1月 192006
 

 毎回、批判的エントリを書いていて、このブログを見ていただいている方の中には愉快な気持ちになれない人もおられましょうが、今回もそれです。
 増毛町は、毎月町内世帯に対して「広報」を配布しています。年始めの1月号には、「年頭のごあいさつ」として、町長と町議会議長の挨拶文が載っていました。その議長の文中で私としては見逃せない一文がありましたので、取り上げさせていただきます。
一通りの新春挨拶の後・・・

現憲法のもとで、地方自治に関する組織と運営について定めらており、予算編成権、提案権及び執行権は町長に専属しています。
 議会には議決権を与え、議決がなければ執行できないという建前になっており、状況によっては修正や否決も出来ることになっています。町長と議員は住民による直接選挙で選ばれ、それぞれの権限に基づいて役割を果たしています。

はい、はい、そうですね。町長の権限はもちろん、議会議員っていうのもその権限を町民から預託されているんですね。で、その後の文・・・

 昨年、「まちづくり町民会議」なる組織が発足して、町の行財政改革の基本的な考え方に関して提言していくそうですが、これはあくまで町長の諮問機関であり、議会に提案されるときは、法律に基づき、越権行為の無いようにしてほしいと思います。

私は、そのあなたの指摘する町長の諮問機関のメンバーなんですよ。5/23 11/1去年何度も夜に集まって、増毛町がなんとか自立して自治を行って行くべく、役場内のスリム化や意識改革などを進めるための具体的な案を絞り出して真剣に討議を重ねてきました。それも無報酬です。議長の挨拶文後半でも、増毛町の自主自立を訴えておられていて、我々「まちづくり町民会議」との目指すベクトルは、同じです。それなのに、この他人事というか、出しゃばるなよと釘を打っているのかと思わせるこの文には、がっかりしました。
 町民会議の面々は、直接選挙で選ばれたのでもなく、ただの町民です。しかし、その町民のレベルでの視点で色々提言をさせていただくのです。その中には、思い切った議会議員定数削減も盛り込まさせていただいています。町民会議の中で、メンバーから出された意見の中には、「このような行政の細やかな部分なんかは、町議さんがとっくに指摘しておくべき事じゃーないですか」といった愚痴も多々あったのです。
 私達には、町長や議員のように特別な「権限」は全くありません。従って越権行為のしようがないのです。
 しかし、私達町民には唯一「選挙権」があります。私達は、その権限を淡々と遂行するだけです。

  14 コメント

  1. 越権行為をさせないためには、実に簡単。率先垂範、真剣に町政に取り組めばいいこと。
    町長や議員がまともであれば、諮問機関などは当然必要ないはずです。
    それを設置しておいて越権行為などとは、自分たちは真剣に町政を行っていないことを公言しているようなもの。
    同情いたします。

  2. 仙北さん、いつも楽しく拝見しています。現在、関東に住む増毛出身者です。(元記事が賛否あるところであり、詳細を知りえる立場ではない事、また仙北さん考え方に100%賛成ではないため、匿名で発言させていただきます。)

    現在、増毛町のリーダ方々のビジョンを知る機会がなく存じ上げませんが、次の世代のためにどのような町にするのか、ぜひ議論していただきたいものです。
    今の増毛には、夢が感じられないのは残念です。

    外から見ると増毛って閉鎖的です。北前船の交易から始まった町のはずなのに。。。
    このままだと、231号線は開通し雄冬はつながったけど、増毛全体が陸の孤島に逆戻りするんじゃないかと危惧します。留萌との合併が成立しなかったのも増毛百年の計を考えるとムラ意識が強すぎるのが原因かなとも思ったりします。
    増毛の歴史で思い出してほしいのですが、増毛は北海道で一番最後に電話がつながった地域(http://motojinya.mashike.jp/jin2_1.php?eid=00001参照)です、今度は光ファイバーや地上波デジタルテレビが北海道で(日本で?)最後につながる地域になるかも知れません。ニセコ町は数年前に光ファイバー整備しちゃってるし観光も国際的になってるのにね。。。
    増毛は、産業も若者も見向きもしない町というか村になりかねませんね。20年前、文化センターに吉幾三が来た時の歌みたいに。。。

  3. いざりうおさん、エネルギー科学館さん、コメントありがとうございます。
    増毛町が閉鎖的とのご指摘ですが、それは一理あると思いますが、オープンに受け入れる土壌でないことは、今後の課題の一つかも知れません。
     増毛町の人口は6千人を割りなおも減少しています。そんな中で町づくりは、役場とか町長とか誰か役職のある人がやるものではもはやなく、町民それぞれが参画して進める必要に迫られています。当然そのリーダーシップは問われます。しかし、人が少ないと言うことは、それだけ頭脳の数が少ないのですから、今あるありったけの頭で考えるしかありません。ですから、町民も声を出していこうというのが、町民会議の姿だと思うのですよ。
     増毛町出身者のアドバイスや憂う気持ちは大変ありがたく思いますので、これからも暖かく見守って叱咤激励を頂ければ幸いと思います。
     さて、吉幾三のヒット曲「俺ら東京さ行くだ?」のレコードジャケットは、増毛へ立ち寄った際に増毛で撮った写真が使われていると、記憶しておりました。が、やはり、その記憶は正しかったようで
    http://www.megamarimo.com/kayou/archives/000044.php
    テレビも電気もねぇ?って、将来も増毛町が最尾端にならないようにしないといけませんなぁ。

  4.  エネルギー科学館さんのコメントを読んで、増毛を過疎に追い込んだ一方の加害者(きつい表現でごめんなさい)が何を言っているのかなという気持ちになりました。

     地上波デジタル放送や光ファイバーがいったいどんな幸福を人々にもたらすというのでしょう。 見ようによっては、首都圏が地域に対する優越性を広める為のプロパガンダ手段なのではありませんか?

     故郷を棄てた人に許されることは、そっと応援することだと思います。 故郷を応援する首都圏在住増毛出身者の会のような組織をつくるか、もしあるなら参加して郷土意識を持ってみられてはいかがでしょう。

     増毛の産物をお歳暮に使ってはいかがでしょう。 私はこの暮れのお歳暮に国稀を首都圏の親戚に送りました。 微力だけれど少しはメッセージを発信できたのかなと思っています。

     私は増毛出身者ではありません。5回ほど営業を兼ねて訪問したことがあるよそ者です。 でも国稀は美味しかったし、あの吹きだまりの中でがんばっている人を見て、北海道の中の北海道という気持ちになりました。

     町長さんもどうぞ町民がみずから進んで知恵と足を提供してくれようとしているのですから、遠慮せず好意を受けられたらいかがでしょう。議会対策の手間が省けますよ。それに提案してくれるのだから、実行するとなったら絶対手伝ってくれますよ。

  5.  どじたさん、国稀お買い上げありがとうございます。社長になりかわりお礼申し上げます。

     光ファイバーは、増毛にもほしいです。って言うか、すでに家の前には敷設済みです。一番上の表題写真をよく見てください。電柱の一番上は高圧、その下は低圧電力。下部の電線は従来の電話線と光ファイバーです。ですから、つなげようと思えばすぐに出来ます。料金体系がその気にさせないだけです。(まだ増毛はインターネット光の対象区にはなっていませんが)安ければ繋ぎたいです。

     最近テレビを買ったので、今、無料期間でスカパー!110を見られます。たくさんのチャンネルがあって、都会と変わらないと実感していますが、その無料期間は今日で終わります。明日から有料契約しなければ、見られるチャンネルはガクンと少なくなります。

     でも、契約は見送ろうと思っています。チャンネルが増えても余り意味が無く、ネットの方が数段便利だからです。私は、地デジに対してもさほど期待していません。奇麗に写ればいいなって程度です。

     田舎に於いて、「情報」分野は過疎でなくなりました。田舎暮らしが「幸せを感じられるか」との命題はその人それぞれですが、確かに都会的な「豊かさ」には叶わない部分もあります。例えば医療とかね。しかし、これまで田舎が不利だった交通や情報分野は、解消にむかっています。田舎には、都会にない「豊かさ」が多くあり、それをもう一度認識し直して、田舎だからといって「貧しくないぞ!」と感じることが出来れば、町財政が厳しくとも、「幸せの実感」を得ることが出来るのではないかと思います。

  6. どじたさんコメントありがとうございます。
    故郷を棄てた訳ではなく、実家もありますし墓もあります。出稼ぎ状態なので、ものを言える立場ではないのかもしれません。
    ただ、国稀は、札幌や旭川に出張の際、メニューにあればいつも飲んでますし、実家の帰りのおみあげにはいつも使っており、道産米を使っているのをなるべく選んでるくらいです。中元は、暑寒沢のさくらんぼですし。(歳暮は留萌の数の子ですが。。。)なので、望郷の念は、ご理解いただきたく。。。

    ニセコの例を挙げたのは、増毛に住んでて、見たくても見れない、使いたくても使えない状態を、田舎だからしょうがないとあきらめるか、少しでもなんとかしようとするかの違いで、増毛よりもニセコの方がなんとかしようとしてるではないかと感じたためです。
    数年前のましけ広報誌にADSL導入の陳情を募る記事があったと思うのですが、少なくとも便利にしようと考えている方がいらっしゃると思っています。(仙北さんが発起メンバーでは?)

    仙北さん
    幾三ネタありがとうございます。20へぇはありました。(笑)
    「今あるありったけの頭で考えるしかありません。」ってところを、町民だけではなく、外部の知恵を借りてはいかがでしょうか?もちろん、最後に決めるのは増毛の人です。

  7.  エネルギー科学館さん、事情もうかがわないでいきなり決めつけるようなコメントをしてしまいました。 申し訳ありませんでした。 わたしのハンドルに免じてお許し下さい。

     増毛に実家がおありで、出稼ぎ状態で、故郷増毛のことを思えばつい叱咤激励したくなってしまう気持ちは良く理解できます。 ニセコの発展もスキー場の破綻をきっかけに海外資本が飛び込んできてくれたというラッキーがあって実現したのだろうと思いますが、 一番きびしいところに立った時の、住民の皆さんの底力があったからではないでしょうか。

     旭山動物園も、動物のえさ代もままならないとなったときに知恵を絞ったことが力となりました。 いまの北海道はどこもそうです。 合併で国の補助を受け入れて延命を考えた自治体が多いなかで、自らの力ではい上がることを選んだ増毛の人達がどんな花を咲かせるのか楽しみです。 

     国稀の味も知名度も間違いのないものです。 マシュケのリンゴはもう少し名前を売りたいところですか仙北さん。

  8. 増毛出身者に、故郷増毛を嫌っている人は滅多にいないと信じています。まぁ、日本人なら大概どこの出身者でも望郷の念は持ち合わせいてると思いますが、それでも特に「増毛」は、故郷思いの方がほとんどと思います。
     
     なぜならば海・山・川の自然に恵まれ、新鮮な水産農産物に恵まれています。昔は、魚などわざわざ買うまでもなく、どこからかもらったエビとかカレイとか食べていました。今でも、エビなどわざわざ買ってまで食べたいと思いません。(逆に言うと、もらうまで食べられないが)

     また、増毛出身者は、ガキの頃から新鮮なものを食べているので、都会の高級料理を食べても「うまかった」となかなか言わない。例えば、キャビア食うくらいなら、カジカのコッコの方がよっぽとうまいと言った具合。

     話はそれましたが、増毛出身者の方には、故郷増毛をこれからも応援していただきたいと願う私でした。

  9. 地域興し、難しい命題ですよね。昔、北野たけしが「田舎なんて興すんじゃないよ。のんびりしてるから田舎なんじゃないの」と言ってました。実はちょっと同感してもいるのです。ネットがADSLになって、住みやすさに関してはもういいやって気がしているのかも知れません。ありとあらゆる町がイベントやお祭りで観光PRをする現状に、すこしうんざりしているきらいがあるものだから…
    もちろん産業を盛り上げていくことは非常に大事ですが、それは流通の現場でやることのような気がして。いやいや、悲観的すぎますか…

  10. 今日(1月24日)、町民会議がありました。その中で、多くのメンバーが広報に載っていた議長の挨拶に対して、憤っていました。今日の会議では、目指す町作りの方針的な事について話し合いました。

    生き生きとした町作りをしようってのが、まぁ、普通に考えられる指針です。しかし、私は内心では「しみじみと暮らせる町」みたいなのも良いのかなって、一瞬思いましたね。不便であっても不幸にしない工夫やアイディアや考え方が必要なのかもね。

  11. 舟歌の世界。 初めて増毛に行ったときに感じたのはこれでした。 古い昭和がそのままある街。 時の経過がつくってくれた価値がそのまま実生活に現存する街を感じました。
    きっと増毛に住んでいる人や、増毛出身の人は、時代の進歩に取り残されたような寂しさを感じられるのかも知れません。

    私は苫小牧の出身ですが、私の知っている昭和30年代の懐かしい町並みはそこにはもうありません。 あのころはそれが発展だったのだから仕方ないのかも知れませんが、いま訪れても何にも感じないどころか、ちょっと家を空けているうちにインベーダーに占領されてしまったような気持ちになります。 故郷が古いものを棄て、大都市と同じような価値観を求めるのであれば、私は今住んでいる札幌を選択します。 目指す着地点が同じなら、より整備された方を選ぶのは当然だからです。 私の故郷はいつのまにか無くなってしまいました。

    増毛の街は不思議でした。 住んだことはないのですが、故郷の臭いがしたのです。

    いま人々がお金を払って訪ねる価値のあるところは、大都市の逆の発想の街。 大都市にはない仙北さんのおっしゃる、しみじみさがある、 人のぬくもりがあふれているそんな街のように思います。

  12. >舟歌の世界。 初めて増毛に行ったときに感じたのはこれでした

    高倉健の映画「駅・station」は、増毛でロケが行われました。その挿入歌って言うか、あるシーンに「舟歌」がかかっていました。
    http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0006GB00C/250-6516187-2154603
    ですから、「舟歌」=この映画=増毛 とインプットされていて、深層心理から連想されたのではないでしょうか。
    あの映画でも増毛は不便なところのように描かれていたと思います。

    たまに「ラーメン村」みたいな(例えばエスタ10Fとか、イオンのブースとか)にホーロー看板や、昔風の下見板の壁をあしらって昭和30・40年代を再現した一角を見たことがありますが、あれ、私には全くしっくりこないんですよ。看板のススケ具合など精巧に作られていて、本物の昔の街をイメージさせていますが、私の目からはすべて偽物であって一種、騙されているような気分になるんで、あれは、好きでありません。

     その点、増毛にはまだ本物が多くありまして、わざわざ再現しなくても、すべてリアルなので、より郷愁を誘うと思います。古い物って、本当は「財産」なんだと、認識する必要ありですね。

  13.  舟歌もとい舟唄でしたね。失礼しました。
     実はあの映画を見るよりも先に増毛に行きましたので、深層心理からの感情の払出ではないと思うのですが、映画を見てから増毛のことがさらに好きになりました。

     夜の増毛を歩くと、倍賞智恵子演ずる居酒屋のママさんに会えるのではないかとあり得ない期待をしたり、駅舎からの町並みを見て映画のあらすじを追い求めたり・・・。

     日本の古いものは日本人のDNAに刷り込まれているのだと思います。 誰かが良いと思うものを作り、みんなが引き継いできた古いもの。 最初は外国の真似だったはずのものまで年月を重ねて価値を付加してきます。

     ほんものの魅力こそ若い人たちに伝えてあげなければなりません。 しかし、ものは残して伝えることはできても、さらに日本人の大切な心まで伝えるとなると困難さをひしひしと感じます。 外国文化があふれている日常の中では、ほんとうの日本人の心を育てることができないと思うからです。

     ほんものを多く残す増毛町なら、サービスのありようによっては、旅人が日本人の心を感じて安らぐことができるのではないでしょうか。

     町全体がテーマパーク。

     一番最後を遅れて走ってきた増毛町。 時代の進む方向が逆になり、回れ右をした今は先頭を走っていることになります。 私たちも増毛の皆さんの背中を見ながら追いかけていきたいと思います。 捨ててしまった古いものを今から集めようとしても手遅れかもしれませんが・・・

  14. どじた様。本当に激励のお言葉、ありがとうございます。このブログは、役場関係者や町長も見ていますので、かなり勇気づけられたと思います。

    >一番最後を遅れて走ってきた増毛町。 時代の進む方向が逆になり、回れ右をした今は先頭を走っていることになります。

    増毛駅は終着駅です。増毛の先に線路はありません。しかし、終着駅って事は始発駅でもあるわけで、そういう意味では、増毛発信の発想でいこうと思います?。

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