8月 272008
 

昨日8月25日、増毛町果樹協会は普段の忙しい農作業に一息いれてもらうのと、見聞を広めるため、富良野方面へ日帰りのツアーを敢行しました。メンバーは私を含めて13名。2008-08-25(1).jpgまず「北の国から」で有名な富良野市麓郷にあるジャム工房「共済農場」へ行きました。数年前に行った記憶では、売店側にジャム工場があったのですが、現在は新築して住宅側に建てられており規模も大きくなっていました。ジャムは手作りなので、ナベを載せるガスコンロがずらりと並んでいまして、頭上に扇風機が一つ一つ設置されていたのが印象的でした。ジャムは一頃よりもさらに種類が増え、また、焼き肉のタレまで売っていて、商品のバラエティーが充実していました。
 アンパンマンは、我々は大人なので見ませんでした。
 次に、我々果樹業にはおなじみの「山形天香園」が富良野に土地を購入して苗木が植えられているとの情報で、そちらにも足を運んでみました。こちらは、同じ麓郷にありまして約10haの敷地だそうで、そのうちの6haにさくらんぼやブルーベリーの苗木が植えられていました。
 北海道でも寒さ厳しい富良野麓郷で、ちゃんと育つのだろうかと我々は正直疑問ですが、やはり、いろいろ苦労しているようでした。(写真はこちら
 2008-08-25(4).jpg次にお昼は予約していた中富良野の国道沿い「ふらのラテール、万華の湯」。我々はお部屋ほ案内され、食事となるわけです。で、おかずの写真で注目は、おかずの中よりも箸袋。これ見て、一同苦笑したのでした。
 食事の後、真っ昼間から入浴。少々寒かったですけど、露天風呂も堪能。風呂には「壺湯」という大きな焼き物の壺風呂もありましたなぁ。
 日中の入浴は、なんだかとてもサボっているようで申し訳ない半分、非常に心地よいものでした。
 その後、数キロ離れたラベンダーでおなじみの「ファーム富田」へ。
 我々のメンバーはいわゆる富田物語を知らなく、ただ奇麗な花畑とラベンダーで有名というだけでした。そこで私の豆ガイド。富良野で最後のラベンダーを残し、JRの雑誌(カレンダーでした)に載ってから観光客が訪れるようになり、おばあさんの作ったラベンダーの匂い袋から始まったおみやげの事などを伝授。(詳しくはHP
 私たちが行った時は、お盆シーズンが終わった平日にも拘わらず、沢山の車が訪れていました。駐車場に留まっている車は、ほとんどが「わ」ナンバー。つまりレンタカーがほとんど。バスも7-8台のバスには、東洋系の外国人の姿もあって、園内は大変な賑わいでした。
 夕刻の帰り道は、芦別、深川の道の駅に立ち寄って各自おみやげを購入。私も深川で定番「ウロコダンゴ」買ってきました。ウロコダンゴは、なぜか哀愁ただよい、昔懐かしくなる不思議なおみやげなんですねぇ。
 そんなわけで、一日の旅はあっという間に終わってしまった訳です。

8月 242008
 

 プルーンの内、先頭を切って「チェーアン」が収穫を迎えました。2008-08-24.jpgしかし、この品種は、ぽつらぽつらと熟してくるため、柔らかくなったものから少しづつ収穫しています。
 樹数が数本なので、収量はさほどありませんが、もいだ分を直売で出しています。

8月 232008
 

熱き心 寛斎の熱血語10ヵ条 (PHP新書 516)山本寛斎著の「熱き心 寛斎の熱血語10ヵ条 (PHP新書 516)」を読みました。2ヶ月ほど前に聞いた日曜日放送のラジオ「世相ホットライン はい!竹村健一です」に山本寛斎氏が出ていて、とてもエネルギッシュな語りをしていたので、著書を読んでみたくなりました。
 山本寛斎氏は、デザイナーであることは知っていましたが、巨大なイベントをプロデュースしていたのは知りませんでした。この本では、彼のこれまでの半生を綴りながら、エネルギッシュで自分らしく生きる秘訣みたいな感じで書いています。
 氏の情熱が伝わって来るような気もしましたよ。イベントに携わる人とか、少々人生につまづいている人なんかは、この本お薦めです。
 ただ、一箇所疑問に思った行がありました。失敗してまわりから人々が去っていった内容の後p119、「侵略される側の人々にとって何がもっとも屈辱的であったのか。それは、強制的に名前を変えられ、言語を変えられ、宗教を変えられることだったのではないか」と突然でてきて、侵略する側の主語がないので特定出来ないのですが、創氏改名皇民化政策を連想させられる文面なんで、ココだけはいただけませんでした。

8月 182008
 

 ネガティブ情報は気を付けないと、すべてがそうなのかと誤解される懸念があるのでどうしようかと思いましたが、珍しい現象なのでアップします。2008-08-18.jpg写真は、ジュース用りんご「E1」です。この木が植えられている場所は、5月10日の降霜(低温)の被害が大きかった所なんです。当時E1の花がどうだったかよく覚えていませんが、どうやら果房の一部に低温障害が残ったらしく、このようにおしり部分が円形にサビついています。
 このような症状のりんごは、他に見られないのです。おそらく学術的にも珍しい現象かと思いますので、紹介いたします。
 誤解の無いように、他のりんごにはこのような被害は見あたりません。

8月 162008
 

 昨夜は同級会と言うことで、出席。途中抜けだしFMラジオをこなして、2次会から再参加して飲酒。日付が変わる前に帰宅したのは良いのですけど、送ってもらった車を下車して携帯を見ながら玄関まで歩いたら、途中永寿川に転落してしまいました。2008-08-16.jpg
 約1.5メートルの橋から水深約30センチの川に転落。突然水に取り込まれ混乱しました。右肩から落ちて水中で一回転したと思うんですが、一瞬のことであまり覚えていませんが、飲酒量が少なかったので、なんとか何事もなく川から上がることが出来ました。その時、持っていた携帯は普通に動いていて、電話をかけることも出来たのですが、一応電池とか外しておきました。ポケットに入れていたカメラは、スイッチが利かないようでしたので、これも電池、メモリカードを外しておきました。
 私の外傷は左腕に擦り傷ができているものの、全身ずぶ濡れになっただけで済みました。ヤレヤレ。家の前川に転落したのは、物心ついて初めての体験をしました。
 さて、今日になってカメラは全く無事でした。DATEなど初期設定になりましたけど、意外と丈夫なカメラです。
 携帯は、朝になってFormaカードが認識せず一時ダメになったもの、十分乾燥させましたら、無事に復活しました。

8月 152008
 

 今日やっとまとまった雨が降りました。2008-08-15.jpg前回の降雨は8/2ですけどわずかに0.5ミリで、一瞬にして蒸発。その前といえば、7/17=30mm 7/22=20mm 7/23=5mm、この頃は多雨傾向でしたけど、今日はこれ以降実に3週間ぶりのまとまった雨となりました。これで灌水作業から解放されると良いのですけどねー。
 さて、見ている皆さんにはあまり関係ありませんが、雨だったんでパソコンに向かいこのブログMovableTypeのバージョンを4.1から4.2にアップしました。正式アップ版が出たのが14日なので、まっ、私の新し物好き本能で早速最新にしています。
 これまでのテンプレートがうまくいかないので、デザインが狂っていますが、今しばらくおまちください。
 どこがどういう風に変わったか、これから使ってみないと判りませんけど、ダイナミックの表示が速くなったような気がしますけど、どでしょうか?

8月 142008
 

 オリンピックとか見たりしてブログ書く時間無くて、ついだらだらと時間が経過していまいました。七飯での研修会は金曜日でしたので、もう一週間経っちゃいますので、今回でこのリポートは閉めたいと思います。2008-08-14(1).jpg研修会の午後は、文化センター室内に場所を移し、地元の状況のプレゼンテーションの後、函館ワインの方の七飯りんごを使ったスパークリングワインなど、の説明がありました。
 増毛でも増毛フルーツワイナリーが稼働を開始した矢先でしたので、私も興味津々で聞いていました。
 さてそれに先立ちお昼休み、文化センター裏手に七飯町歴史館があり、入館無料だったので行ってみました。
 最近「歴史の重み」をなんとなく理解し始めた私でございます。しかし古い農具などの展示だけだろうと期待せずに行きましたけど、皆さん!特に果樹関係者は必見でございます。
 何故かと申しますと、現在の果樹園で栽培されている「りんご」や「西洋梨」「さくらんぼ」「ぶどう」の原点は、七飯町であり、また、近代農業の原点といっても過言ではないのです。
 りんごの歴史は、明治元年ドイツ人の「ガルトネル」が苗木を植栽。明治7年頃、黒田清隆に呼び入れられたアメリカ人ケプロンがアメリカからりんご苗木を輸入して道内の何カ所かに植えられたのが果樹の始まりと言われております。
 ですから、七飯町は日本果樹の故郷、原点、発祥の地なのであります。さらに、ガルトネルの開いた土地は「七重官園」となり、近代農業の礎となっております。このフロンティア精神は道南農試にも受け継がれています。1979年北海道立道南農業試験場70年史参照
 七飯町は、果樹に限らず農業が盛んな地であることは、歴史に裏付けられている訳ですねぇ。 見直しちゃいましたよ。このような歴史輝く七飯町。これからもさらなる歴史を積み重ねて行くことを願っています。
 清香園宮田果樹園のすぐ側には「男爵いも発祥の碑」もありました。

8月 122008
 

 本日、りんごなどに薬剤散布をしました。

2008-08-12.jpg防除歴では前回入れるハズだったダニ剤を今回は混用しています。また、殺虫剤は悪名高いネオニコチノイド剤であるスタークルでございます。本日は薄曇りでして、気温はさほど高温にならず、さらに日中でも風が穏やかで、薬かけには良い一日でした。

対象【りんご・梨】 5タンク
殺菌剤:オーソサイド  800倍
殺虫剤:スタークル顆粒水溶剤 2000倍
ダニ剤:ダニサラバフロアブル  1000倍
葉面散布肥料:スイカル 1000倍(りんごのみ)

対象:【プルーン】 1タンク
殺菌剤:ベルクートフロアブル 2000倍
殺虫剤:スタークル顆粒水溶剤 2000倍
ダニ剤:マイトコーネフロアブル 1000倍
葉面散布肥料:ヨーヒB5     1000倍

対象:【ぶどう】 1タンク
殺菌剤:オーシャイン水和剤 2000倍
殺虫剤:ダントツ水溶剤   2000倍
葉面散布肥料:アクアマグ 800倍

8月 102008
 

 8日、集合場所である七飯の文化センターには、道内の果樹園ら約100名が集結。道内の果樹園ブログ運営者からは、壮瞥のフジモリ果樹園、旭川の山中果樹園、長沼の仲野フルーツパークなども列席しました。
 まず、午前中は七飯の果樹園を視察しました。文化センター裏手にある成田果樹園(写真)。こんなに市街地と隣接している果樹園は、道内では珍しいのはないでしょうか。薬剤散布など何かと気を使うなぁと思いました。2008-08-10.jpg
 次に奥村みのる園では、りんごわい性台木もあるものの、幹の直径が50センチ以上ある昔からの巨木が何本もあり、りんご園の原風景がそこにありました。増毛ではフラン病などでりんご改植が進んで、太い幹のりんごの木は非常に少なくなっています。
 清香園(宮田氏)では、防風林対策として「マツダヤナギ」の植え付けを試していました。3年あまりで数メートルに達するこのヤナギは、防風効果やドリフト防止にも役立ちそうでした。
 七飯のりんごは、ややサビが目立つようでしたけど、降霜の被害はないようで、樹勢も落ち着いているように思いました。まっ、七飯は北海道というより気候的にも青森に似ていて、下枝の使い方や着果数からいって、増毛とは全く違う光景でした。

8月 082008
 

 北海道果樹協会は8月8日(金)、全道果樹生産者研修会を道南七飯町で開きました。2008-08-08.jpg増毛町から増毛町果樹協会会長と私を含め3名で出席しました。
 増毛町から七飯町まで最短道程で約330キロ(確か)もあるため、前泊し1泊2日の日程で行ってきました。道のりが遠かったので、数回に分けてリポートしたいと思います。
 7日朝8時、会長の車で増毛を出発。せっかくなので壮瞥の果樹園を見ながら南下しようと231号線を札幌方面へ。壮瞥は札幌中心部を通って中山峠経由が近いはずですが、混んでいる札幌市街を通りたくないので、余市・仁木を回って行くことになりました。
 今ならブルーベリーが最中だろうと、ブルーベリー先駆者の仁木町の新藤さんの果樹園に寄りました。(写真)
 この日のブルーベリーは次の熟するまで一区切りだそうで観光客は居ませんでしたが、2メートル弱で旺盛に伸びている沢山のブルーベリーの木にやや圧倒されました。(写真)ゆったり気分でしたが、この時点でお昼となり、フルーツパークにきで昼食後、再び5号線を登る。
 途中、トウキビ直売で忙しくしているであろう紅果園でトウキビを買う。園主寒河江氏は、相変わらずのスキンヘットで、さくらんぼが悪かった分をトウキビで取り返すと意欲満々で仕事に精をを出していました。
 ニセコでうっかり曲がり損ね、昆布あたりから豊浦への道に入る。ぐねぐねと遠回りしてどうにか洞爺に着きました。フジモリ果樹園に連絡すると会議中との事で、「道の駅」で会うことができました。
 壮瞥の「道の駅」は、一新されて消防などの施設もかねた立派な「情報館i(アイ)」となっていました。中にはもちろん地元農産物も売っているし新しくて明るい造りの建物で、壮瞥の「勢い」みたいなのを感じました。
 フジモリ氏の案内で浜田観光果樹園タカシナ観光果樹園の圃場を見学。国道の右側(大滝に向かって)は霜の害が少ないらしくて、増毛同様壮瞥でも場所によるなり具合が極端に別れたようでした。タカシナ観光果樹園には、毎日のように団体の果物狩りが来ているらしく、今回も台湾からの観光バスが入園していて、「勢い」があるなぁと感心させられました。
 その後壮瞥を後にして、高速も使いつつ一路南下し、予約していた宿である、今、なにかと話題の「グリーンピア大沼」に到着したのでした。
つづく

8月 042008
 

 土・日の雨は恵みの雨だと安堵している道内の果樹園もあるでしょう。しかし、増毛では0.5ミリしか降りませんでした。さくらんぼの雨よけハウスは、フィルムをおおかたはがし終え、雨が降ればOKと思いきや、期待に反して降りませんでした。2008-08-04.jpgそこで、乾燥しているハウス内だったサクランボを中心に灌水を始めました。これから数日は晴天が続きそうとの天気予報です。
 雲がなくて暑寒別岳が久しぶりに奇麗に見えていましたので、いつもの林道の撮影スポットへ行ってみました。深い緑色が印象的でした。

8月 022008
 

 今日は雨模様だったんで、このブログの上部タイトルバーの画像を変えてみました。2008-08-02.jpgサクランボもとっくに終了したので、次の画像は暑寒別岳と思いましたが、良い写真が撮れていなかったんです。しかし、信砂に行ったおり、お庭に沢山の奇麗なお花が満開に咲いていましたのでシャッター切ってみました。
 自分のところの庭の影像を使えばよかろうでしょうが、まっ、奇麗でしたのでしばらくこの画像をタイトルとしたします。

7月 312008
 

 昨日なのですけれど、当園のサクランボ畑にある小屋から発見された、「藤原」の抜き文字トタン板を増毛町に寄附しました。2008-07-31.jpg増毛町での果樹発祥の功績者「藤原家」は現在増毛には居ないのですが、昔は暑寒沢の大地主だったんですね。約30年以上前に、「藤原」から買い受けた土地に小屋があって、それは元々住居だったようです。
 その小屋の壁に無造作にぶら下げてあったこのトタン板なんです。
 これは、昔、木製のりんご箱に、自分の屋号を印刷するためのものです。この文字を切り抜いた板を新箱取っ手面に載せでこの上から墨を含ませたタワシでなぞると、木箱に印刷出来るのです。
 我が家はヤマセン(「人」の下に「千」)なので、この板は必要なく、ズーとズーと壁にぶら下がっていたのですが、この度、歴史的重要度が高い事に気づいたのですね。

7月 292008
 

 本日、愛知県からフタムラ化学社長、友田氏がはるばる来園されました。2008-07-29.jpg
 フタムラ化学さんは、このブログでも何度か書いていますが、不織布とか活性炭製品などを製作している会社ですが、農業分野では反射シートも製造(セルオンパール)し、その販路拡大を精力的に行っております。
 せっかく社長さんが来られましたが、サクランボはほとんど終わっており、果樹園にご案内しましたが、残念ながら取り残しのサクランボ数粒しかお見せできませんでした。社長さんとのお話はあまり出来ませんでした。と言うより、私が日本りんごの歴史とかニッカウィスキーの話しとか、或いは日韓関係にいたるまでの話を一方的にまくし立てたので、たぶん社長さんは「変なやつ」と思われたのではないかと思います。
 あと、こちらからはMade in Japanの良い物を造ってくれるようにご注文しました。価格は外国製(韓国とか中国製)よりも高くても、耐久性など性能の良い物をこれからも造ってくださいとお願いしました。(生意気でおおきなお世話でしたけど。)
 このブログはフタムラ化学さん社員もご覧のようなので、間違いなく社長さんは増毛(ましけ)にお立ち寄りいただきましたので、ご報告いたします。
参照:http://kajuen.net/mt/mt-search.cgi?search=%E3%83%95%E3%82%BF%E3%83%A0%E3%83%A9%E5%8C%96%E5%AD%A6&IncludeBlogs=2

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