ホントかウソかってウソです。
昨日サクランボ剪定中になにげにプルーンの枝を見ましたら奇麗な小鳥が6羽ほどでさえずっておりまして、なるべく刺激しないように近寄り、カメラのズームを最大にして撮影したのが、この写真です。
梅の芽を食害する鳥「ウソ」は知っていましたが、シゲシげと見たのは初めてです。奇麗な外観とは裏腹、核果類のまだ小さな芽だけを食べる憎き鳥です。長沼の仲野さんも梅に被害があるようです。3月に入ってもまだまだ梅など荒らされそうです。
2月25日訪れたオカメ隊からお便りいただき、その時の取材が3月6日の朝日新聞
夕刊(道内)の「ぶらり産地訪問」に私どもが掲載されたようで、その新聞をいただきました。
ワンコが枝集めの手伝いは調教不足のためまだムリなのですけど、オカメ隊の柔らかな文章が良いです。
本日朝、一夜にして新雪が20センチほど積もっていてました。3月でもまだまだ寒い日が続きそうです。
さて、フジモリ果樹園(壮瞥)ブログにさくらんぼ剪定道具が紹介されていました。その他に道具ではないけれど、雪上作業の剪定作業に欠かせないアイテムは長靴ですなぁ。
去年の長靴はどこからか水が浸みてきてダメになりましたので、先日新しい長靴を購入。いつもは5000千円程度の物にしていますが、写真のこれは9000円弱でした。メイドインJAPANです。
使ってみると、やっぱり高いのは違いますなぁ。薄手の靴下一枚でも冷たくないのです。これまでの安い長靴ですと、靴下二枚重ねは普通でしたのに。
外見上はほとんど変わらないのに、どこがどう違うんですかネー。
20日の事ですが、右サイドバーにもリンクしている札幌から行く 産直ガイド製作のご両人が来園され、冬の果樹園の様子をカメラに収めていきました。その様子がブログ「EARTH APPLE magazine! どさんこオカメの「photo日」通信」に載っていますので、このブログでも紹介します。
カメラマンは私と同名「キヨタカ」さんでございます。鉄道や旭山動物園の写真集など出版しておられるプロカメラマンです。20日は小雪ちらつくあいにくの天気でしたが、剪定作業風景など亀畑ライブラリーに蓄えられたのでした。
2月23日、仁木町で道果樹協会主催の全道剪定講習会が開かれ、増毛町からも11名が参加しました。
昨年同様(2008/2/28参照)、講師に山形県寒河江市でさくらんぼ栽培を実践している軽部賢一氏を迎えております。
午前中は仁木さくらんぼ出荷組合副会長である勝浦氏の圃場にて、剪定の実技講習でした。
軽部氏を招いての講習は、同じ樹を継続的に剪定しなければ身に付かないとのことで、同じ樹を剪定するようにしていて、今回で3年目となります。
現地には道内各地の果樹協会員約100名が参集。軽部氏の経験に基づく論理的な剪定法を学びました。午後から場所を農協に移して、さくらんぼの最新情報など意見交換がなされました。
今日のSTVテレビ(日本テレビ系列)の「笑ってコラえて」で弘前大学が取り上げられ、ナマコ研究やりんご研究の模様が紹介されました。
中でも、かなり前に週刊誌や新聞に取り上げられた「りんごジュースが免疫力がアップする」研究をされている先生が登場。りんごに含まれるポリフェノール効果は健康に良い、りんごは未熟な方がポリフェノール含有が高く、りんごジュースは完熟と未熟りんごのミックスを毎日飲むことでガン等を抑止する免疫効果がさらに期待できるそうです。この先生は毎日ジュースを飲んでいるとのことで、頭髪も濃くなったとか・・・・
うーん、りんごの効能再認識~っ。
パソコンに昨年の簿記を入力していますが、やはり昨年は最低の売上で決算は厳しいものになりそうです。入力は経費や家事消費など入力が残っています。減価償却の方法が変わって5%残存が1円までの償却するように変わるのですが、農業簿記7は、その辺うまく連動されるので助かります。
さて、その我が家で最高額の減価償却資産である直売場件作業場、名付けて「オーチャードヤード」ですけど、思わぬ外敵によってその資産価値を下げさせられています。
そう、写真をごらんのように「キツツキ」でございます。中で仕事していてコツコツとなんか大きな音がするなぁと思って出てみると、木壁に穴が開けられていました。
「キツツキ」であるアカゲラは見た目に美しいのですけれど、今回は「憎たらしい」鳥として私の脳裏に焼き付けられたのでございます。
amazonをさまよっている内に見つけた本奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録を読みました。リンゴの無農薬栽培なんて不可能というのが我々果樹農家の常識ですから「我々と敵対するとんでもない本が出ている!」と早速注文していました。
私がりんごの無農薬栽培で思い出すのは約20年前、仁木町で無農薬栽培を取り組んだ隣の果樹園を訴えた事件がありました。その後に和解勧告されたと思いますが、その後無農薬栽培リンゴ園がどうなったのか私は知りません。
さて、本書は今年出版されていますが、内容はNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で2006年12月に放送されたようです。私は見ていません。
私の読後感ですが、木村秋則さんと正反対の慣行農業をしている私でありますが、正直言って木村さんを応援したい気持ちになりました。だからといって私もしくは我々がすぐに無農薬栽培に取り組めるかといえば、それははるか高い高いハードルが立ちはだかっていると思います。しかし、リンゴに限らず現代の合理的な作物栽培法はいつか破綻するかも知れないし、石油によって延命されているだけの事かも知れないと著者石川氏は教えてくれています。私もその通りだとお思いました。
明治の頃には農薬が存在していなかったわけですが、無農薬栽培する木村さんの栽培は単に時代を戻ったと思われるかも知れませんが、そんな事は全くなく、木村さんの挑戦は科学であり、むしろ未来を掲示しているのではないかと思いました。
「無農薬リンゴなどできるわけが無い」とは果樹業者であれば常識中の常識でありますが、果樹業者であればなおさらこの本の一読をお勧めします。もちろん、木村さんのような真似は出来ないですけれど、木村さんの心意気を垣間見ただけでも励みになります。
またより専門的にこの農法を知りたい方はこちらの本「自然栽培ひとすじに」が参考になるかも。いずれ読んでみようと思います。
この写真は10月15日当果樹園直売場の風景でございます。実を申しますと、私一瞬ですが北海道電力のCMに出ています。
前回のエントリで「北海道中ひざくりげ」のお話ししましたが、コメントをくれた「宮」氏のご指摘の通り、それ、私でございます。親父も入っていましたなぁ。
撮影後、本採用になるまで伏せておりましたが、晴れてCMが流れているようなので、披露しちゃいます。この数日前にディレクターさんが、電気にまつわる仕事風景を探って当果樹園にも下見に来られ、その時、選果機をみて「これだ!」とひらめいたそうです。
撮影は午後でしたが、朝の雰囲気を出す照明をセット。電気で動く物と言うことでりんごの「選果機」が主人公ってな訳です。帽子はどこかのメーカーロゴの無いようにとの配慮から、スタッフが用意した帽子を着用しました。選果機に流れるリンゴは、鮮やかさが出るようにと「旭」を用意したのは私です。
撮影隊は総勢15名ほど来られたと思いますけど、CMで使われた場面は一秒もないほんの一瞬でしたねー。いゃー、改めて本編を見ますと、恥ずかしさがこみ上げて参ります。「こっぱずかしい?っ」
12月中、あちこちの道内テレビで北電CMが流されると思いますが、HPからもご覧頂けますね。北の暮らしを支えたい:一人ひとりが思いをこめて「環境編」30秒。23秒後辺りの一瞬でございます。
余市町登地区の庭田親雄氏が11月24日死去され、先日のお通夜に余市へ行ってまいりました。享年88歳でした。現在の増毛ブドウ栽培などのきっかけとなった人物であり、現代果樹栽培の先駆けであり功労者でもありました。
庭田さんは大正10年余市町登地区生まれ。若き頃にりんご栽培の先進地青森へ何度も足を運び、論理的なりんごの剪定技術を習得し実践、またそれを道内に伝達した人です。それまで剪定は漠然と大雑把な切り方でしたが、樹の生理を理解し「理屈」をもった科学的な剪定を広めたのです。例えば垂直に伸びる枝に果実はなりにくいのですが、縄で引っ張りって枝に角度をつけることにより花芽ができて果実を成らせることができる「誘引」の技術を広めたのも、庭田さんの功績が大きいと思います。何を隠そうこの私も庭田さんから剪定を学んだ一人でございます。
約35から40年前(詳しい年代は私は分かりません)、余市では最新栽培技術をもつ庭田さんを慕う果樹園主がいつしか集うグループが出来ました。その名を庭田さん名前を取って「親果会」。親果会は会員の親睦をはかりながらりんご栽培の研究実践をしていきました。
一方増毛では、庭田さんを招いて剪定講習会を開催しています。(剪定は当時も現在も流派がいろいろあって、「庭田式」などと呼ばれています)
りんご一辺倒だった果樹栽培は、りんご価格低迷により他の果樹への移行が余儀なくされます。その一つがブドウ栽培です。しかしブドウは多収量を得るには棚仕立てが必需でした。多雪の北海道では、他県の樹形では棚が雪の重みで壊れる心配がありました。そこで、秋の剪定後、ブドウの樹を棚からはずして地面に下ろす樹形「一本仕立て」を親果会メーンバーはいち早く導入しました。りんご専門だった庭田氏はブドウ栽培に否定的でしたが、ある時から人一倍熱心にブドウにも取り組むようになりました。
増毛から家の親父ら3名がブドウ栽培を学びに行きます。そして約35年前、増毛で棚仕立てによるブドウ栽培が始まりました。正に増毛での本格的なブドウ栽培のきっかけは親果会の存在があったからです。
親果会はその後だんだんと活動がなくなっていきますが、当時の親果会メンバーは現在でも果樹栽培のリーダー的存在となっています。
庭田親雄氏をインターネットで検索しても出てきませんが、果樹界に与えた多大な功績を称え、私の判る範囲で書かせていただきました。庭田さんのご冥福を心よりお祈りいたします。合掌。