昨日2月7日は、北方領土の日でした。私も返還要求署名をしました。右の図は、北方領土返還要求シンボルマークだそうです。
こちら参照。
昨年も書きましたが、あれ以降も返還交渉は全く進展していません。プーチン来日はいったい何だったのでしょうか。
二島返還論もありましょうが、私は四島一括返還をつよく望みます。こちらも是非参照してください。?>櫻井よしこwebさいと「ys」より、領土問題を検索「ロシアにだけは言われたくない」 「日露関係での失敗の記憶を今、思い起こし、ロシアの無法ぶりを国際社会に訴えよ」
留萌沖で起こった三隻遭難(襲撃)事件は、領土が返還されるまでいや、それ以降もその記憶を風化させてはならないとおもいました。
これまで「尊きもの」シリーズを書いてきましたが、ずいぶんと理論展開が飛躍して理解できない方もおられましょう。(っーかほとんどそう思っているかも)。また、結論の落とし処に違和感を持つお方もおられましょうなぁ。「尊きもの」が何故「ありがたいと思う気持ちを持つ人」になったのかと言いますと、この本を読んだからです。
さぁて、私もいよいよ神がかってきましたよー。
美しき日本の風景は、美しき日本の精神にも宿る(これは私の言葉)。
日本的な思考は、そもそも「神道」に由来しています。しかし、普通の人は初詣やお祭り、あとは、まぁ地鎮祭とか七五三程度しか神社に行かないし、かかわっていません。ですから、神道の考え方などを思い返す機会は少ないのです。しかし、靖国問題から端を発し、「神様はどこにでも居る」を書いてから、私は、神道の本を読んでみようと思っていました。
この本「神道<徳>に目覚める」の著者葉室頼昭(はむろよりあき)氏は、春日大社の宮司ですが、整形外科医の経歴もあります。
神様の話は科学的でなく、行事や作法に至るまでそれこそ神懸かりです。しかし、整形外科医であります著者が、非科学的な神事を解りやすく説いていて、「こころ」の大切さ、「いのち」の尊さを語っています。
・・・それゆえ、今こそ祖先の行ってきた「徳」に目覚め、立派な人間を育てる教育に目覚めなければなりません。目先の我欲を捨てて、日本の国の幸せ、そして自分以外の幸せ、すなわち神様や祖先、そして周りの人の幸せのために生きる人生に本当に目覚めなければならないと思います。本書が少しでもそのために、お役に立つならば幸いです。
誰か(神様や社会)の幸せのために生きる事が、巡り巡って自分の幸せにつながる。これがそもそもの日本の考え方なのでした。
ライブドアや偽装建築等問題など一連の係わった人たちに聞かせてあげたいですし、多くの人にも早く目覚めてほしいと思いました。私も心を入れ替えたいと思います。
ヘンリー・ビショップ 埴生の宿(Home, Sweet Home)
midi by Reinmusik
「尊きもの」最後は、人類にとって「尊きもの」は何かを考えてみましょう。うーむ、まぁ難しい。人類にとって尊きものは「人間の命」、「地球」、「太陽」かな。地球と太陽との絶妙な距離のおかげで、大気や水が存在しているから、まさに神わざです。
人類にとって地球は確かに「尊い」ですが、地球からしてみればどうでしょうか。地球にとって何よりも替えがたいもの。それは、たぶん人類ではなく、「無数に多様化した生命」ではないでしょうか。地球が誕生した頃には、生命は全くなかったはずですが、長い膨大な年月をかけて徐々にその数をふやし、進化と共にその種類を増やしていきました。当然、その過程で淘汰される種類もありました。しかし、この多様化した生命と言うのは、地球にとって財産であります。
こう考えると、人類にとって地球はかけがえないですが、地球にとって人類は単なる生命の一種類でしかありません。つまり、人類の片思い状態です。
人類は過去にないほど数を増やしています。地球のかけがえない生命、特に森林を破壊していますし、地球を汚す元凶です。森林破壊は秒単位でどんどん減少していると言います。その中で、人類が未発見の菌や植物がどんどんと絶滅しています。人類にとって有益な薬になるかも知れないなど可能性を見ずして、地球上から姿を消しています。このまま進むと地球上には人間だけになってしまうかも。
人類は、地球上でもっともトップに位置する最強の生命体であり、人類が生命維持するためには、下々の無数の種の多様化した生命のおかげであることを忘れてはいけません。そうなると、人類にとっても、「尊きもの」は「地球の多様化した生命」と言うことになります。
そうであれば、人類のとるべき態度は、あらゆる生命に対しての畏敬の念を持つとか、感謝の気持ちを忘れないって事ではないでしょうか。
つまり、「尊きもの」とは、「ありがたいとおもう気持ちを持つ人」という非常に解りやすい言葉であるのかも知れません。
エルガー 愛の挨拶
midi by Reinmusik
個人にとって「尊きもの」、社会にとって「尊きもの」とエントリしました。今回は日本国家にとって「尊きもの」を考えたいと思います。
単純に考えると、まあ、日本は民主主義ですので「自由」とか「人権」や国民の生命ですねえ。他には、豊かな自然など。「お金に替えがたいもの」と考えると、「歴史」もかなり「尊きもの」です。特に日本は、ほぼ同一民族にあって多くの割合で「平和」な時の流れを築いてきました。確かに現代において先の大戦では不幸な時を過ごしました。その時に失われた「命」は、尊きものです。しかし、その数年の出来事は日本史二千年の時空に於いて一瞬でしょう。
日本が長き時を平和に過ごした理由は日本独自の精神論のようなものが影響している気がします。はっきり言って「神道」の考え方です。その最高位であるものが「天皇」であり、つまりは、天皇制は日本にとって「尊きもの」といえます。
天皇は、これまで万世一系で男系をいただいていました。しかし、現在、女系を認めるような論議がなされています。女系天皇が即位することがあれば、これまで築いた日本の尊き歴史は、終止符を打つことに直結する事はちょっと勉強すれば解る事です。事実、女系天皇を推進しているマスコミは、リベラルを称する?メディアばかりです。これらの勢力には「尊きもの」を理解する能力に欠けているのかもしれません。また、国民の中に女性天皇・女系天皇の違いを理解している人はまだまだ少ないでしょう。
今一度、日本国家にとっての「尊きもの」の認識を新たにする必要があります。
ヨハン・フリードリヒ・フランツ・ブルグミュラー
25の練習曲 第1番op.100-1「素直な心」
midi by Reinmusik
毎日、ライブドアや偽装建築のニュースが流れています。これらの会社にとって、「尊きもの」はいったい何なのでしょうか?
「企業は誰のものか」と真剣に論議していたのは、つい1年前。ニッポン放送を巡る一連の企業買収の時でした。その時、ホリエモンは「企業は株主のもの」と声高に言っていたように記憶しております。また、解説者みたいな人が、「企業は従業員のものでもある」みたいな事をいっていました。私は経済にはまったく疎くてよく分かりませんので、口出す資格はないのかも知れませんが、その答えはその企業が目指す理念によって変わるのだと思います。
企業理念とか、企業哲学っていいますか、それです。社是にそれが現れてくるのだと思います。京セラの社是は「敬天愛人」となっております。また、経営理念は、社会進歩発展を謳い、経営思想もしっかり記しています。
私の言いたいのは、企業にとって「尊きもの」とは、このような崇高な指針であると思うのですよ。このように、人々に幸福をもたらそうとする理念のある会社であれば、それは「会社は社会のもの」であります。株主や経営者だけのものではなくなるだと思うのですよ。まぁ、私が申すのは100年早いと怒られそうですけどね。
いろいろ企業がある中で、このような「尊きもの」を持たない或いは忘れてしまった企業は、社会とって害悪となるのでしょう。
さて、果樹園は多くが個人事業ですが、個人といえども最小単位の企業であるのでしょうから、我々もその理念や思想、哲学の有無を問われているのかも知れません。
枝きりを無心にやっている方もおられましょうが、私は色々考えるんですね。今度のラジオで何を話そうかと思っていたのですが、この話題を持ってこようと思っています。
MS bookshelf basiciによると
尊い=>たっと・ぶ【尊ぶ】
1.尊敬に値するものとして大事に扱う。
2 その場合において最も大事なものと△する(考える)。
となっています。まぁ捉え方は人それぞれでしょう
卒業生にとっては「我が師の恩」なんて、すぐに連想されましょう。
まぁ、普通に考えれば、「家族」とか「命」とか「絆」が思い浮かびます。「お金」は尊いでしょうか?ホリエモンや建設詐称の方々にはお金は尊いものかも知れませんが、たぶん多くの方は、「尊いもの」は「何物にも替えられないもの」でしょう。お金なんぞには替えられない、もっと崇高なものです。
個人個人に「かえ難い」ものがあるように、会社や組織にも「尊いもの」はあるはずです。
農業は、例えば果樹園は、肥料とか労働力とかにお金をかけますが、りんごを作ってくれるのはリンゴの木であります。りんごの木にお金を払ってもリンゴはなりません(あたりまえ)。リンゴは、大地と水と太陽と樹の産物であります。つまり、作物は、お金にかえられないものなのです。作物を流通する段階になって、やっとお金に換算する事ができます。つまり、食料生産は「尊いもの」なのですね。これは農業者も忘れがちですし、消費者に至っては、考えた事もないかも知れません。
実は1/20に札幌へ行った際に買った本がもう一冊ありまして、この本を読みました。
帯には、「日本は弱くて金持ち、いじめるには絶好だ!」とあり、昨年の中国での反日デモ、靖国問題、歴史教科書、謝罪と賠償、領土問題、反日教育、従軍慰安婦、南京大虐殺など、一問一答形式で書かれています。特徴は肝心な部分が拡大太字になっていて、わかりやすいし、まぁ、読むのに苦にならないって感じです。
さて、この本に取り上げられている内容は、私にはすでに知識として持っており、新しく得たものは少なかったです。すべてはインターネットで既出でありまして、通称ネットウヨであるならば必要ないかも知れません。おさらい程度には使えます。
ネット情報がまだ無く、何となく中道のつもりでいて、何となく日本は悪いことをしたと思う、何となく日本は謝らないといけないと思っている、そんな、いわば去年以前の私のような人には、ネットウヨ入門書と言えましょう。
反反日本といいますか、憂国本が増えてきました。本屋の棚の一部には、反中、反韓、反朝の本が並ぶようになりました。今年はまだまだこの傾向は続きそうでなぁ。
本当は農業簿記をしていなければなりませんが、ついつい読書してしまいしまた。日下公人(くさかきみんど)著「闘え、日本人」を読みました。日下著といえば以前にも「人間はなぜ戦争をやめられないのか」を読んでいます。
私のブログでは、北海道新聞の左翼的記事に対する批判や、首相の靖国神社参拝反対派への反論をしてきました。しかし、この本は、そいう左・右の論を超えていて、ステージが一歩も二歩上を行くインテリデェンスでした。本の内容はamazonのカスタマーレビューを見ていただきたいと思いますが、一般で従来のマスコミの論調にまみれたいわゆる私からすれば左思想に無意識に浸っている人がいきなり読んでも、たぶん理解は浅くなるのではないかと思います。戦争=タブーと思考固定している人は、かなり違和感を感じるでしょう。
戦争は外交の一つのカードであり、単なる延長に過ぎず、「戦略」「政略」がいかに大切かは、前の本からも受け次がれています。
「外交」をいかに遂行するかが、今後の日本の運命そのものであり、アメリカ一辺倒の現状を、本来の日本の国益を得るためにはどう舵取りするかのヒントが書かれています。もちろん「戦争をせよ」と言っているわけではなく、悲惨な戦争を回避しながら戦い(外交)をせよと言っていると思います。従って「戦え」でなく「闘え」となっているのですね。
今日の北海道新聞読者の声は、反日ダブルパンチで頭がクラクラしてしまいました。「首相靖国参拝は日本の孤立招く」と「中国や韓国との友好回復いつ・・・」。もうね、道新ねっ、リベラルを気取っているのかも知れませんがね、ネットでは朝日新聞に並ぶ左翼新聞に認定されていますよ。これね、数日前の社説「自民党総裁選*「靖国」外しはおかしい(1月14日)」を受けて、読者が援護射撃の道新賛成意見としてわざわざ載せているのでしょ。
靖国神社には、A級戦犯が合祀されていることが問題なのだ
日本国内に、A級戦犯がいるのですか。少なくとも日本では、刑に服した人は罪を償った事になるんじゃーないですか。それに、他のAやBやC級戦犯とされた人たちを日本の国会に於いて、ほぼ満場一致の名誉回復をしているとネットに書いていましたが、この66歳の方は実体験として知らないのでしょうかね。
そりゃー、日本人として戦争を指揮した人には責任ってあると思いますが、もう、いまさらそれは問えないでしょう。戦争の歴史についての反省というより、考察を加える必要はあると思いますが、戦後処理は、ドイツと違って講和が終わっていて、もう、いちいち海外から特に中韓から靖国に対してとやかく言われる筋合いはありません。
また、二つ目の中国と韓国の友好ですが、あちら側が「友好」する気がないのですから、こちらからわざわざおもねる必要ないわけです。以上終わり。
と思いましたが、やはり、二つ目の投書記事転記します。
中国や韓国との友好回復いつ・・・
無職 函館市74歳
七日朝刊の「語る 小泉政治・ポスト小泉」の加藤紘一・元自民党幹事長の話に教えられることが多かった。
加藤氏は「米国と仲良くしていれば日中、日韓は片付くという乱暴なことを言ってはいけない」と、小泉首相の発言を批判。また、太平洋戦争時の特攻隊兵士について、政治家や総理なら「なぜこの子が飛び立たねばならなかったのか、死んだか、命じた人は誰だ、なぜ戦いになったかを考えなければならない」とも指摘している。
現在の日中、日韓関係は最悪だが、冷静に分析すれば、非はひとえに日本側にある。
一九九五年、当時の村山首相は「植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた」との戦後五十年談話を発表。小泉首相も戦後六十年談話などで、村山談話を踏まえた歴史認識を表明している。
だが、中国も韓国も日本の反省を信用していない。首相や大臣らの言動から、反省しているかどうか疑わしいからである。加害国日本が被害国の心情を思いやり、信頼醸成に努力してこそ友好関係は築かれるが、このままでは打開の光は見えてこないだろう。
やれやれ、74歳の大先輩とあろう方が、「日本が一方的に悪い」との認識は、もうね、言葉を失いますなぁ。戦争の反省もいいが、村山政権の反省も是非お願いします。
今年最後の書き込みをします。このブログを始めたのは、果樹園の情報を発信しようとの思いがあってのことでしたが、徐々に私の主張とか思想をも書き込むようになり、2005年のブログでの書き込みは果樹情報よりも主義を表す場面が多くなりました。特に、昨年暮れからの韓流ブームでたくさんの韓国番組がテレビで放映され、それは今でも劣ることなく毎日韓国ドラマが流されていますが、「反日なのになぜ友好を唱えるのか」との素朴な疑問から、あちこちのHPを見、また、増え続けたブログの中から「憂国系」書き込みを読み進むようになりました。そして、これまで「日本が悪かった」との戦後教育・社会規範みたいなものに対して、実は全く正反対であると気がつき、しかし多くの日本国民が左寄りである事に気付かずにいて、そして尚もマスコミが偏向報道をしている中、私も少しでも右寄りに引っ張って、本来の中道というか、偏らない思考にしなければいけないとの思いを強く持ったのでした。
また、学童時代には全く苦手というより嫌いだった「歴史」についても、特に明治から現代の歴史にたいして興味を持ち、数冊の本を読むに至りました。本嫌い、活字嫌いの私が読書をするなんて、考えられない事でした。
さて、果樹園の今年は、去年のような台風の害もなく、量もほどほど穫れました。しかし、特にサクランボは、値段が安かったし、りんごは、特に安く推移しておりまして、未だに多くのりんごの在庫を持っています。正月明けても、無人販売でなんとかさばきたいと思いますが、どうなることやらです。
FMもえるの「FM緑の風通信」は、毎週のように出かけて、放送しております。こちらの記事は、番組ブログに書いていますので、この私のブログには最近は書いていません。12月に入り、五志道が出稼ぎと言うことで、その空いた週の埋め合わせをと数人にお願いしましたが、すべて断られ、誠に消沈しています。農業といえど「情報発信」する事は好ましいのは理解できても、それを行動に移す人はなかなかおられないのが残念です。FMも私のブログも、実際何人の方が見ているのかははっきり判りませんし、リアクションが少ない或いは全くない状態でも、何かしら書き込みを続けると言うのは、結構しんどいのではあります。
それでも、このブログはこの調子で来年も書いていくことと思いますので、時々覗いていただけたら幸いです。
さて、今日(12月28日)の道新です。「読者の声」から
「ミサイル防衛は問題点多く危険」と題してミサイル迎撃システム開発が、費用面で大がかりなことと、何よりも無限の軍備拡大につながる懸念があることを指摘しております。
ミサイル防衛は問題点多く危険 会社役員57歳
[前半略]
そもそもこの防衛システムの発想には重大な誤りがあります。およそ防御とは、せいぜい今ある相手方の攻撃に対応するもので、相手が新しい攻撃方法を編み出したらそれまでです。つまり防御は常に攻撃により数歩後れる危険性があります。国を守る方策、攻撃されない方策はもっとほかにあると思います。
うーん、だったらその方策を提案してください。現実問題、日本にミサイル照準を合わせ、いつでも撃てる体制になっているお隣さんがいるのですから、その攻撃を絶対にさせない具体的方法を提案してほしいです。
また、その直下の投書。全文引用します
政治家は真摯に過去の歴史を学べ 無職74歳
天皇陛下が誕生日を迎えた記者会見で、「過去の歴史を正しく理解しようと努めることは日本人が世界の人々と交わっていく上にも極めて大切なこと」と指摘した(二十三日朝刊)。
歴史を正しく認識することは、今後の日本を正しく導くことにつながる。今の政治家は、閣僚でさえもこうした歴史認識が出来ていない。
私は、日清、日露戦争、第一次、第二次戦争、そして広島、長崎への原爆投下、主要都市への空襲、敗戦と続いた過去の事実を今こそしっかり認識するべきだと思う。
うーん、そうだ。そうだ。良く言ってくれました。歴史を勉強すると言うことは、その時代に自分の身を置いて、つまりその場を想像して、その時代の人々が何をどう考えていたのかを、その人の立場になって空想する事なのだ。だから、歴史は単なる年表の暗記というつまらないものではなく、自分の頭の中で、時空を行き来するダイナミックな楽しいものなのです。また、その時代の人になって考えるという事は、現代でも「相手の身になって考える」という人間社会の基本となる訓練にもなるのであります。拍手!
ところが、文はさらにつづいて・・・・・
戦後、平和憲法の下で日本国民は平和を享受し繁栄してきた。しかし、一方では自衛隊の拡充、憲法の拡大解釈がなされ、今ではなし崩し的に自衛隊をイラクに派遣している。
自民党は憲法を改正し、世界各地の紛争地へ自衛隊を派遣しようとしている。自民党政治をみていると、過去にこの国が歩いてきた道を再びたどっているのではないかと危惧せざるを得ない。政治家は真摯に過去の歴史を学び、日本の将来を見据えた政治を進めてほしい。
ええーっ、最終センテンス「日本の将来を見据えた政治を進めてほしい」は、異論なくもっともなのだが、「自衛隊」がやたらと出てきて、結局は、単なる反戦平和論者と同じ主張でした。74歳の大先輩に生意気なことを言って申し訳ないですが、日本が戦争に突き進んだのは、日本が一方的に悪かったのではありません。当時の世界情勢を知れば知るほど、また、その当時の人々の身になって考えれば考えるほど、当時の日本の取った行動は、「間違っていた」と言い切れるものではありません。また、この手の文章内容は、中国の言ってくる事と同じではないですか。
この投書をした人と、掲載した道新に言いたいですね「過去の歴史に学べ」!
「神様」の話。昨日は同級生Kとパソコンの相談をしながら「神道」について一方的に語ってしまいました。
山には「山の神様」が居るし、海には「海の神様」が居る。川にも「川の神様」が居る。ガキの頃からそのように教わり、我が家の横を流れる「永寿川」(写真)にも神様は居るのだと信じていたし、今でも変わらずそう思っています。だから、川にオシッコしたり汚したりしては神様が怒って「バチ」が当たると戒められたのでした。
人間は死んだら「仏」になるけれども同時に「神様」にもなるという、他の世界からみたら矛盾する考え方も日本人は受け入れられます。
いたるところに神様が居るので、キリストの神様が来られても、イスラムの神様が増えても全く問題ないし、むしろたくさんの神様同士で仲良くやってくれたらむしろ喜ばしい。だから、日本人はキリストのお祭りであるクリスマスも心からお祝い出来て、ケーキも美味しく頂けるのでしょう。
前にも一度書いたのですが、この神々を信じる日本古来の「神道」は、まぁ、宗教のカテゴリーには入るでしょうが、他の世界に見る「宗教」とは違い、「宗教では無い」ともいえます。宗教であって宗教でない。この矛盾を私のレベルではなかなか説明できないのがもどかしいと、思っていましたが、こちらのブログで、判り易く書かれていますので、ぜひお読みください。「釣りキチおやじの言いたい放題」
以前に読んだ「反日教育を煽る?」と「マンガ中国入門」に続き同じく黄文雄著「驕れる中国悪夢の履歴書」(2005年10月25日発行)を読みました。
◎中国人のDNAには、日本人の想像を絶する『中華思想』と『奴隷根性』が刻み込まれている!
「反日有理」で破壊活動を行い、「愛国無罪」で責任逃れ?この「醜い中国人」はいかに生まれたのか。歴史・文化・社会の徹底分析から明かされる、救いがたい中国人の民族性。中国政府がひた隠しにする過去の大罪から日本の知識人が見逃してきた意外な「弱点」までも説き明かし、周辺諸国を食い物にし続ける「中国人の本性」を鋭くえぐる。
日本人は一億人いて、それぞれ個性があってひとくくりに語れないし、ましてや中国は10億とも言われる人がいるのだから、十人十色ならぬ「十億人十億色」と言っても過言ではない位に、人間はそれぞれなのです。しかし、その教育や環境によっては、その特色や特性、傾向が現れます。
この本を読むと、中国人と日本人はほとほと正反対の人種であると思わされます。端的に言って中国社会は野生そのもので、とても法治とかモラルなど無く日本の隣にして反対色の社会体制や民族性であると書かれています。中国に良い印象を持っている方や、ビジネスに出ようとする方は必読ですね。
折しも東アジアサミットで、中国はリーダーを狙って日本と対抗するように画策しましたが、考えてみれば、中国国内の人々を幸せに出来ない国が、他国を幸せに出来るはずもなく、何故にそれでも存在を誇示するのか分析する必要があります。結局は中国は自分だけの利益のためであり、日本の「みんなの幸せ」を追求しようなんてこれっぽっちも考えていません。
この本を読むと、中国があちこちで理不尽な外交しているその本質が見えてきます。
ただ、増毛町内にも中国の人が働きに来ているのですが、私は、素直に友達のように近寄れない感情が芽生えました。「差別主義者」と言われるかも知れない私でした。
昨日は、我が郷土より旭日双光章なる叙勲を受けられた小笠原秀夫氏の祝賀会が午後3時から開かれ、出席してきました。
勲章については全く無知な私ですが、賞状?には「日本国天皇は小笠原秀夫に旭日雙光章を授与する皇居において璽をおさせる」とあり、日付と内閣総理大臣名と内閣府賞勲局長名がそれぞれ綴られていまして、重みのある状と勲章でした。
さて、その後二次会へと流れた私。帰宅したのは今日の午前3時。丸12時間飲んでいた計算になるわけです。久しぶりの午前帰りでした。その二次会では、「フンヌ」氏と嫌韓についての話題沸騰し、彼はダウンして帰宅。入れ替わりにM僧侶が入ってきたので、彼との対談が始まったのだ。対談と言っても私からの一方的マシンガントーク。これも炸裂。日本の自虐史についてや、BSE問題に絡むアメリカとの関係が、始まりは敗戦時からの属国か手の良い植民地化している日本の姿。はたまた相手の立場に立つ思考力や想像力の大切さ。それが歴史を認識する事へとつながり、社会の安定や平和につながるといった壮大な話。それから、M氏は僧侶であるので、日本の神道と仏教についてと立て続けに話しました。
葬儀には説教をし、修行も積んでいるM僧侶を相手に、相づち程度しか反論させず、私の生け贄となったM氏でした。全く相手の立場を無視し、話続けた私。帰宅してから反省している私なのでした。