堆肥舎がある場所はいわゆる沢の際なのですが、今日改めて眺めてみると紅葉が進んでいました。
まっ、紅葉といっても紅色は少なくて「黄色」なのですけど。
9月24日の初冠雪は「うっすら白い」とお知らせしましたが、あれから寒気が入ったようで、今ではしっかり白い化粧をしている暑寒別岳でございます。
本日、NHKラジオに電話出演しました。
NHK旭川支局では、毎週金曜日ラジオ第一放送で「あさひかわ発ふるさと便」を放送。本日の14:22ころから約6分間、増毛の果物についてあれこれ電話でのやりとりでしたが、お話しました。
まぁ、こういう地域のPRであれば本来ならば果樹協会長の仕事でありますが、「ラジオなら慣れているべぇ」ということで、私が出ることになりました。
午前中リハーサルをしたので、まぁ、雰囲気はつかめたのでしたが、本番はあっという間で、ちゃんと情報が伝わったのか疑問ですが、今年の増毛果物は味が濃厚!などお話しました。
夕方、別苅からの帰りに小茶内あたりの海岸におりてみました。どことなく辺りは夕陽で赤く染まっているように見えていましたが、しかし悲しいことにゴミだらけの海岸が続いていました。
写真で四角い物が2つ小さく写っていますが、これテレビと大型スピーカーでございました。もちろん日本製です。他の小さなゴミは国籍は不明ですけど、日本の物が大方のように思います。
近くの民宿に泊まっているのか軽装の観光客が海岸線の道路を散歩して行きましたけど、このゴミだらけの海じゃー夕陽がいくら奇麗でも興ざめしてしまいますなぁ。
マスコミからは地球規模での環境問題が取りざたされているのですけれど、我々ももっと身近な環境問題を考えなければなりませんねぇ。
9月12日なのですけれど、夕方留萌で行われた長谷川岳氏の講演を聴いてきました。主催は留萌の町興しグループ「十一会(留萌の明日を創る会)」。参加者は70名以上おりました。私はある筋からの誘いを受け、増毛在住ですけど出席させていただきました。
長谷川岳氏は、今や北海道の一大イベント「YOSAKOIソーラン祭り」の創始者です。また、この次の衆議院議員選挙で立候補予定もされています。
講演ではYOSAKOIソーラン祭りを始めるきっかけや、公道使用の苦労話などを織り交ぜ、NPOによる運営から現在は株式会社による運営に変遷して、補助金に頼らないイベントであることなどを理路整然と語られました。
とかく地方のイベントは「官」が表だったり「補助金」だのみの運営が目立つのですが、公的資金の貧亡する地方にあって長続きするイベントは、若き力と情熱はもちろんですが、はやり資金面の手だてをいかにするかに掛かっております。又、考え方一つで利益を生み、新たな「民」による発展も出来るのだと感じました。
ともあれ私の拙い文章よりも日刊留萌新聞の記事を参照とされたし。(こちら)
秋晴れの今日は暑寒別岳も奇麗に見えましたので、いつものビューポイントへ行ってみました。朝8時半ころでしたが、すでにうっすらモヤってましたし逆光も相まって写真を撮ると思ったよりうまく写りませんでした。
こういう時はカメラのせいにしたくなりますけど、フィルターもなく古いコンパクトカメラ任せのシャッターではこんな程度の映りしかしません。
一応、3倍ズームの頂上近辺影像もアップしておきます。(こちら)
山はまだ紅葉は始まっていないようで、緑の暑寒別岳を拝めるのも、あと少しの間だけです。
フジモリ果樹園や紅果園ではテレビの取材を受けておりましたが、先日は我が果樹園でも雑誌の取材を受けました。北日本広告社(道新グループ)からお二人のスタッフが見えられ、増毛の果樹についていろいろと取材されて行きました。出版は来年の春の観光ガイドブック「DO!Fit!」と言うことでした。
ただこの情報誌は、地域の「ドライブお薦め」情報と言うことで、当果樹園だけでなくて「増毛の果樹園」全体との捉えなので、家だけ目立って載るわけではないようです。私としてもむしろその方が好ましく思いまして、積極的な取材協力をさせていただきました。
まだりんごやブドウが本格化していないためスタッフの方への試食など出来ませんでしたが、プルーンを一つだけですが食べていただきましたところ、感激していただきましてかえって恐縮してしまいました。
毎年9月2日は暑寒沢のお祭りでございます。暑寒沢稲荷神社は、会館横にこじんまり鎮座しておりまして、増毛神社から神主さんに来てもらい10時半より祈祷いたしました。(参照:元陣屋タイムトラベル増毛)
暑寒沢稲荷神社のまたまた横には、増毛果樹園の発祥功労者「大沼竹蔵」の祈念碑、東北から分祀した(私が勝手に思うに)「湯殿様」の小さな石碑もあり、こちらもお祓いいたしました。
祈祷後は会館に場を移して宴に入りました。来賓には町長、農協支所長を招いての会となり、我々は真っ昼間から生ビールを堪能したのでした。
青年部は特別料理を振る舞っているのですが、今年はちゃんちゃん焼き。鮭半身を何本も焼く光景は豪快でございました。
27日から天塩より堆肥を運びました。国道231号、232号を通りますが、時折設置している電光掲示板に「この区間はシーニックバイウェイ萌える天北オロロンルートです」て出てくるんですね。なんじゃこりゃ。だいたい運転しながらこの長文を読むのに苦労しますよ。聞いたこともない単語を読むのにも一定時間必要なのですが、読み終わる前に表示がコロコロ変わり、「シーニックバイウェイ」と読み取るまで3つの表示板をくぐってようやく読めたのです。でもね、意味不明。沢山の車が行き交っていますけど、理解している人がいるのかねー。
ところが、国土交通省はこの意味不明の「シーニックバイウェイ」を広めようとしているのですね。
Wikipedia
シーニツクバイウェイ北海道
まっ、新たに留萌管内の国道を「天北オロロンルート」と名称し、シーニツクバイウェイの仲間入りしたって事ですわ。そうですか。そうですか。良かった。良かった。
しかし、ですね。これね、「シーニックバイウェイ」を調べたから理解出来たのでしてね、国道のピカピカ光る電光掲示板だけ見ている人にはチンプンカンプンですよ。
取り組みは良いと思いますけど、だれでもすぐ解る名称にしないと、運転中、掲示板を凝視したり考え事したりで肝心の「交通安全」に反すると思いますけどね。
昨日8月25日、増毛町果樹協会は普段の忙しい農作業に一息いれてもらうのと、見聞を広めるため、富良野方面へ日帰りのツアーを敢行しました。メンバーは私を含めて13名。まず「北の国から」で有名な富良野市麓郷にあるジャム工房「共済農場」へ行きました。数年前に行った記憶では、売店側にジャム工場があったのですが、現在は新築して住宅側に建てられており規模も大きくなっていました。ジャムは手作りなので、ナベを載せるガスコンロがずらりと並んでいまして、頭上に扇風機が一つ一つ設置されていたのが印象的でした。ジャムは一頃よりもさらに種類が増え、また、焼き肉のタレまで売っていて、商品のバラエティーが充実していました。
アンパンマンは、我々は大人なので見ませんでした。
次に、我々果樹業にはおなじみの「山形天香園」が富良野に土地を購入して苗木が植えられているとの情報で、そちらにも足を運んでみました。こちらは、同じ麓郷にありまして約10haの敷地だそうで、そのうちの6haにさくらんぼやブルーベリーの苗木が植えられていました。
北海道でも寒さ厳しい富良野麓郷で、ちゃんと育つのだろうかと我々は正直疑問ですが、やはり、いろいろ苦労しているようでした。(写真はこちら)
次にお昼は予約していた中富良野の国道沿い「ふらのラテール、万華の湯」。我々はお部屋ほ案内され、食事となるわけです。で、おかずの写真で注目は、おかずの中よりも箸袋。これ見て、一同苦笑したのでした。
食事の後、真っ昼間から入浴。少々寒かったですけど、露天風呂も堪能。風呂には「壺湯」という大きな焼き物の壺風呂もありましたなぁ。
日中の入浴は、なんだかとてもサボっているようで申し訳ない半分、非常に心地よいものでした。
その後、数キロ離れたラベンダーでおなじみの「ファーム富田」へ。
我々のメンバーはいわゆる富田物語を知らなく、ただ奇麗な花畑とラベンダーで有名というだけでした。そこで私の豆ガイド。富良野で最後のラベンダーを残し、JRの雑誌(カレンダーでした)に載ってから観光客が訪れるようになり、おばあさんの作ったラベンダーの匂い袋から始まったおみやげの事などを伝授。(詳しくはHP)
私たちが行った時は、お盆シーズンが終わった平日にも拘わらず、沢山の車が訪れていました。駐車場に留まっている車は、ほとんどが「わ」ナンバー。つまりレンタカーがほとんど。バスも7-8台のバスには、東洋系の外国人の姿もあって、園内は大変な賑わいでした。
夕刻の帰り道は、芦別、深川の道の駅に立ち寄って各自おみやげを購入。私も深川で定番「ウロコダンゴ」買ってきました。ウロコダンゴは、なぜか哀愁ただよい、昔懐かしくなる不思議なおみやげなんですねぇ。
そんなわけで、一日の旅はあっという間に終わってしまった訳です。
オリンピックとか見たりしてブログ書く時間無くて、ついだらだらと時間が経過していまいました。七飯での研修会は金曜日でしたので、もう一週間経っちゃいますので、今回でこのリポートは閉めたいと思います。研修会の午後は、文化センター室内に場所を移し、地元の状況のプレゼンテーションの後、函館ワインの方の七飯りんごを使ったスパークリングワインなど、の説明がありました。
増毛でも増毛フルーツワイナリーが稼働を開始した矢先でしたので、私も興味津々で聞いていました。
さてそれに先立ちお昼休み、文化センター裏手に七飯町歴史館があり、入館無料だったので行ってみました。
最近「歴史の重み」をなんとなく理解し始めた私でございます。しかし古い農具などの展示だけだろうと期待せずに行きましたけど、皆さん!特に果樹関係者は必見でございます。
何故かと申しますと、現在の果樹園で栽培されている「りんご」や「西洋梨」「さくらんぼ」「ぶどう」の原点は、七飯町であり、また、近代農業の原点といっても過言ではないのです。
りんごの歴史は、明治元年ドイツ人の「ガルトネル」が苗木を植栽。明治7年頃、黒田清隆に呼び入れられたアメリカ人ケプロンがアメリカからりんご苗木を輸入して道内の何カ所かに植えられたのが果樹の始まりと言われております。
ですから、七飯町は日本果樹の故郷、原点、発祥の地なのであります。さらに、ガルトネルの開いた土地は「七重官園」となり、近代農業の礎となっております。このフロンティア精神は道南農試にも受け継がれています。1979年北海道立道南農業試験場70年史参照
七飯町は、果樹に限らず農業が盛んな地であることは、歴史に裏付けられている訳ですねぇ。 見直しちゃいましたよ。このような歴史輝く七飯町。これからもさらなる歴史を積み重ねて行くことを願っています。
清香園宮田果樹園のすぐ側には「男爵いも発祥の碑」もありました。
8日、集合場所である七飯の文化センターには、道内の果樹園ら約100名が集結。道内の果樹園ブログ運営者からは、壮瞥のフジモリ果樹園、旭川の山中果樹園、長沼の仲野フルーツパークなども列席しました。
まず、午前中は七飯の果樹園を視察しました。文化センター裏手にある成田果樹園(写真)。こんなに市街地と隣接している果樹園は、道内では珍しいのはないでしょうか。薬剤散布など何かと気を使うなぁと思いました。
次に奥村みのる園では、りんごわい性台木もあるものの、幹の直径が50センチ以上ある昔からの巨木が何本もあり、りんご園の原風景がそこにありました。増毛ではフラン病などでりんご改植が進んで、太い幹のりんごの木は非常に少なくなっています。
清香園(宮田氏)では、防風林対策として「マツダヤナギ」の植え付けを試していました。3年あまりで数メートルに達するこのヤナギは、防風効果やドリフト防止にも役立ちそうでした。
七飯のりんごは、ややサビが目立つようでしたけど、降霜の被害はないようで、樹勢も落ち着いているように思いました。まっ、七飯は北海道というより気候的にも青森に似ていて、下枝の使い方や着果数からいって、増毛とは全く違う光景でした。