6月11日北海道新聞の一面見出しに「果物出来に三重苦」と題し北海道果樹の出来に対する落胆見出しが掲載された。
昨年台風による落果、風雨による花芽形成不良で、花が少ない。大雪のため枝が折れた。天候不順により、果樹農家が打撃を受けているとしている。しかし、文中の内容では、サクランボはほぼ平年並みで、りんごも「量は減っても品質は下がらない」としている。結局の内容は「大したこと無いよ」といっているのだ。
見出しと内容が食い違いを示していて、新聞の姿勢がどうなのか疑いたくなる。確かに、台風の影響は花芽など今年にも影響しており、大雪によるブドウ棚被害、枝折れ被害もある。もちろん天候不順で生育が遅れている。だからといって、果樹農家が悲惨な状態で作業しているかと言えばそんなことはなく、あくまでも収穫を目指して、毎日の営農に励んでいるのだ。当面のサクランボも果実が肥大してきて、今年はよい収穫となるようにと思っているし、りんごはまだなり具合がはっきりしないが、今年もよりよい品質の物を作ろうと努力している最中だ。
昨年台風通過後、おおくの励ましを消費者から頂いた。しかし、台風で、多くの果実が落果した報道により、わずかに残ったりんごが、なかなか売れないという現象が生じた。これは、報道が先行し、消費者の中に「りんごはみんな落ちてしまった」と誤認をさせてしまったからではないかと私は思っている。それ故、報道は印象だけで書いて欲しくないと思うのである。
幸いにして、ネットで見ている方は、果樹園ブログで、実際の様子を多少なりとも伺い知る環境にあるので、ブログを見ていただければ、果樹農家は決して落胆していない事はおわかりと思う。
自ら情報を得るのにネットは強力なツールとなりつつあり、さらにブログの普及により、マスコミが書かなかったあらゆる情報を見ることが可能になった。ネットからの知識を広めた人をネデジタル・ディバイドというらしい。こちら参照。マスコミに携わる人は、「オピニオンリーダー」であると勘違いしてもらっては困る。すでにマスコミの偏重報道など、ネットではどんどんと解明暴露されててきている。
いつも静かな仕事中はポケットラジオを聴きながら仕事しています。今日は午後から国会中継を聴きました。まぁ「FM緑の風通信」の再放送があったので、その時間帯は両方かけていましたけど。
今日の国会中継は衆議院予算委員会。ネットを検索すると中継を見られるようになっていますねぇ。こちら 今日のビデオライブラリーはこちら
民主党代表の質問には私は血圧上がりっぱなしでありました。靖国参拝問題。
半年前の私でしたら、おそらく岡田代表の意見に寄った考えでしたでしょう。しかし私は、多くのネットをしている人は気がつき始めているように、中国韓国からとやかく言われるからといっても靖国神社へ行ってほしいと今は思っています。岡田代表は「A級戦犯を合祀しているから参拝するべきでない」と言っています(後に(総理は参拝を他国に正当性を)説得すべきと発言が変化しました)が、AもBもCも関係ないと私は思います。日本の文化として、死者はみんな仏や神様になるのでしょう。さらに岡田代表は「参拝は国益に反する」とまで言いました。これは、日本文化を否定する発言と聞こえました。
戦没者参拝は「日本の魂」の問題だと思います。文化や魂は「お金」に代えられないものではないでしょうか。
昨今、靖国問題だの反日デモなど内外で騒がれています。歴史教科書問題もにぎやかです。歴史観はその国により多少の違いが生まれるってのはしょうがない事ですが、やはり日本としては、日本にとって不都合な事でも「真実の出来事」が本当の「歴史」であってほしいです。
しかし、「昭和」の歴史観はとかく中国や韓国から、とやかく攻められ、「日本がすべて悪」だと強要されようとしています。また、日本国内でも多くの人々が「日本は戦争で酷いことをしたんだ」と素直に認めそれ以上の思考を停止しています。さらには政府もアジアには「お詫び」を繰り返しています。
この本渡部昇一の昭和史」は、そんな「自虐史」から、「日本ばかりが悪いわけではない」と言うことをわかりやすく教えてくれます。著者は、10年以上前からラジオ等で「南京大虐殺は無かった」「日本に占領された国々は結果として独立しいち早く民主化し近代化した」と力説していた事を私は覚えています。
日本人は他国(アジア3カ国から)過去を持ち出されると全く「誇り」や「自信」を持つことが出来なくなりますが、この本は「本来の誇り高き日本人」であることを気付かせてくれます。
著者「渡部昇一」はこんな人です。チャンネル桜よりこちらをどうぞ
今日は憲法記念日と言うことですが、国民の多くは連休の過ごし方の方が重要のようです。しかし、戦後60年にして、ようやく「憲法」を真剣に考える機運が高まってきました。
国民の一人として私の意見を言わせてもらえれば、「改憲に賛成」です。アメリカに占領されたのに、再び独立出来たのは何故なのか私にはまだ勉強不足ですが、すでに独立国として53年(確か)経つのに、未だにアメリカの軍事力によって守られているのは事実です。人によっては「アメリカの53番目の州」と皮肉っぽく言う方もおります。しかし、日本は永遠にアメリカの州には成れませんし、そのつもりもありません。
「独立国」である以上、憲法くらいは自分達で作り示して行くのが当たり前と思うのです。もちろん「戦争放棄」は第一に詠っていて良いと思います。しかし、防衛は明確にしておくべきでしよう。お隣の国が怪しい動きを示す中、きちっとした日本の態度を示す意味でも、憲法論議は速やかに深めるべきと思います。
法律は時代とともにその時の価値観で多少の変化はあってしかるべきです。その時代に即応できる柔軟な思考力でこれからの日本をリードしてほしい思っています。
今日は、苗木を植える作業を一日していましたが、ふと空に目をやると、ツバメがめまぐるしくたくさん飛び回っていました。夕方、写真を撮ろうとカメラを向けましたが、動きが速すぎて、シャッターをいくら切ってもうまく写りません。右の写真はようやく撮れた一枚です。ドックイヤーで進む現代の世の中。シャッターの切るタイミングが少しずれただけでも被写体を捉えるは出来ないのです。
明日から大型連休が始まるようですが、農家にとってはほとんど関係ありません。というより、ほとんどの農家は最も忙しい時期の一つです。それにしても明日29日は「みどりの日」だそうで、どうしてわざわざ「みどりの日」にしたのか不明です。私にしてみれば昭和天皇の誕生日ですから、「昭和の日」としてくれた方がしっくりします。
昭和は日本2千年の歴史の中で、超劇的出来事があった激動の時代でした。その大きな事の一つに第2次世界大戦でしょう。別名、太平洋戦争。大東亜戦争ともいいますね。今年はその「敗戦」60周年です。終戦ではなく「敗戦」です。
昭和20年(1945年)、敗戦後日本は、アメリカに占領されました。日本の歴史の中で、初めて海外の国に主権を奪われました。そして、日本が再び立ち上がれないように自虐史観を押しつけなど徹底的に行いました。国旗掲揚も禁止されたそうです。
それから6年後、昭和26年(1951年)年9月8日にサンフランシスコ講和条約により、ようやく日本の主権回復が認められ、条約発効が昭和27年(1952年)4月28日と言うことです。
ですから、今日は「日本の独立記念日」と言うべき記念すべき日であります。
こちら参照してください・・・
国益.com「4月28日を独立記念日に」
「4月28日は日本独立記念日である」
また日下公人氏の著書を読みました。「人間はなぜ戦争をやめられないのか ?平和を誤解している日本人のために?」です。
昨今、韓国での竹島問題・教科書問題デモや、中国の反日デモがニュースで盛んに取り上げられています。いずれの主張も「日本の歴史認識」を問われています。しかし、日本の多くの人は「日本は悪いことをしたんだ」と思っているし、政府もこれまでに何度も公式謝罪をやってきました。それなのに、未だに反省を求められています。日本は全く戦争をする気はないので、なんとか沈静化を望みたい所です。
日本人にとって戦争は悲劇であって忌まわしい過去の歴史としたいわけですが、、お隣さんは今も尚係争中の出来事としたいようです。従って、私たちは今一度、素直に、戦争を見つめる事が必要になっています。
「善悪」や「良心」レベルで戦争は論じられない
戦争は政治の継続であり、外交の一手段である。だから国家はそのための戦略と戦術を設計する。だが戦略的思考の乏しい日本人は、戦争を「善悪」や「個人の良心」レベルでしか考えられない。 在韓米軍の撤退、中国の台湾侵攻、さらに日本の核武装まで想定される今、「戦争を設計する」という発想こそ不可欠なのだ先駆的戦争論、ここに甦る!
この本では大東亜戦争は、ただ単なる戦闘をしたのであって、「戦争設計(戦略)」がまったく無かったことを指摘しています。お粗末ながら当時の日本は、大きな視点での設計が無かったため、結果的に多くの犠牲を払ってしまったと言っています。
この本では、ただ単に戦争の範囲を超えて、現在のたとえば企業としての「戦略」が大切だとも分からせてくれました。そういえば、一連のライブドア騒動も、戦術・戦闘が繰り広げられていますが、その司令官であるホリエモンからは「戦略とかビジョン」が見えてきません。単なるマネーゲームと言われるのもこのためでしょう。
マスコミでは郵政民営化ばかりやっていますが、一方でこんな不穏な法案が提出されようとしています。「人権擁護法案」。誰もが反対しそうもない美しい名前の法案ですが、実は羊の皮をかぶったオオカミ法案であったのです。
せっかく、ブログで各自の意見表現が活発になって、新たなる世論の形ができあがろうとしている中、この法案が通れば「プログ狩り法案」ともなりかねません。これは言論の自由を大幅に萎縮させる危険性があり、とても今の日本で受け入れられない法案であります。
詳しくはこちらのブログを参照してください。
人権擁護法案 サルでも分かる?人権擁護法案 人権擁護(言論弾圧)法案反対
酔夢ing Voice?西村幸祐?
アジアの真実
日本は言うまでもなく島国です。そして百年ちょっと前まで世界と隔絶した文化を形成してきました。そして、開国し、急速な近代化に成功して、戦争を過ぎて現代の豊かな生活を送っています。
開国後からは世界の規格に合わせて国内の思考やシステムを変化させて来ました。今もなおグローバルスタンダードと言われるものに翻弄されています。たとえばペイオフなどもその一つですし、ライブドアの敵対的企業買収もそのグローバールな流れの一つでしょう。
しかしね日本は元来島国であり、小さな戦はあっても、基本的には「みんな仲良くやろうよ」と言う精神が根底にあると思います。島国ですから、気にくわないからと言って、他所へ行くにも行けないし、狭い中でどうのように暮らしていけるのかを追求していました。農業や林業が盛んに行われていたのも島内で完結しなければならなかったのです。
それが、開国後、さらには今日に至るまで、世界経済の中で日本文化はどんどん退くことになっています。世界経済は一部のアメリカの大金持ち達の都合良く作り上げられた規格であることも否定できないでしょう。「日本の常識は世界の非常識」と言われて、日本人はせっせと世界規格に合わせて来ました。エコノミックアニマルとか、根回しとか日本らしい思考は否定されつづけてきました。
しかし、世界は交通や通信の急速な進歩で地球を小さくし、また、むしばんで来ました。ある国が覇権を試みることにより戦争となり多くの悲劇を生みました。今では経済を追求することで環境を大きく悪化させています。
人間が宇宙へ新規開拓出来ないこの現在、人間の生命維持には地球内で完結していなければなりません。つまり、地球はもはや「島国」であるわけです。地球に住む人間が「みんな仲良くやろうよ」という精神を持たなければいつまでも戦争は続くし、貧富の差はますます増加します。しかし、共産化はソビエト崩壊を例に取るまでもなく、失敗の経験済みてす。そこで、私はきっと日本的な考え方が世界の主流になるのではないかと思っていたわけです。
で、この本「日本の文化力が世界を幸せにする」は、日下さんが優しく説いています。呉さんは韓国生まれですが、済州島出身でいわゆる「島国」の方であり、日本文化に相当思い入れている方です。
日下さんは、特別日本が日本文化を押しつけなくても、心地よければ自然と和風に傾いてきますよと言っています。なるほどねぇ。やっぱり私のうすうす思っていた事をわかりやすく解説してくれています。
いつの日か、「日本の常識は世界の常識」となるでしょう。
2月に紹介した「親日派のための弁明?」に引き続き今回はこんな本を読んでしまいました。「反日教育を煽る中国の大罪 ?日本よ、これだけは中国に謝罪させよ!」です。著者は黄文雄(こう ぶんゆう)です。彼は台湾生まれで、現在日本で評論活動をしています。沢山の著書があって、韓国や朝鮮の近代の事をあつかった本が数々あります。こんな方です。「チャンネル桜」より映像→彼の著書「日本の植民地の真実」について語っています。
この本には中国の過去から現在の実態が書かれています。沢山の史実書を分析したであろう内容で、普通の日本人には気がつかなかった事が書かれています。中国は現在経済成長が著しいのですが、その裏面の事や、とかく靖国参拝問題だぁの侵略問題だのと日本に牽制してくるその本心を見透かしています。
反日教育している三カ国はいったいどうなるのでしょうか。日本はこの国々から今後どう扱われるのでしょうか。日本は今後の態度をどう取るのでしょうか。いや、確固たる「独立国」としての思考をせねばならなくなると感じさせた本でした。
前回に続き知覧町レポートです。知覧町は地図で見ると判りますが、薩摩半島の南端部に位置しています。ここは、第二次世界大戦当時、陸軍特攻基地があった場所であり、千余名の若者が特攻隊としてここから飛び立ったのです。(海軍は現在の鹿児島空港である溝辺から二百十数名が犠牲となっているそうです)
知覧町の観光は武家屋敷が有名です。武家の屋敷郡があって、庭園はどこもすばらしく整備されており、実際に今でも住まいとして使っているです。その庭はだれでも自由に見られますが、門には表札があって個人の住宅であるのが分かります。平山さんや西郷さんなどがありました。
垣根や庭に使われている石は運び込まれたそうで、重機も無い昔にどうやってもってきたのかと想像すると、先人の知恵には敬服する次第です。大きな石はわざとに割ったり、見えない裏側をくりぬいたりとして重量を少しでも軽くして運んだそうです。
また、庭は垣根と石で遠くの山や近くの山などを再現し、庭で知覧の景色を表現しているそうです。
さて、知覧町に来たら日本人として見ておかなければならないのが「特攻記念館」でしょう。わずか60年前の出来事です。今、私達は平和を享受しています。戦争は繰返してはならないと思います。しかし、現在あるのは先人の不幸な出来事の上に今があるのですから、その時の背景や現在に至る近代の歴史を私達はもっと理解すべきでしょう。
「戦争は悪だ!」と目を背ける人もいるでしょうし、日の丸や国歌を強制すべきでないという意見の人もいますが、ここから飛び立った若者は、全国から来ており朝鮮の方も数名おります。命を捨ててまでも日本を守ろうとした方々なのです。
展示品には、日の丸に寄せ書きしているものや、母や身内に宛てた絶筆の文章があり、どれもきれいな文字で書かれ、とても二十歳前後の文字とは思えないくらい達筆なものばかりでした。内部の壁にはここから飛び立っていった方々の写真がびっしりと貼られています。観客の中にはすすり泣く人もおりました。改めて、平和であることの感謝の気持ちが湧いてきました。館内は撮影禁止のため、外の碑で記念写真を撮りました。
以前にも紹介しましたFLASHです。知覧からは沖縄に向けての作戦でしたが、こちらのFLASHには特攻の始まりが盛り込まれています。「真実はどこに」
2月23日に書きましたが、十勝川温泉にやってくる台湾のお客さんはとってもフレンドリーで、来客も増加しているそうです。台湾は、第二次世界大戦の頃は日本の植民地でした(朝鮮は併合)。戦況が悪化した頃、日本人と共に戦った台湾の原住民、高砂族がおりました。彼らは、日本人以上に日本人として戦ったのです。そして多くの方が戦争で亡くなりました。その慰霊碑が撤去される危機がありましたが、その移設のめどがついたのが写真の産経新聞のニュースです。
戦争は繰返してはならない!同感です。しかし、戦争は歴史として知っておくことが必要でしょう。私も高砂義勇兵の事は最近まで知りませんでした。日本兵として日本人と一緒に戦いながら、終戦後辛くも帰郷した彼らは、国籍を日本から剥奪され、帰還兵なら支払われる恩給も払われていないのです。これは法律の壁がありますから、なんともしようがありませんが、誇り高い彼らは、「補償や賠償」を求めているわけでもなく、控えめな名誉を満たして欲しいのみなんですね。
高砂義勇伝HPから
FLASHを見て頂いた方が一発で判ります。こちら
おにぎり 参考文献:高砂族に捧げる
差し入れてもらったおにぎりを食べられなかった日本人兵士の話
そのうちの一人の兵隊がなぜか憑かれたように立ち上がり、傍に建てられた粗末な墓に握り飯を添えて、 全身をふるわせながら
「オレにはこの握り飯は食えない」と慟哭するのである。
どうしたのですか?福島報道班員はきいた。傍の兵隊が、それを説明した。 あの墓には、Bという高砂義勇隊員が眠っているのです。ニューギニアの作戦の当初から、 われわれはBとともに戦ってきました。食料のない日が何日も続きました。 ある日、Bはずっと後方の兵站基地にさがって、食料を運ぶことになりました。 ところが、その次にBに出会った時には、Bは死んでいました。
五十キロの米をかついだまま、 Bはジャングルの中で飢え死にしていたのです。背中の米には一指もつけずに・・・・・・
また、こちらにもいろいろ書かれています。 ブログEast Asia News Watch
滅多に読書なんてしない私ですが、翻訳掲示板NAVERやブログ「アジアの真実」を見ている内に、何故日本は嫌われているのかと思うようになりました。 親日派のための弁明??英雄の虚像、日帝の実像?は、韓国の作家・評論家であるキム・ワンソプ氏が書いた本です。この本は韓国では出版されず、また、著者は家族も含めて逃げるように海外で暮らしいてるという。
まえがきにこのような文がありました。
日帝時代は法がなくても生きられる社会だったという。これは親戚が言ってくれた言葉である。「あの時代を狂おしいほどに懐かしむ人たちも多い。だから集まるたびに演歌をむせび泣くように歌う。」これは私の両親が言ってくれた言葉である。(中略)「北海道に徴用に行った朝鮮人の賃金は、当時の日本人のホワイトカラーの月給の3倍から5倍で、勤労時間も徹底して遵守され、朝鮮人は幸せだったように思える」。これはチェ・ギホ先生が私に言ってくれた言葉である。
このすべてが、反日洗脳教育を受けて成長した韓国の戦後世代にとっては、天地がひっくりかえるほど衝動的な証言である。誰もがもっていたこのような記憶が、なぜ今まで知られなかったのだろうか。
この本は、日韓併合から現代の歴史教科書問題、太平洋戦争など日本韓国の近代歴史をつづっています。歴史は、その国その国によって、多少都合の良く解釈されていると思います。しかし、日本に住む我々は、客観的で真実の出来事を知っておくべきで、また、後世にも伝達する必要があるでしょう。ですから歴史の捏造なんてあってはならないのです。
さて、その真実とはどこにあるのでしょう?
2月12日にも書きました「剣道」ですが、私はてっきり日本古来のものと思っていましたぁ。そしたら韓国のコムドってのが起源らしいではないですか。こちら参照これによるとさらに「侍」も百済武士「サウラビ」が始まりってことになっていますよー!
しかし、日本剣道連盟の「歴史」では、剣道は日本が起源って言っています。一体どっちなんですか。
剣道は技術もさることながら精神修行ってのもウェイトが大きいでしょう。勝ってもガッツポーズしただけで負になるなんて、お隣の国でもそうなんでしょうか。あと、水戸黄門で、助さん格さんは余りに強いので、相手をやっつけるときは峰打ちなんでしょう。これもあるのでしょうか?。KILLJAP(http://www.magga.co.kr/)では、日本人が無残に殺されるシーンばかりで、とても剣道精神なんて感じられないのですが・・・・・。
※画像はこちらから引用しました http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/
え?、果樹園のブログなのに性質の違う内容で申し訳ありませんねぇ。果樹園の様子などを本来は書くべきですが、それはそれで書込みしていきますので、今しばらくお付き合いを。
今日はポーランドなんですぅ。これ、テレビでも放送されましたが、それがどの番組だか覚えてないんです。ご存知の方、教えて頂きたいと思います。この放送でも紹介されていましたが、95年10月孤児だった方を現地大使館に招いた時のおばあさんが、「私は生きている間にもう一度日本に行くことが生涯の夢でした。そして日本の方々に直接お礼を言いたかった。しかしもうそれは叶えられません。しかし、大使から公邸にお招きいただいたと聞いたとき這ってでも、伺いたいと思いました。何故って、ここは小さな日本の領土だって聞きましたもの。今日、日本の方に長年の感謝の気持ちをお伝えできれば、もう思い残すことはありません。」
この出来事を書いた本があるようですが、FLASHを見つけましたのでリンクします。新・旧作あります。
日本人って、情け深い民族なんですね。日本人で良かったです。
「大和心とポーランド魂(新作)」「大和心とポーランド魂(旧作)」
日本人は礼儀正しいと言われますが、その象徴たるものは日本のスポーツでしょうなぁ。武道はどの種も礼節を重んじていますし、高校野球も礼に始まり礼に終わります。
剣道は試合に勝っても、うれしさをあからさまに表現してはいけないと、「トリビアの泉」でやっていました。勝ってガッツポーズをした途端に負けです(不適切な礼節)。これは「勝って兜(かぶと)の緒(お)を締めよ」って事と思いますねぇ。「勝ったといっても、心を引き締めてことに当たれ」って事だ。
いや、これ、Goo国語辞典で「勝って」を調べたんですよ。その欄にはもう一つの引用句「勝てば官軍(かんぐん)負ければ賊軍(ぞくぐん)」ってあるジャーないですか。
これですね、私の嫌いな「戦争の歴史」でも同じと気づいたんです。第2次世界大戦の時、日本は始めは勝っていました。そして、しかし勝って兜の緒を締めたんです。けっしておごらず、規律正しかったんです。そりゃ?一部に脱線もあったかもしれませんけど。そうでなければ、アジアの国から感謝されることはありません(中国、朝鮮を除いて)。いろいろHPを見ると、親日国が意外に多いのです。
しかし、戦争は負けてしまいました。ことわざどおり、日本は「賊軍」として貶められるようになりました。さらに、今でもその日本の行いを罵る日本人もいますし、中国、朝鮮はこれでもかと鞭を打って来ます。日本の現代人の多くは「過去の過ち」として、歴史を封印し、本当の出来事に見向きもしなくなりました。お爺さんやひいお爺さん達は悪いことをしたんだ!強姦魔だ!虐殺魔!と言われているのに、誰も反論せずに目先の経済だけを考えています。
「もう戦争はしない」は賛成です。でも、今の生活があるのは、過去があるからです。過去の出来事を捏造してはいけませんし、思考を停止してはいけないのです。この事を踏まえたうえでこちらのFLASHを是非ご覧ください。「真実はどこに」