を感じる。日本の誇りを傷つけられたら、「戦争やむなし」と言い出しかねない・・(中略)・・戦争をしてよい理由は、この世に存在しないのだ。」だって。
すごく正当ですばらしいご意見です。道新は、いつもこの手を使います。誰かに「平和」を語らせ、日本が悪いと。
戦争の起きる空気は、中国から感じますが、この投書した人は国内からしか感じないのですね。
こちらの方の方が「平和ぼけ」かと・・・。
いま現実に中韓とのあいだで戦争が起きることはないでしょう。日本の世論が中韓の反日暴動を目の当たりにして目が覚め、毅然として発言しはじめた結果、中国は少し反省し、韓国は言い方を考えるようになりました。
日本人が「許すまじ原爆」の心を原爆そのものに限定し、アメリカやアメリカ人に対してはその行為責任を忘れようと努めたことで、自らが生きる道を見つけることが出来たと思っております。今、中国や韓国が日本の歴史教科書にまで口を挟み、自らのかかえる問題をすり替えようとしている事実にたいしては、言われのない干渉ですから毅然として相手に言うべきです。これが心底仲良くなるための唯一の方法ではないでしょうか。私は、韓国は反抗期の中学生、中国は学生運動に染まった大学生ととらえております。いずれも親や学校にとって頭のいたい深刻な問題ですが、懸命に接してくれた親と学校があって日本人は大人になったと思います。いま私達はその事実に習い、中韓には毅然とした態度で時間をかけてつきあうことしかないでしょう。道新はできれば読者にそこまできちんと伝えるべきだと思います。
中韓と国内の(一部の?)超左側の人に対して毅然であるべきですよねぇ。私は、戦前の日本人から一文字見習うとしたならば「凜」です。正義あふれるキリリとした態度が、国際社会でも尊敬されるのだと思います。
凛とは良い言葉ですね。私も好きな言葉です。貧しくとも堂々と誇りをもって生きる。そんな日本人になりたいです。
今日(9/11)選挙してきましたけど、「凜」とした党が無かったので、どこに入れるか困りました。