3月 162005
 

たった3泊4日の旅レポートを5回も分けて書くのも何なんですけど、やっと今回で最終回とします。
  今回は「霧島」です。霧島地方は南薩摩ではなく北薩摩地方です。まぁ、このレポート名を「南?」としてしまいましたので単なる表題と理解してください。霧島は、霧島神宮に代表されるように歴史の古い地方です。また、高千穂峰の麓にあって温泉があちこちから湧き出しています。道路のすぐ横からも蒸気が吹き揚げているところもあります。そして豊富な湯量を利用してたくさんの温泉ホテルがあります。我々が泊まった霧島ロイヤルホテルもその一つです。
 さて、桜島からホテルへ帰って時はすでに夜。このホテルには初日も泊まったので、できれば別の温泉に入りたい。そこで帰り道のコンビニで買ったガイドブックによると、泥湯があるらしい。地図によるとすぐ近くだ。「さくらさくら温泉」。日帰り入浴OK。希望者6名で向かった。
 さっそく露天風呂へ。しかし、その湯は透明に近い。桶を整理していたおばちゃんがいたので、入浴法を尋ねたところ、まず風呂で十分暖まる。次に脇においてある石造りの瓶に泥が入っているのでそれを体中に塗る。10分もすると乾いてくるので後はシャワーで流して再び風呂で暖まるってのが正しい入り方とま事でした。「なぁーんだ、風呂の底に泥があるんじゃーないんだ」と少々がっがの我々だが、やってみるとこれが楽しい。一同大笑い。本当はカメラ持込お断りなんだけど、ちょうど我々以外のお客がいなかったのでこっそり写真を撮った。どーしても見たい方は[こちら
ホテルに帰ってから焼酎・ビールをあおって鹿児島最後の過ごしたのでした。

 翌朝10日は増毛に帰るのだが飛行機が午後なので、「えびの高原」へ向かった。しかし、小雨もようのため肌寒い。えびの高原は霧島屋久国立公園でキャンプ場などあるのだが我々には関係ないし、池めぐりなど、楽しめるのですが、雨模様で寒く、だれも歩こうとはしなかったのでした。韓国岳(からくにだけ)も雲がかかって見えていなかった。そこで、町営露天風呂に行ってみる。もぅ、少々寒いが思い出作りと全員で入ってみることに。入湯料200円タオル200円。野趣あふれる露天風呂は、硫黄で白く濁っいて、これはGOOD!。露天風呂のみなので、上がり湯や洗い場もなく、我々は増毛に帰るまでを硫黄臭を体に絡めたまま帰宅するのであった。
 この後、ツアーの予定にあった焼酎工場を迷いながら行くと、入り口の「歓迎」看板にはJAオロロン様の文字がありました。鹿児島滞在4日にして我々はイモ焼酎ファンになったのだが、皆、こだわりの焼酎をお土産に買っており、増毛の人にどれだけ焼酎の旨さを伝えることが出来るのかが課題と思われます。 おわり

3月 152005
 

 このレポートはこれを含めて後2回予定していますので、飽きずに読んでください。
 さて、南薩摩といえば指宿が余りにも有名。特に砂蒸温泉ですなぁ。我々は松山さん情報から、2箇所あるのを承知していて、マイナーな方へレンタカーを飛ばしました。しかし、その日は水曜日で休館でした。残念!(山川温泉の地図ここちら そこで、我々は団体客で賑わっているであろう指宿へ向かったのです。こちらは営業しているし、設備も立派です。受付へは外のエスカレーターまでありました。すっぽんぽん状態に渡された浴衣一枚羽織って砂浜へ。早速入湯!いゃ入砂!。係りのおばちゃんが砂をかけてくれます。意外と重い。でも暖っか。いい気持ち?。15分で額には汗が。背中も汗。自分の鼓動脈が全身から伝わってきます。ミイラになった気分でした。その後は砂をシャワーで落として、正真正銘のしっぱめな温泉にはいってさらに汗。売店でびわジュースを飲むも、味的に失敗。ミックスにすればよかった。
 さぁ、鹿児島へ向かおう。約2時間弱(居眠りしたので正確には不明)。鹿児島市中心を過ぎたあたりに「磯庭園(仙巌園)」があります。ここは島津家別邸で、江戸から明治に近代化した島津の殿様の遺産があります。きれいにお庭や建物が整備されていて、海の向こうの桜島を間近に望んで大変きれいです。写真はこちら。でも、増毛の若い彼らはさほど興味は無いようでした。しかし、「水曜どうでしょう」で出ていた「白くま」アイスを売店で発見。味わい深く満足の様子でした。
 さて、夕日の日差しに変わったので、霧島に戻ろう。でもせっかく桜島が目の前なのだから・・・・フェリー乗り場まで数キロだし、市内側に戻る。係員の誘導で直接フェリーに乗込んだ。我々が乗船するとゲートが閉まり、タイミングよく出港しました!でもいつ料金を払うのかの疑問を持ちながら約15分で対岸の桜島へ到着しました。下船すると高速料金所に似たゲートがあって、そこで料金を支払うシステムとなっていました。
 夕方なので距離を短くするため左回りで桜島を回るコースで。あっ、展望台があるらしい。思わず左折。ガソリンも少ないけど約7キロ山道を行くと「湯之平展望所」があり、景色が見渡せる。遠くに開聞岳、細長い入り江の錦江湾も一望、これから向かう霧島方面と景色はグーッ。桜島の噴火口をバックに記念写真撮影!
 再び桜島港まで降りて行きなんとかガソリン給油。一路、霧島へむかうのでした。・・・・
あっ、断っておきますが、桜島は、裏側で大隈半島とつながっていますからねーっ。道路で九州本土に行けますからっ。最終回へつづく
P.S 桜島を望むライブカメラがありました [その1] [その2] 中腹に見える白い建物(向かって右)が湯之平展望所と思われます

3月 142005
 

この記事を書いていた最中停電となり、今(朝3/15)アップしますが、日付は昨日とさせて頂きます。もう飽きたかも知れませんが、鹿児島の旅をあと何度か書きます。
薩摩半島南端には薩摩富士と呼ばれる開聞岳がありますねえ。その近くにたぶんカルデラ湖と思いますが、池田湖があるんです。怪獣伝説「イッシー」で名声を上げました。実は池田湖には体長1メートルを超える巨大うなぎが生息していて、それと見間違えたっという説もあるのです。巨大うなぎも必見です!
 その池田湖に近いところに小さな渓谷があって、きれいな水が流れているんです。「唐船峡」。ここは流しそうめんの名所です。階段を下りていくと町営と民間の店があるんですが、つながっているようにも見えます。床は「すのこ」になっていて下には水が流れており、鯉やニジマスがたくさん泳いでいます。 
 さて、流しそうめんといいましても写真のようにテーブルの上で水が回転しているだけです。自分でその水流にそーめんを投入します。一見くだらなそうに思うかもしれませんが、やってみると意外と楽しいです。また、鯉のアライやあら汁、マスの塩焼きなど、足もとで泳いでいる魚達が新鮮な料理として出てきます。
 流しそうめんで食べ残したそうめんは、テーブル中心の排水へそのまま流され、すのこの下の池へ直接落とされ、そのまま魚達のエサとなるのです。要領のよい鯉は、信じられないくらい太っていました。廃物利用っていうか、これも一種のリサイクルでしょうなあ。
 唐船峡は、谷下で、水がながれ、木々にも覆われていることから、地元では涼しいところとされていまして、休日にはたくさんのお客でにぎわうそうです。
 満腹になったら開聞岳へ向かいましょう。中腹まで車で行けるゲートで料金を払って・・。ここには、トカラ馬が飼育・保護されています。トカラ馬は、トカラ列島より導入された馬で、農耕用に使われていましたが、機械化で絶滅の危機となりました。詳しくはこちら
 背が小さく、人懐っこいおとなしい性格の馬です。まぁ、ただエサを食べていりゃーOKって感じで、どの馬も草をむしっているばかりですが。
 団体旅行ではおそらくここまでは来ないでしょうが、車で登れるところまで上がると、池田湖や薩摩半島最南端の長崎鼻ななどが見られて絶景が楽しめます。
 ふもとに戻ると、長崎鼻フラワーガーデンなど観光地になっていて、お花やイチゴ狩りもありました。

3月 122005
 

前回に続き知覧町レポートです。知覧町は地図で見ると判りますが、薩摩半島の南端部に位置しています。ここは、第二次世界大戦当時、陸軍特攻基地があった場所であり、千余名の若者が特攻隊としてここから飛び立ったのです。(海軍は現在の鹿児島空港である溝辺から二百十数名が犠牲となっているそうです)
 知覧町の観光は武家屋敷が有名です。武家の屋敷郡があって、庭園はどこもすばらしく整備されており、実際に今でも住まいとして使っているです。その庭はだれでも自由に見られますが、門には表札があって個人の住宅であるのが分かります。平山さんや西郷さんなどがありました。
 垣根や庭に使われている石は運び込まれたそうで、重機も無い昔にどうやってもってきたのかと想像すると、先人の知恵には敬服する次第です。大きな石はわざとに割ったり、見えない裏側をくりぬいたりとして重量を少しでも軽くして運んだそうです。
 また、庭は垣根と石で遠くの山や近くの山などを再現し、庭で知覧の景色を表現しているそうです。
さて、知覧町に来たら日本人として見ておかなければならないのが「特攻記念館」でしょう。わずか60年前の出来事です。今、私達は平和を享受しています。戦争は繰返してはならないと思います。しかし、現在あるのは先人の不幸な出来事の上に今があるのですから、その時の背景や現在に至る近代の歴史を私達はもっと理解すべきでしょう。
 「戦争は悪だ!」と目を背ける人もいるでしょうし、日の丸や国歌を強制すべきでないという意見の人もいますが、ここから飛び立った若者は、全国から来ており朝鮮の方も数名おります。命を捨ててまでも日本を守ろうとした方々なのです。
 展示品には、日の丸に寄せ書きしているものや、母や身内に宛てた絶筆の文章があり、どれもきれいな文字で書かれ、とても二十歳前後の文字とは思えないくらい達筆なものばかりでした。内部の壁にはここから飛び立っていった方々の写真がびっしりと貼られています。観客の中にはすすり泣く人もおりました。改めて、平和であることの感謝の気持ちが湧いてきました。館内は撮影禁止のため、外の碑で記念写真を撮りました。

 以前にも紹介しましたFLASHです。知覧からは沖縄に向けての作戦でしたが、こちらのFLASHには特攻の始まりが盛り込まれています。「真実はどこに

3月 112005
 

 増毛町の果樹が毎年のように結実するのは、花時期に導入しているミツバチのおかげです。このミツバチは「まつやま養蜂園」所有です。ミツバチ巣箱を果樹園内に搬出搬入作業は果樹協会青年部が中心に行なっており、もう何年も経ちます。ミツバチは春、鹿児島から北上し秋に帰るのです。青年部は「このミツバチ達は鹿児島から来ている」のは知っているのですが、一体どんなところなのか一見するのが夢でありました。
 その夢がこの度やっとかなったのです。 まつやまさんの故郷は知覧町。薩摩半島の南はずれに位置しています。主な産業はお茶や畜産を中心とする農業です。知覧町は大きな川が流れていないため、何10キロも離れた池田湖よりポンプアップした水をタンクへ貯蔵し、用水として活用しています。お茶は、一番茶が高級なのですが、鹿児島といえど春先は霜の危険が大きく、霜対策の為の扇風機があちこちに設置しています。最近はもっと有効なスプリンクラーで散水するシステムに移行しつつあります。
 お茶は土づくりが重要で、たくさんの堆肥を必要とします。知覧町は畜産もさかんで、その糞を堆肥にまわそうとするのは当然でしょう。私達は堆肥化するリサイクル施設を見学しました。ここは、大きな施設で、原料は主に鶏糞を堆肥化しているそうで、各養鶏所から運ばれた鶏糞は、攪拌、水分調整、ブロアーなどの工程で醗酵させて堆肥化して、各お茶農家へ販売しています。原料はこのご時勢なので、タダ。製品化した堆肥は手ごろな価格で販売されるため、知覧町内で完結していて、理想的なサイクルで農業が回っています。
 お茶は、近年のペットボトルブームで、3番茶などこれまで比較的程度の低いグレードでも需要があるとの事で、お茶農家ははっきり言って「儲かっている」との事でした。知覧は一軒当たりの畑所有面積が大きく、目だった傾斜地も無くて多くが機械化されています。「お茶は静岡だ!」と先入観を持たれている方も多いと思いますが、表示のうるさくなっているこのご時勢です。きっと益々知覧をはじめとする南薩摩地方のお茶のシェアは増えていくことでしょう。

3月 102005
 

先ほど鹿児島出張?から帰ってきました。3泊4日の超激安ツアーで、7名で行ってきました。現地ではレンタカーを借りての移動。まつやま養蜂園の松山さんのふるさとを訪ねる旅です。私は何度か鹿児島に行っていますが、他のメンバーは初の鹿児島入りで、中にはこれまでの人生最南端体験となりました。
 レンターカー移動なので、自由に南薩摩を堪能し、また、まつやまさんのお世話も頂き、充実した旅となりました。私も移動のコーディネートをしましたが、運転は一切せずに昼からビール飲んでののんべぇ旅行。夜は地元薩摩の焼酎のお湯割りで毎夜の酒。
 農業視察の分野も一応やりました。堆肥製造工場を視察。しかし、冬の靴底は凹凸ありますが、鶏糞で目詰まりしてそのまま車に乗込み、最後まで堆肥臭が車内に漂う。
 まぁ、南薩摩のいい所ばかり行ったので、この報告を何日かに分けて報告します。
※写真は、鹿児島から知覧町へ行く途中の指宿スカイラインで撮ったもので錦江湾の対岸に桜島を望む

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