4月 112016
 

ビックベンはテムズ川沿いにあって、対岸には観覧車があった。
wp2016-04-11-01 wp2016-04-11-02ビックベンの巨大さと人間の欲深さを思い知らされ、早々再び地下鉄に乗って移動しよう。博物館は日曜日で休みだろうし、すでに夕方なので一番近い観光地はどこかな?と調べると、テムズ川の下流?にロンドン橋(London Bridge)があるので行ってみた。地下鉄jubileeラインで3つ目の駅。
wp2016-04-11-03 wp2016-04-11-05だだっ広い立派な橋でございました。ロンドンブリッジはこんだけ近代的な構造ですので簡単には落ちない(Falling down)であろうな。

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wp2016-04-11-06 wp2016-04-11-09夕焼けに飛行機雲が3本。向こう側がヒースローなのかな?モダンなビルもあちこちに見える。橋の真ん中あたりからは、タワーブリッジが見えていた。

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wp2016-04-11-07ちなみに、向こうに見えるタワーブリッジが「ロンドン橋」と思われがちだが、こっちの近代的な普通の橋が正真正銘の「ロンドンプリッジ」のようですネ。
橋の左側に見える頭でっかちなビルは、地震のないヨーロッパならでわのデザインですねー。さて、もう暗くなるのでホテルの近くまで移動しましょ。

4月 072016
 

3月13日日曜日、昼過ぎスターキー氏に送られて再びNewark Nothgate駅にやって来た。スターキーさんに丁寧にお別れを言って、13時前頃の列車に乗ってロンドンへ戻ろう。
wp2016-04-07-01 wp2016-04-07-02ホームの売店でサンドイッチとソフトドリンクを買った。列車は日曜日と言うこともあってか、車内は混雑していて荷物を引きずったままでは開いている席はなさそうなので、トイレの向かいの窓際に立ったまま移動となった。
車窓を見つめながら、サウスウエルで受けた親切や感動をかみしめながら、午後2時半頃キングスクロス駅に戻って来た。
wp2016-04-07-03 wp2016-04-07-04さて、ロンドン最後の夜は、ヒースロー空港に便利の良いパディントン駅近くの宿に予約してある。どのように行けばよいのか・・・・・地下鉄はっと・・・・途中で乗り換えて・・・タブレットで道順を検索して地下鉄に乗ったのだが、乗り換えが少々失敗して道に迷った。日曜日のロンドンはどこも混雑していて、人混みの中をどうにか超えてやっと最後の宿、ちょっと贅沢して選んだランカスターゲートホテルに到着した。wp2016-04-07-05
チェックインして部屋に入った時刻はすでに16:30過ぎだ。お土産も買っていないしロンドン観光もバッキンガム以外していない。もうじき暗くなるだろうけど、どこか観光しなきっちゃ!

wp2016-04-07-06 wp2016-04-07-07よし、行くどー。ジャケット脱いでジャンバー羽織ってロンドンの街へ出た。よし!まずはビックベンだ!地下鉄は混雑しているが、私は荷物は無いので身軽。何度も地下鉄のったから、ロンドンはスムーズに溶け込むように移動できるようになっている。地下鉄のセントラルラインからジュビリラインに乗り換えて、ビックベン直近の地下鉄駅 Westminster Stationに来た。エスカレーターを過ぎて階段を上がって外に出ようとするとビックベンの時計が少しづつ見えてくる。道路まで出ると巨大な建造物ビックベンがそびえている。ビックベンの敷地は工事中なので、反対側の歩道から見ることになるのだが、すごい人が行き来している。いろんな人種や言語が飛び交い、英語なんて聞こえてこないよ。

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自分の顔を入れてビックベンに来た証拠を撮ろうと、タブレットで自撮りしていたんだが、逆光できれいに撮れない。角度を何度も変えて構図を探していると、突然口を尖らせてピヨピヨピヨっとピエロが現れタブレット画面に入って来た。それも二匹。おおーっとシャッターを2枚撮った直後だ。彼女らは豹変。「マネーマネー」「ジョブ!」と手を差し出してきた。

wp2016-04-07-09何ーっ、テメーっ・・とちょっとやり取りしている私のすぐ横に、トルコ系らしき人相の悪い男が無言で立っている。ヤツがボスなのか?私は、ズボンのポケットから一番軽めのコインを出して二人に渡したが、さらに「モアモア」と催促。結局ポケットの中のコインを全て渡してやっと解放された。

大都会ロンドン。田舎と違って人種が入り乱れ怖い一面を体験した。

4月 062016
 

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ブラムリー原木を見て、再びスターキー農園にやってきた。昔使っていたトレーラーが畑の隅に置いてあった。

wp2016-04-06-03スターキーさんは、果樹の加工にも力を入れている。今度は倉庫内を見せてもらった。ブラムリー単独ジュースやブレンドジュース、コンポートなど、倉庫内の別室にて加工製造している。

wp2016-04-06-04 wp2016-04-06-05りんごを加工するクラッシャーや充填器、タンクや殺菌槽など機械がそろっていた。最近、注目されているのが袋入れジュース(Pouch)だ。容量は150ml。飲み口を破ると、ストローが埋め込まれている。

倉庫を出てすぐそばにスターキーさんが重要とする樹が植えてある。

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ノッティンガム大学がオリジナルブラムリーの芽を培養して作り上げたクローンのブラムリー。接ぎ木でも挿し木でもない、オリジナルブラムリーと同じDNAだそうだ。原木がダメになったとしても、しっかりDNAを保存するためだ。

2009年ブラムリー生誕200年の記念式典がサウスウエルであった時、The Bramley Apple SongのCDが制作された。その歌はスターキー氏が作詞。
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スターキー氏はまさにThe Bramley Apple Manなのであった。

4月 052016
 

wp2016-04-05-01 wp2016-04-05-04スターキーさんは、サー(Sir)の称号も持っている。Sir John Starkey氏。スターキー農園HPのTHE BLAMLEY APPLE MANとは彼の事なんだな。私は逢う前、すごい高貴なお方なんだろうと緊張していたんだが、スターキーさんは気取ることなく普通に優しく接してくれた。

約百年前に彼のお爺さんがブラムリーを大規模に植えたらしい。サウスウエルの道路沿いの新興住宅地?が昔はブラムリーのりんご畑だったとか、昔は剪定とか管理作業がわからなかったので、小さなりんごしか穫れなかったなど、車を運転しながら懐かしむように私に話しかけてくれた。車は公道を走っていたハズなんだが、どうやらいつの間にかスターキーさんの土地に入ったようで、しばらく行くと右側に小規模なゴルフコースがあって、スターキーさはゴルフ場も経営。日曜日ともあって地元のゴルファーでにぎわっていた。

で、スターキー氏のお屋敷はこちら
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wp2016-04-05-03えーっ、なんとも素敵なたたずまい。このお屋敷は結婚披露宴会場としても貸し出している。
http://norwoodpark.co.uk/
この日も一件の結婚式があって、オシャレした来賓客がレッドカーペット上を入場していきました。
あなたも借りられる・・・➡紹介動画はこちら

wp2016-04-05-05 wp2016-04-05-06ブラムリーはM9台を使って密植していて、列には時折受粉樹として、コックスなどを植えていた。樹高が低いし、枝も地面すれすれから出していたが、あまりに地面すぎるので、もう少し高いところから第一主枝を出すようにすると言っていた。

wp2016-04-05-07 wp2016-04-05-08スターキー農場のもう一つの経営の柱は、イチゴ栽培だ。100メートル以上ありそうなハウスが何十棟も並んでいる。ハウスの中は3列の高設イチゴがあって、コンピューター管理で潅水しているそうである。毎年オランダから苗を購入しているそうで、毎年の苗代金がものすごいとスターキーさんは言っていた。

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労働者はどうしているのかと聞くと、ポーランド?とか外国から季節労働者を受け入れているそうである。それにしても、イチゴの出荷時期となれば、毎日相当量の出荷があるそうで、他のイチゴ生産グループと一緒に毎日トラックが来てイギリス中に出荷されるそうであった。

4月 032016
 

13日日曜日朝、タブレットをいじりながらロビーで待っていると10時頃スターキーさんがベンツのライトバンでやって来た。オリアさんに別れを告げ車に乗り込む。
wp2016-04-03-01 wp2016-04-03-0211時にブラムリー原木の場所でだれかと待ち合わせしているとの事で、まずはサウスウエルを通ってスターキー農場を軽く案内してくれた。

※スタキー農場は次の記事に

wp2016-04-03-0311時にブラムリー原木の所に戻ってきた。場所は一昨日宿泊したBlamley Apple Innのすぐ近所。道路沿いの住宅と住宅のすき間、車一台通れる20メートルほどひっこんだ路地の奥に小さな家がある。スターキーさんは、ドアをノックした。出てきた人は、現在ここの持ち主であるコールさんだ。「こんにちわ」と日本語で声をかけてくれた。コールさんは以前にNHKニューヨーク支局で働いたと言っていた。

さて、いよいよこの旅のクライマックスであるブラムリー原木とご対面である!ちょっとジメっとしたこじんまりとした庭の左側に原木はあった!特別に管理されているかと思っていたが、ごくごく普通に枝が茂った太い庭木がそこにある。これが、オリジナルブラムリーかあ!二百年以上前、1809年に少女メリーアンがまさしくココに種を植えた場所。

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根元にはクィーンの称号プレートが設置してある。約百年前に一度大風で倒れたものの、再び復活を遂げ現在にいたるブラムリーの原木。
wp2016-04-03-05 wp2016-04-03-06私はこの樹を見るためイヤ逢うためにはるばる増毛からやって来たのだ。ちょこっと涙があふれてきたが、何度もまばたきしながら写真を撮り続けた。しかし、さすがに老木となっているブラムリー原木は、あちこちの太い枝の樹皮が枯れ落ちている。太い根っこはトタンでケアーされているが、かなり弱っているのは隠しきれないようであった。

待ち合わせていた、デボアさんがやってきた。どうやらデボアさんはローカル誌の記者みたい。デボアさんのipadで、コールさん私とスターキーさんを入れて記念写真を撮ってもらった。

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4月 022016
 

wp2016-04-02-02 wp2016-04-02-013月13日日曜日朝は霧が立ちこめていた。霜が降りるほどの低温にはなっていないが、すぐ向かいの赤レンガ住宅がかすんで見えていた。今日はスザンナさんのお父さんであるサー・ジョン・スターキーさんが、午前中スターキー農場やブラムリー原木を案内してくれる予定となっている。朝、映画007シャワーを浴びた後、朝食にしましょ。

wp2016-04-02-03 wp2016-04-02-04暖炉のあるお部屋でイングリッシュスタイル朝食だ。お客は私一人。スターキー農場のりんごジュース。パンも数種あるし、バターや手製ジャム、コーンフレークも選べるし、もちろんコーヒー紅茶サービス。なんとも贅沢な空間だ。この雰囲気作りはスザンナさんの作品なんだろうと想像する。ちょこと残したのは申し訳ないのだが。

wp2016-04-02-05 wp2016-04-02-07いきとどいた掃除や朝食を給仕してくれたのは、管理を任されているオリアさんだ。彼女は、スザンナさんが載った新聞を見せてくれ、記事をそのまま読んでくれた。まぁ、記事の英語は私にとって難しい単語だらけなので、読んでもらっても私にはほとんど理解出来ないのだが、母親が絵本を読み聞かせているみたいな気分がした。

荷物をパックして茶の間?のソファーでスターキーさんが来てくれるのを待った。来客ノートが置いてあって、ペラペラめくると2014年8月に日本人女性が宿泊していた。
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3月 292016
 

wp2016-03-28-10-20 wp2016-03-29-01B&Bとは、ベッドと朝食(Bed and Breakfast)の略。3月12日土曜日の宿はウイロビーハウスB&B。
WILLOUGHBY HOUSE B&B)。経営者はスザンナさんだ。

スザンナさんとは日本を出発前にブラムリーファンクラブを通してFacebookでつながり、今夜の予約となった次第。(スザンナさんはロシア出張のため、今回は会っていない)場所はNorwellと言う小さな集落で、商店街とか無いみたい。のどかな村のイメージだ。乗馬する方もいるようで、道路に車に踏まれた馬糞が落ちていた。今時馬糞なんて、ひどく懐かしい。

wp2016-03-29-02 wp2016-03-29-03案内された、私のお部屋は「Bobby’s Room」。階段上がって1階(日本式では2階)のキングサイズベッドのお部屋。昔、ボビーさんが使ってたのかな?と思わせる机があった。

wp2016-03-29-04 wp2016-03-29-05ここのB&Bはさすがスザンナさん、女性のきめ細やかなお部屋づくりとホスピタリティー。バスローブが用意されているし、バスルームは映画007に出てくるようなガラス張りのシャワーだよ。鏡にはお化粧落としのグッズまで用意されていた。

wp2016-03-29-06B&Bだから夕食は基本的に出ない。時差ボケなのか夕方になってもお腹は減らないが、300メートル離れたところに食堂兼パブの「PLOUGH INN」があるから、夕食はそこに行くようにとスザンナさんからメールを受けている。日本人が行くと先方に知らせてあるらしいので、夜道を歩いて行ってみた。

wp2016-03-29-07 wp2016-03-29-08昼間のgoogleストリートビューはこんな感じなんだけれど、夜道は誰もいない。静寂の中を一人コンデジ持って歩いている日本人が一人。おそらくかなりの不審者だよ~と思いつつ、PLOUGHの入口に着いた。別のお客さんが待ち合わせて入店するらしいタイミングで、お先に~とドアを開けた。店内に古い写真が飾ってあって、馬の時代から営業しているらしい。

wp2016-03-29-09ではビールを戴ましょう。イギリスでは冷え冷えのビールは出てこない。かといって「ぬるい」って程でもない。まぁ温度は普通の水道水並みか?日本ではビールは冷え冷えが美味しいのは、間違いない。しかし、苦みは薄いが深みがあるイギリスのビールは、冷えてなくても美味しいと私は思う。お腹冷えないしネ。
土曜日の夜と相まって、お店は沢山のお客さんでにぎやかになってきた。マスターは小さな集落だけれど、お客さんがよく来てくれると、話していた。

お客さんの一人がカウンターに座っている私にわざわざ声をかけてくれて、日本のどこから来たのかなど聞かれた。もうこの時点で私の英会話は臆する事はない。マスターともいろいろなお話をした。

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結局ビール3杯飲んで、B&Bに帰って来たのでした。

3月 282016
 

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wp2016-03-28-10-5 wp2016-03-28-10-3サウスウエルの大聖堂、ミンスター(Minster)は素晴らしい。過去にNZ(ニュージーランド)のクライストチャーチの大聖堂(2011/3地震で崩落する前)を見たが、歴史の重みなどサウスウエルミンスターは一ケタ違うと感じた。石の彫刻も素晴らしいが、木工品の彫刻も手が込んでいる。手すりの足下にネズミが居た!

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当時の職人の悪戯だったらしい。ネズミはこの他にも何匹かどこかに居るんだが、ミサに訪れた子供たちがあちこち隅々を遊びながら探すという。そうして協会への親しみを持つようになる、きっかけがこのネズミなんだそうで、当時の職人のニューモアが伺える。

wp2016-03-28-10-6外壁も中世の雰囲気満載。ここミンスターは、サウスウエルのランドマークにとどまらず、サウスウエルの人たちの魂の拠り所なんだろうなと思った。そのミンスターの敷地内のお墓に案内された。
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wp2016-03-28-10-8墓石にはHENRY MERRYWEATHERの文字。ブラムリーを世に広めた人物ヘンリー氏のお墓だった。つまりロジャーさんたちのひい爺さん。この方がいたから、私はわざわざ渡英して来た。なんとも、感極まりながら写真は撮ったが、今にして思えば日本式でいいから手を合わせてお参りをすべきだったと後悔している。

では皆で記念撮影だ。マリアさんがシャッターを切ってくれた。
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ミンスターのすぐ隣にはインフォメーションセンターがあって、観光パンフやいろいろなグッズが売られていた。お昼となり隣のレストランで、みんな揃ってランチを食べた。私は朝食が重たくて、さほど食べられないので小さめのパンとスープにした。
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昼食後は町中を散策

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wp2016-03-28-10-18 wp2016-03-28-10-19毎年サウスウエルでは秋にミンスター内を飾りつけし、ブラムリー祭りが開かれるが、そのデザイナーやスタッフたちも住民たちだ。彼女らの小さなお店も見て回った。
マリアさんは、勉強があるとの事でこの後お別れした。
wp2016-03-28-10-17 wp2016-03-28-10-16図書館には、去年ブラムリー祭りで飾られた、子供たちがペットボトル200個を使って作ったブラムリーりんごが置いていた。また、昔はSouthwellは方言なのかサウザルと呼ばれいたというパネルもあった。

12822110_10205931917033504_21068558_nちいさな果物屋さんには、本物のブラムリーリンゴが売られていた。もちろんCA貯蔵だそうである。町の人々は、皆笑顔で私を迎えてくれていた。ほんと落ち着く良い街だなあと、づくづく思ったのでした。皆で散策した楽しい時間も終わり、駐車場に戻ると駐車場の係官が無賃駐車いないか一台一台検査していた。ジョンさんは早歩きで車に戻ったが、駐車時にちゃんと自動販売機から料金を払っていて、とがめられることはなかった。

wp2016-03-28-10-20ここで皆とお別れだ。固い握手をロジャーさんホーナーさんと交わした。私はジョンさんの車に乗り、次の宿である約13キロ離れたウイロビーB&Bまで送ってもらった。
ジョンさんに何度もお礼を言った。ジョンさんは運転席の窓を大きく開けて、手を広げた右腕を高く挙げたまま車を発進させた。私は車が見えなくなるまで、手を振って別れたのだった。

3月 272016
 

wp2016-03-27-02 wp2016-03-27-013月12日朝、宿である「Bramley Apple Inn」の朝食はイングリッシュスタイルだ。まず紅茶かコーヒーか尋ねられるんだが、せっかくなので紅茶を注文。ミルクをたっぷり入れて優雅に朝の雰囲気を味わう。コースターはリンゴの板だ。まもなく別の二人づれのお客さんも一階に降りてきて、窓際に座った。
そして運ばれた私の朝食。これが正真正銘のイングリッシュスタイルなのかあ。知ったかぶりしていたオレも本物を見たのは初めて。
wp2016-03-27-04 wp2016-03-27-05特別に味を付けていないようだが、目玉焼きの下に隠れているジャガイモ・マッシュルームにはソーセージやベーコンの脂の香りがしみている。朝からボリュームふっぷり。がんばって完食した。ちなみに、夜営業のバーはこんな感じで、宿主のパトリックさんがビールなどサーブしてくれる。
荷造りして宿泊代を払いチェックアウト。9時頃ジョンさん(ジョン・メリーウェザー氏)がやってきて、今日のスケジュールを記したメモを見せてくれた。wp2016-03-27-06ジョンさんは、パソコンで日本語訳をして印刷してきたと言う。ローマ字表記もして、日本語を話して伝えようとしてくれた。しかし機械による翻訳は、ニュアンスは分かるが完全な日本語とはならず、私は英文を読んで理解した。ジョンさんはちゃんと翻訳されているか?と尋ねてきたが、「まあまあだなぁ」という英語は私には浮かばず、手振りで答えたのでした。肝心のブラムリー原木視察は明日に持ちこし今日はジョンさんにお任せだ。

wp2016-03-27-07ジョンさんの車はレクサスのSUVハイブリッドだ。イギリスで日本車はそんなに多く見ないが、これはさすがに高級でしょ。ジョンさんはまず自宅に案内してくれ、奥さんを紹介してくれた。(数枚の写真撮る)
次に向かったのは、ルバーブ農家のベン(確か)さん宅。彼はいろいろな作物を自宅周辺の広大な土地に作付しているが、ルバーブ栽培で成功したそうだ。自宅の横にはたぶん会社なんだろうが、従業員らしき車がたくさん止まっていた。
wp2016-03-27-08 wp2016-03-27-09ルバーブは、不思議な作物で、株をある程度育て茎を切って、暗室に株を移して約2週間するとスルスルと茎が伸びる。それを収穫して出荷するそうだ。暗くすることで、甘みあるルバーブになるらしい。彼はルバーブのスペシャリストと自称する。彼の自宅?(建物がたくさんあるので)お茶をごちそうになった。畑での話は専門的だったので、私にはほとんど話の内容は分からなかったが、ジョンさんは何度も「All Right!」と納得していた。

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再びジョンさんの車でサウスウエルの街に戻ってきた。大聖堂であるミンスターの駐車場へ車を入れると、ロジャーさんと観光局などの仕事しているホーナーさん、ホーナーさんの娘マリアさんと合流した。

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wp2016-03-27-11 wp2016-03-27-12サウスウエルの人口は約7000人だそうであるが、人口の割りに大聖堂があるのはイギリスでも珍しいらしい。内部は厳かで歴史と格式がずっしりと感じられ、見ている私は緊張する。

wp2016-03-27-13 wp2016-03-27-14紀元前と言う石もあったし、石を細かく彫刻された部屋や、大きな絵画の間があったり、サウスウエルにとっても大変な歴史遺産だ。

また、ロジャーさんらが是非私に見せたいものは、ステンドグラスだ。大きなステンドグラスがあちこちにあるが、その中にブラムリーを模したステンドグラスがある。青色を出すのが難しく、どこかに特注したらしい。

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3月 242016
 

この旅の目的はブラムリーズシードリング(ブラムリー)の原木に会いに行く事。その原木はすぐ近く。

さて、私のこの旅には、ブラムリーファンクラブの方々が全面協力してくれている。Facebookやダイレクトメールのやり取りなどして、現地Southwellの方などに私が訪問する連絡が行っている。

ブラムリーりんご(Bramley’s seedling)は約200年の歴史がある。

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1809年 少女メリーアンがリンゴの種を庭に植えた
1846年 肉屋のブラムリー氏が庭とコテージを所有
1856年 苗木屋ヘンリー氏がその庭のリンゴの苗をブラムリー氏の名を付けることを条件に販売承諾を得る。
1862年10月31日 ブラムリーりんご販売開始。やがてイギリス中で栽培されるようになる
1900年 大風により、原木が倒れる
    しかしやがて、倒れた原木の根から新たに枝が延びてきて現在に至る。

まっ、ザっとこんな歴史なのだが、詳しくはブラムリーで検索してほしい。

ホテルの前で声をかけてくれた足を怪我して松葉づえをついていた男の人は、ヘンリー氏のひ孫にあたる、ロジャーさんであった。「後でゆっくり話そう、夜7時にまた来るよ」と言って別れ、私はホテルといってもB&Bなのだが、Bramley apple Innにチェックインした。お部屋は2階の道路側。
wp2016-03-24-01時差ぼけもあるし、まあ疲れた一日であったしベッドで少し横になった。すると電話ですよーとドアの外から声がかかり、身支度してドアを開けるとコードレス子機を渡された。「ハロー?」と一応出たのだが、ほとんど何を言っているのか理解できない。英語会話は顔を見ながらであれば何とかなるのだが、電話での会話は相手の表情がわからないので、英会話レベルが非常に高くなる。私のレベルでは無理。仕方なく電話の英会話は苦手であることなど伝えると、とにかく6時半過ぎに会いに来るという事らしい。まあ「OK」と言って電話を切った。

wp2016-03-24-02シャワーを浴びて時間まで横になり6時半になったので一階に降りて行った。この宿は一階はパブになっている。しばらくすると、電話の相手であったジョンさんが来た。ジョンさんもヘンリー氏のひ孫。つまりロジャーさんが兄でその弟のジョンさんだ。実はここには出てこないのだが、彼らの妹のセリアさんと私たちはFacebookでつながっていて、彼らを私に会わせたのはセリアさんが連絡してくれたおかげなのです。(セリアさんはイギリス南端のプリマス在住)

やがてロジャーさんもやってきて、ロビーのソファに座って、3人で語り合う。
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真ん中がロジャーさん、右側がジョンさんである。同じ町に住んでいる兄弟でも、なかなか一緒に写真を撮ることないと言っていた。まあ、日本でもそれはあるよねー。

会話はもうこうなると、英文法なんて言っていられない。とにかく話題のニュアンスを捉えることに集中し私も思いつく単語を連発してなんとか会話にこぎつける。やがて男同士、いつしか意思疎通がスムーズになっていった。イギリスの事や日本の事などいろいろな分野について語り合い、2時間ちかく語り合ったのでした。

wp2016-03-24-04ロジャーさんは、ブラムリーアップルの歴史について詳しく書かれた自身の本「The Bramley -A world Famous Cooking Apple-」にサインをしてくれて、私にプレゼントしてくれた。
ジョンさんが「明日の予定はどうするの?」と言われるので、私は一日中Southwell の町中を散策して夕方にタクシーで次の宿(隣町)に行くと答えた。レンタカーをあきらめたので、遠いところには行けないし、Southwellの町でものんびり回ろうと私は思っていた。すると、ジョンさんは、「私は車がある。私が案内するよ」と言ってくれた。私はモジモジして遠慮していたのだが、何度も誘ってくれるので、「それではよろしくお願いします!」と日本語でお辞儀した。
夜9時過ぎ、明日再会する約束をして二人は帰宅して行った。私は一人パブのカウンターで呑み直し。スタッフと少し会話した。

この宿、Bramley apple Innには原木の枝を使ったお飾りがあり、雰囲気を高めていた。
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3月 232016
 

wp2016-03-23-01wp2016-03-23-02 ビクトリア駅でおしっこしてからタブレットの地図を確認するとバッキンガム宮殿(Buckingham Palace)がすぐ近くだ。これはもったいないので行ってみよう。Google mapをたより歩く。水陸両用車みたいな観光用車や、屋根のないバスなどが行き来する。すると高い塀に囲まれたバッキンガム宮殿が見えてきた。
金曜日だけれどさすが一級の観光地?イヤ、イギリスの聖なる地バッキンガム宮殿は、観光客があふれていた。しかし、塀に入れるのは明日の11時?だったかなにやら注意書きの黒板があった。しかたなく塀の隙間からパチリ。

wp2016-03-23-03 wp2016-03-23-04うわさ通り、衛兵さんは微動だりしない。でも塀からじゃー遠いので衛兵さんの表情まではうかがえなかった。

wp2016-03-23-05 wp2016-03-23-06塀の隅で身支度していたら、若い中国か韓国系の女性から声をかけられた。「写真撮りたいので退いて」と言ったらしい。数メートル移動してその場所を譲ると彼女は、ポーズをとって被写体となっている。モデルなのか?なんでおめーの為にオレが場所を譲らにゃーならないの?ずいぶんわがままな女性ナルシストは塀の前でポーズとって何枚も専属カメラマンに写真を撮ってもらっていた。こんなヤツにかまっていられない。時間がないので、ビクトリア駅に戻り、地下鉄乗り継いでキングスクロス駅へ戻る。
wp2016-03-23-07 wp2016-03-23-08ホテルに預けていた荷物を受け取って、駅の窓口で往復切符を買った。ほぼ30分置きに北行の列車は出ているようだ。ホームは7番。お客さんは結構いるが、二人掛けの椅子は、私と荷物とで独占して座った。目的地southwellへは、まずここキングスクロスから約200キロ北のNewark northgateまで行く。所要時間は約1時間30分だ。列車はジーゼル機関車なのか電車なのかわからないが、静かに定刻に発車した。
wp2016-03-23-093月11日17時前、ニューアークに到着。ガラガラと荷物を引きづって駅の外に出る。あーストリートビューで見た駅の景色と同じ。駅の駐車場も見たことある~。で、予約はしていないが、レンタカーを借りよう。駅の横から立体交差の橋で線路をまたいで駅の裏側にやってきた。ここにちいさな修理工場兼中古車屋さん兼レンタカー屋さんがある。窓口では先客が手続きしていた。私の番になって国際運転免許証を見せると、国際免許ではダメだと断られた。別のエンタープライズと言う店であればOKだから、そちらに向かえと。で、距離を聞くと0.5マイル?とか。約1キロかぁー。荷物をガラガラと1キロ近くも歩くのしんどい。道路を見ると田舎なのに交通量が結構あって速い。薄暗くなってきて、パトカーがサイレン鳴らして走って行った。信号機のない交差点「ラウンドアバウト」の通り方も不安ありで、初めてのイギリスでもあり運転に自信なくなってきた。まあ、仕方なく駅に戻りタクシーに乗り、約13キロ離れたSoutwellに向かったのでした。
wp2016-03-23-10タクシーの車はヒュンダイ。人生初めて韓国車に乗った。運転手はイライラ運転する。前にトラックが割り込んで来ては「チェッ」というような仕草。信号が青になった瞬間に後ろからクラクション鳴らされては、文句を言っている。カーブのスピードも速い。イライラ運転は車のせいなのか、イギリスドライバーの性格なのか知らないけれど、10分ほどで予約しているSouthwellの宿「Bramley apple Inn」に到着する。

wp2016-03-23-11しかし、タクシーが停車しようとするホテルの前に松葉づえをついた足の悪い人が邪魔している。なかなか車を止められず運転手はまたもイライラ。ゆっくりと足の不自由な男の人が場所を開けてくれて、ようやくタクシーは止まり私は料金を支払い、お釣りを受け取る。運転手は、「後ろの荷物は自分で降ろせるだろう?」と言うのでトランクを開けて自分で荷物を下ろした。あっ、チップやらなきゃと、窓越しにお釣りの中から小銭2-3枚渡すとタクシーはお礼を言って帰って行った。

さて、チックインしようかと荷物を持ち上げた瞬間、その足の悪い男の人が私に声をかけてきた。「日本から来たのか?」もちろん英語。「YES」と私。「私はロジャー、君を待っていたよ」と握手を求めてきた。

3月 222016
 

北海道果樹協会は3月22日、札幌市内で総会を行いました。
それに先立ち、午前中には果樹対策懇談会を開き、生産者や試験研究機関、普及センター、道などによる、北海道の果樹界における問題点や展望、新品種等意見交換会が開かれています。
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総会後は、場所を移して懇親会を開催し、私はイギリス体験のスピーチをしています。

3月 212016
 

EMRを後にしてレストランKing & Queenまで戻ってきた。ちょうどこの時は3月11日金曜日11時ちょっと前。日本時間では夜の20時ちょっと前だ。

毎週金曜日20:00から北海道留萌市のコミュニティーFM局、FMもえるで、私たちは「FM緑の風通信」というラジオ番組を一時間生放送している。私は毎週行っているのだが、今回はお休みを頂いた。だが、どこでもネットにつながるタブレットがある。facebookがある。もしかしたら、facebookのチャットヘットの電話機能が使えて、もしかしたらイギリスから生中継できるかも。しかも無料で。

本番前に試すと何とかいけそう。レストランからラテを買って、屋外のテーブルで出番を待っていた。

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wp2016-03-21-02しかし、こんな田舎町であるが車の通りが結構あって、しかも道路舗装が粗く騒音が入るようで、仕方なくやり直して向かいの路地へ行った。
そこは古めかしいお城と墓地になっていて、たいへん静か。小鳥のさえずりが聞こえる。おそらくFMもえる始まって以来のイギリス中継はなんとか成功した。しかも無料~。今はすごい時代となったものだ。

wp2016-03-21-03放送終わって腹が減ったのでランチを頼んだ。
ハムとなんとかのサンドイッチ。しかし食べながら電車の時刻を見るとゆっくり食べてる暇ない。慌ててかき込んで、レストランに食べ終わったと声かけて、無人駅に向かう。わずかな距離であるが走って、ガードをくぐり、階段をのぼって行くとちょうど電車が滑り込んできた。
ここからの乗客は私と老夫婦の3名のみでした。

wp2016-03-21-04 wp2016-03-21-05一時間ほどでビクトリア駅に戻ってきた。あわただしいランチとコーヒーで、おしっこしたくなりビクトリア駅でトイレを探す。床に色別で案内するラインが書かれていて、そのラインをたどっていくと建物のすみっこの方にトイレを発見した。ところが、有料トイレだった。

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横にあった両替機で小銭に崩して、そばに居た女性に握っでいたコインを確かめてもらい、やっと入ることができた。せっかくお金払ったんだから、お湯で念入りに念入りに手を洗って出てきた。

3月 202016
 

3月11日朝、浅い浅い眠りのまま起床した。日本では3.11の追悼ムード一色だろうと想像する。日本国には申し訳ないが、私は一人ロンドンで行動を開始した。今日はりんご農家や果樹試験場関係者には聖地かもしれないEast Malling Research(EMR)に行ってみる。
大きな荷物をホテルに預けて、地下鉄を乗り継いでVictoria駅にやってきた。
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EMRはその名のとおりEast Malling駅のすぐ近くにある。駅の窓口で往復切符を購入。発車までの時間、大きめのコーヒーを飲み構内を散策して時間を過ごす。ビクトリア駅には何本(7か8)かホームがあるのだが、発車時間が迫らないと何番線ホームから出るのか分からない。日本であれば時刻表発表時点で発車ホームは決まっているはずだが、イギリスでは違う。ですので、自分の乗るべき電車が一体何番線なのか、電光掲示板で確認してから改札を通ることになるのだ。

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今回は7番ホーム発。乗客はガラガラ。ちなみにこの電車の給電はもう一本の線路があって、どうも3本目の線路から給電しているようだ。約1時間して、高架になっている無人駅イーストモーリング駅に到着した。

wp2016-03-20-15 wp2016-03-20-16駅を降りていくと、ストリートビューで何度も見たレストラン「KING & QUEEN」があって、なんだか感動。EMRの入口はこの斜め向かいだ。
wp2016-03-20-17 wp2016-03-20-18しかし、ナメてた。すぐにEMRがあるのだろうと思っていたが、何百メートル(たぶん1キロくらい)も奥にある。トボトボと不安になりながら歩いていく。左側にはリンゴやナシの試験区らしき列が幾つも見えていた。そしてようやく受付に来た。

wp2016-03-20-19一応メールは出していたが、受付には通っていなかった。たどたどしい英語で、構内の写真を撮る許可をもらうべく話すと、道路ふちからならどこを撮っても良いとの事。また、果樹の担当官らしきメールアドレスを渡された。後で聞きたいことがあればメールしてみると良いとの事のようである。まぁ、今いろいろ説明を受けても私の英語力では理解できないから、建物や試験区に入らない約束で写真を撮ることにした。

East Malling Researchは、リンゴのわい性台木の発祥地。現在世界中で使われているM26台やM9の「M」はまさにMallingのMなのだよ。説明は受けなくても、ジーンと感動。ここの冊子とオリジナルジュース3本買った。受付の向かいの棟には石の彫刻(コンクリートかも)で作ったリンゴの花のモニュメントがあった。

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プレートには「PRESENTED BY SIR JAMES & LADY MOUNT 1982」と書いていた。

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後ろ側は、りんごの側花が表の中心花と時間差つけて咲いていた。

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たくさんの建物があって、いろいろセクションが分かれているのだろうが、一応写真のみ。

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再び来た道を歩いて帰る。現在もなお精力的にいろいろな試験をしているのだろうと、思いつつ。

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3月 202016
 

夕食をなにか食べようかと、ホテルを外出した。ウロウロしてもしょうがないので、駅に行けば何とかなるだろうと、駅に戻ってきた。
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ロンドンには、例えば「東京駅」のように「ロンドン駅」は無い。ロンドン始発の大きな駅が幾つもある。例えばVictoria Paddington など10を超えるロンドン始発駅があり、イギリス各地へ放射状に線路が伸びている。それぞれの駅は、複雑だが地下鉄で行けるようだ。駅は何本かのホーム全体が大きな長いドームで覆われているのも特徴かな。

King’s Cross駅とSt.Pancrasは道路はさんですぐ隣。Pancras駅はすごく御立派!日中に撮った写真はこちら。一枚に収まりませんので合成です
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wp2016-03-20-03 wp2016-03-20-04中はどうなっているのかと、St.Pancras駅に入ってみた。横の入口から入るといきなり回転ずしがありましたあ。ヨッ!ずし。ロンドン初夜にして回転ずしもなかろうと、入店しませんでしたが、ここまで和食が侵食しているとはねー。
wp2016-03-20-05 wp2016-03-20-06店の外側にはテイクアウト用の寿司がパックで売られていた。約1300円~2000円か。高いんだか安いんだか全くわからないまま、ブラブラ歩いていると2階に上がれる階段がある。行ってみると、発車ホームであった。

wp2016-03-20-07 wp2016-03-20-08乗車客とは仕切られているんだが、ホームにはパリ行のユーロスターが停車していた。イギリスの線路幅は日本と同じ狭軌道だと思っていたが、フランス行きと言うことは、標準軌道なのだろうか。(帰国後に調べるとイギリスでは標準軌道に統一されているらしい)とにかく、イギリスの鉄道は地図を見て頂くとわかるが、国土内にいきわたっている。さすが鉄道発祥地なのだな。

wp2016-03-20-09 wp2016-03-20-10さてロンドン初の夕食なのだが、一人でレストランに入る勇気もなく、結局サンドイッチとワインを買ってホテルの部屋で食べることにした。時差ボケもあって深夜でも目がさえてたので、タブレットのラジオアプリを開けると、エフエムもえるの朝番組を聴くことができた。ネットだから当たり前だが、ロンドンでもFMもえるが聴えて感動。思わずメールしたら曽木さんが私のメールを読んでくれた。

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