中央農試のYさんから教えていただきましたブログ、長沼町「仲野フルーツパーク」をリンクしました。
仲野勤さんは、深川生まれで現在は長沼町で果樹園を経営されております。北海道の果樹農家間では有名な方です。80歳を過ぎて尚、果樹園に苗木を植え、果樹に対しての情熱は衰えるどころか、その意欲はますます盛んに燃え上がっています。そして、今年9月よりブログも書き始めたとの事で、早速リンクさせて頂きました。
仲野勤さんは、果樹の品種や歴史にも造詣が深く文章も判り易く、やさしいお人柄まで垣間見られます。私も参考にさせていただきます。
去年も書きましたが、共同防除の農薬計算をしています。Microsoft Accessによる自前構築により、農薬の出入りを入力中です。
ここまで、入荷分を入力しましたが、取引先(農協や取扱店)からの請求明細に不備を発見。請求が10L入れを1L入れ単価となっていたり、納品を返品となっていたりしていました。黙っていれば、こちらの「儲けもの」となりますが、やはりそこは正しい金額をとの精神から私から指摘して訂正しました。
これからメンバー分の使用数を入力します。近頃は農薬数が多くなって、また、同じ薬でも内容量も様々あって、ややっこやしいのが悩みの種です。
Accessでの計算はかれこれ10年以上前からやっていまして、なかなか便利です。しかし、アプリケーション化するだけの能力が私には無く、年変わりには、各レポート等を修正する必要があって、やっかいな部分もあります。
久しぶりの新規書き込みとなってしまいました。先週末は葬儀の手伝いをしていました。その際、果樹園同士での話の中で、鹿が急増している話題になりました。
10年ほど前には、日本海側には鹿なんぞ全くいなかったのですが、最近では珍しくなくなっています。そもそも日本海側は積雪が多く、冬期間の食料確保が難しいために鹿が生息出来なかったと思われます。しかし、全道的に生息数が増え、おそらく縄張り争いや新転地を求めて日本海側へもやって来たのだと思われます。
夏場は山中で過ごしているせいか、余り見られませんが、この時期は、山から下りてきて、藪岸をうろうろしているようです。これから雪が多くなると、海岸線へ寄って行っているようです。海岸線は、強風により、ガケの笹などが露出していますから、それらを食べているようです。そしてここ数年は鹿の数を増やしています。
先日、畑で鹿二頭を目撃しました。残念ながら写真は撮れませんでしたが、鹿が身近に居ることが実感させられました。畑内には、鹿の足跡がたくさん見られる場所もあります。果樹木への被害が心配されます。枝を食べたり、樹皮を痛めたりします。
果樹園の仲間でハンターを趣味としている人達は、以前は道東まで狩をしに行きましたが、最近では増毛内でも鹿を追っています。
草食で臆病な鹿は、見た目には優しそうな目をしているのですが、体格が大きいのと、集団化するとやはり、不気味さを感じます。
サクランボ雨よけハウスのビニールを押えるためのバンドですが、私はハウスの上にまとめて縛っています。他の果樹園は、アーチに張りっぱなしが多いようですし、全てはずしている果樹園もあります。
8月にサクランボの収穫が終わりましたので、8月下旬にはバンドを縛り終えていましたが、2棟分が忘れていました。数日前に気がつきました。そこで、小雪舞い散る中、バンドの括り付けをしました。しかし、約3ヶ月間プラプラと風になびいていまして、頂上部分がパイプと擦れて、カスカスになっていました。冬は温度が下がり、プラスティクが硬化するので、なおさら痛むのです。
パサパサ状態となったバンド、一応まとめて縛っておきましたが、その寿命はかなり縮まったようです。
先週から降った雪は、何度かの雨にもかかわらず、畑には未だに白く覆っています。
全道のぶどう園では、剪定の作業をしています。当果樹園でもブドウの枝きりやっています。まぁ、黙々と作業する中、取り残ったぶどうがたまにあるんですね。房と呼べないくらいの粒単位のぶどうが。これ、もったいないので食べながら作業しますが、これがまた超濃厚な味わいでして、これは、果樹園の特権でしょうなぁ。取り残しのバッファローの種ありとか、旅路、スチューベンは、病み付きになるくらい甘いです。収穫シーズンに房の悪さから収穫されなかったいわゆるブドウの劣等性たち。しかし、その味わいは今になって濃縮され自己主張しています。尚、写真は、イメージです
まつやま養蜂園の蜂達は、大型トラック2台に載せられ、九州に向けて今日旅立ちました。
5月に増毛に着いた蜂達は、さくらんぼ、りんごの花粉交配の大役のあと、アカシアなどの本業のミツ取り作業を終了し、花を求めてジプシーのごとく移動するのです。
今年は、果樹への交配は、まずまずでしたし、本業の蜂蜜もたくさん採れたようです。蜂蜜の値段もまずまずでした。
雪の降りしきる今朝方、果樹若手らにより、積み込み作業がおこなわれました。ほとんどの箱は重量があって、荷台に持ち上げるのは二人がかりです。蜂達は寒さもあってか比較的おとなしかったです。
養蜂業にとっての一大イベントは、この長距離移動。北海道は寒くなって問題ありませんが、本州や九州は、まだまだ温度が高く、移動中に多くの蜂達が死んでしまいます。まつやまさんは、九州の知覧町。鹿児島でもさらに南の位置です。まずは無事に到着することを願って、蜂達にひとまずのお別れをしました。
※写真は、兜謙悟さん撮影
今日の北海道新聞の読者の声で、道産リンゴを応援する寄稿が載りました。写真をクリックで拡大しますので、新聞を読んでいない方は見てください。
全くもって、私達果樹生産者が訴えてきた事ですが、消費者の方からのこの寄稿はありがたいです。
何度も書きますが、寒くなってドライブもままならぬこれからの時期ですが、果樹園では今がリンゴ品種勢揃いのシーズンです。また、消費は、年を超すと格段に売れなくなりますので、これから年末にかけてが、出荷ピークとなります。昔とちがって今は品種が多くなって、いろいろなタイプのリンゴがあるので、どうか消費者の方々に味わっていただき、今年の収穫の喜びを感じていただきたいと思います。
このブログを読むことの出来る方は、1900年代中後半に生まれていると思います。20世紀でした。子供の頃は、手塚治虫の未来マンガに夢中になったり、映画では、「2001年宇宙の旅」に代表されるように、SF映画に胸を膨らませていた方も多いでしょう。私なんぞは、スタートレック(TV版は宇宙大作戦)を楽しみにしていました。日本は高度成長時代で、未来、とりわけ21世紀に明るい希望を抱き、科学技術の発展を疑いませんでした。
しかし、果樹業界にいたって現実は厳しく、30?20年前から将来の明るさは、その照度を落としています。そんな中でも、りんごの品種改良はなされていきます。おそらく将来に対して熱い希望を抱いて世に送り込まれたこの品種「2001年」と「新世界」。当果樹園では今日、収穫しました。
「2001年」は、ふじの着色系品種です。当果樹園は有袋・台木はわい性にしています。北海道、とりわけ増毛でのふじ栽培は、どうしても収穫を早めなければならず、他産地より完熟度では不利になります。しかし、その分、貯蔵性があります。
「新世界」は、ふじとあかぎの交配品種だそうで、こちらは、真っ赤っかになります。丸かじりして、皮の部分を良く味わうと「うっすら苦み」が若干感じます。ビールは苦いのに、やめられない。うーむ、この品種も食べたらやめられないとなるのか!?・・・
さて、これらの品種名の由来は私には判りませんが、おそらく開発者達の将来へのワクワクするような思いがこの命名となったのだと思います。すでに2001年は過ぎてしまいました。21世紀になって「新しい世界」が訪れたのでしょうか。夢のようだった多くの科学技術は、現実の物となりましたが、相変わらず世界では戦争が起こっていますし、社会不安も広がっている様にも思います。
「2001年」「新世界」を収穫しながら、そんなことを思っていました。